お役立ちコラム お墓の色々

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ファンでなくとも一度はお参りしたい人間国宝のお墓~七代目坂東三津五郎編

墓地・墓石コラム

ファンでなくとも一度はお参りしたい人間国宝のお墓~七代目坂東三津五郎編

お墓参りの際、今後の抱負や約束事を墓前に誓う方は多いと思われます。お墓の厳かな雰囲気はこうした気持ちを引き締めるのにピッタリですし、故人に見守ってもらっているかのような感覚にもなります。
私たち日本人は、自然と身についた習慣として神社やお寺にお参りするかのように、お墓参りをしている面もあるのではないでしょうか。

また、家のお墓の前で誓いを立てるのも良いですが、時には尊敬する偉人や生きざまに憧れる偉人のお墓に誓いを立てるのも、より一層気が引き締まって良いでしょう。なお、有名人のお墓巡りを趣味にしている方々は「墓マイラー」と呼ばれ、実は秘かなブームにもなっています。

人間国宝とは

日本では、重要無形文化財に指定された無形の「わざ」を高度に体得している個人を、通称「人間国宝」(厳密には「重要無形文化財の保持者」)として認定しています。

具体的には、雅楽・能楽・文楽・歌舞伎などの芸能関係者や、織物・染色・陶芸・蒔絵・金工などの工芸技術関係者に与えられるもので、その人数はのべ383人(令和6年3月13日時点)です。

人間国宝の認定は「生涯認定」であり、1人あたり年間200万円の「重要無形文化財保存特別助成金」が支給され、人間国宝が自らの芸を磨き伝承者を養成する活動を助成しています。

亡くなった場合はこの助成金の都合から人間国宝の指定を「解除」されますが、その功績や評価が失われるわけではありません。

今回は、人間国宝として認められた偉大な人物の足跡とお墓を紹介いたします。

人間国宝・七代目坂東三津五郎

1955(昭和30)年に歌舞伎界で初めて人間国宝となった七代目坂東三津五郎(本名:守田 壽作/もりたじゅさく)。
1948(昭和23)年に日本芸術院会員に選定。1950(昭和25)年芸術選奨。1960(昭和35)年文化功労者に選定されます。
1889年(明治22年)10月に歌舞伎劇場「桐座」で二代目坂東八十助を襲名して初舞台を踏み、1906年(明治39年)歌舞伎座にて『盲長屋梅加賀鳶』(加賀鳶)の兼五郎で七代目坂東三津五郎を襲名すると同時に、舞踊坂東流家元となります。
その後六代目尾上菊五郎、初代中村吉右衛門などの相方を多く勤め歌舞伎界に貢献します。
1957(昭和32)年に明治座似て前年に誕生した1歳2か月の曾孫・寿(十代目坂東三津五郎)をその胸に抱き、初御披露目します。
同年9月に歌舞伎座『寒山拾得』公演六日目の舞台中に倒れそのまま降板、その後療養を続けますが1961(昭和36)年11月4日に、満79歳でこの世を去ります。

歌舞伎界の名わき役

短躯で童顔、悪声で声量にも恵まれなかった七代目坂東三津五郎は、いわゆる「花形」に選ばれることはありませんでした。しかし明治の先人たちから学んだ芸は抜群で『御所桜堀川夜討』の藤弥太、『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)』「吃又」、舞踊で菊五郎とのコンビによる『三社祭』『棒しばり』『太刀盗人』などは当時から賞賛されていました。
演出毎による多彩な台詞廻しや舞踊の地音楽、形態の種類による微妙な踊り方の違いなどを正確に判別できる稀有な人物で、戦後は劇界随一の博識者として尊敬を集めました。幸福と財産に恵まれ、超俗したような人柄に思われていますが、それは「長い間耐え忍び、家庭の事情により借金を抱え破産寸前に追いこまれた」という辛酸を乗り越えて到達した境地だと言われています。
また「歌舞伎舞踊坂東流の家元」としてその普及にも努めました。人間国宝に認定されたのは舞踊家としての貢献が評価されたものだといわれ、七代目は今日でも「踊りの神さま」として知られています。
他に「守田是好」と言う俳名を持ち、俳句も嗜んでいたようです。

七代目坂東三津五郎のお墓

七代目坂東三津五郎は現在、東京都府中市の多磨霊園に埋葬されています。墓石の正面は「守田家累代之墓」と刻まれ、裏面には「大正十四年八月建之 十三代目 守田勘弥」の文字が刻まれています。
墓所内には昔、歴代勘弥の墓誌が右側に、左側墓誌には歴代勘弥の妻、三津五郎等の名前が刻まれた墓誌があったのですが、現在は撤去されています。
その当時の墓誌によると、守田(森田)勘弥 元祖~十四代、坂東三津五郎七代~十代、三代目坂東玉三郎が同墓に眠っています。

◆都立多摩霊園(東京都府中市)

まとめ

今回は七代目坂東三津五郎のお墓を紹介いたしました。
歌舞伎の舞台で倒れ危篤状態になった際に、大変かわいがっていた曾孫の寿(十代目坂東三津五郎)の声で意識を取り戻し、一命をとりとめたものの、復帰も叶わずこの世を去った七代目坂東三津五郎ですが、その舞踊と技は三津五郎亡き今も脈々と受け継がれ、現代の舞台でもその技を垣間見ることができます。
また同じ多摩霊園内には、小説「宮本武蔵」で知られる吉川英治のお墓や推理小説作家の江戸川乱歩のお墓もあります。興味のある方は一緒に参られてみてはいかがでしょう。

なお、本サイトでは人間国宝の落語家・桂米朝の墓所も紹介しております。こちらの記事も併せてご覧ください。
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