お役立ちコラム お墓の色々

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日本の銘石をめぐる~神奈川県足柄下郡真鶴町・本小松石

墓地・墓石コラム

日本の銘石をめぐる~神奈川県足柄下郡真鶴町・本小松石

家族の心の拠りどころであるお墓は、日本の季節、土地や人に馴染んだ日本の石を選んでいただくのが一番です。ここでは、日本各地で産出される銘石をご紹介し、その魅力と背景にせまります。今回は神奈川県足柄下郡真鶴町の「本小松石(ほんこまついし)」です。

本小松石の産地

「本小松石」は、「西の横綱」香川県の庵治石と共に「東の横綱」と称される最高級品で、日本の銘石としてブランド化されています。その産地は神奈川県の南西端、真鶴半島にある真鶴町です。
真鶴町は山と海に囲まれた風光明媚な土地で、北に箱根、南に相模湾を望む斜面地からの眺望は、南フランス・イタリアの地中海沿岸に例えられ、「日本のリビエラ」と呼ばれています。
地場産業として真鶴町を長らく支えてきたのが、石材業です。2021年には、「真鶴町・石の彫刻祭2021」と題したイベントが開催され、本小松石を用いた彫刻作品が真鶴町内11箇所に恒久設置されました。

本小松石の特徴

本小松石は、約40万年前に起きた箱根山の噴火により流れ出た溶岩が、海に押し出されて急速に固まって形成されたものです。地質学上は「輝石安山岩(きせきあんざんがん)」に分類されます。真鶴でしか採れないため、希少性が高い石です。

山から切り出されたときの石は、表面が酸化して茶褐色になっています。これを研磨することで、わずかに緑がかった、淡い艶を持つ灰色の石面が表れます。さらに磨くと、淡い灰緑色のきめ細やかな美しい石肌が表れます。

切り出した時の状態と、磨いた後の状態が全く異なるところが、本小松石の特徴です。なお、本小松石は色合いによって青色・灰色・赤色の3つに分類され、わずかに緑がかった青色の石が一番高価であるとされています。

本小松石の色は、年月を重ねることによって、さらに変化します。少しずつ風合いが増して味が出てきます。
色の変化がありながらも、耐久性や耐火性に優れていること、粘り気が強くて石が欠けにくいことも、本小松石の大きな特徴です。関東では高級な石として墓石、建築材、庭石、モニュメント、工芸製品など幅広く利用されています。

<本小松石の石材物性データ>
■見掛け比重:2.627 t/㎥ ■吸水率:1.073% ■圧縮強度:195.68 N/㎟

「生きている石」本小松石に見る、侘び寂びの心

年月を重ねるにつれ色が変化することから「生きている石」とも呼ばれる本小松石。
そこには、侘び寂び(わびさび)の心を垣間見ることができます。

「侘び寂び」は日本文化特有の美意識や感覚のこと。
「侘び」「寂び」それぞれの言葉にはこのような意味があります。

侘び・・・過剰なものをそぎ落とした状態の中に、美しさを見出すこと
寂び・・・経年変化によって新しい美がそこに備わった状態のこと

つまり、侘び寂びとは、不完全さや枯れた姿に、心の充足や美を求める“心のあり方”といえます。

お墓もまた、お墓参りの度に時の流れを噛みしめ、一期一会のご縁に感謝し、心の充足を得られるものです。

年を重ねる度にその瞬間ごとの美しさを見せる石肌。そして、時の流れと侘び寂びを感じられる独特の風合いという唯一無二の価値を持つ本小松石は、一期一会の今を大切に生きる人に相応しい墓石と言えるのではないでしょうか。

本小松石の採石・加工

本小松石は、マグマが地中でゆっくりと固まってできた「花崗岩」ではなく、地表に流れだしたマグマが急激に冷やされて固まった「安山岩」です。
つまり、花崗岩の様に層状の岩盤としては存在せず、分裂した状態で固まったため、大小さまざまな大きさの玉石で採石されます。
また、掘り出す地層によって密度や色合いが異なるため、石の表情もそれぞれで全く違ったものになります。

色や石の模様がまったく同じものは1つとして存在しないため、本小松石は色合わせが大変困難な石です。石の色や模様が近い部材を組み合わせる必要があり、多くの石の中から、厳選した部材を使用して墓石を作りあげるため、長い時間と手間がかかります。

本小松石の歴史

真鶴町には真鶴町指定文化財になっている「石工先祖の碑」があります。これは鎌倉時代に石材業を始めた土屋格衛や、江戸城を築くために採石に当たった黒田長政支配下の業績をたたえ、江戸時代末期に再建された記念碑です。

この石碑によると、真鶴の地で石材業が始められたのは、平安末期の1156年頃と言われています。都市づくりや社寺建造の需要が高まった頃で、当時は「小松石」ではなく「伊豆石」「相州石」と呼ばれて重宝されていたそうです。最高級品の石材として源頼朝や北条一族の墓石、鎌倉大仏の台座などに、広く用いられました。

真鶴が石材産地として有名になったのは江戸時代といわれています。徳川御三家(紀州、尾張、水戸)や松平家、黒田家などが、幕府の命により真鶴に丁場を開き石材を江戸に供給しました。東京・港区芝の増上寺の石材見積書の中に、「小松石」という記載が残っており、江戸時代には小松石という名前がすでに使われていたと考えられます。

小松石という名前は真鶴駅北側に小松原(小松山)に由来します。東京の建築物や墓石に数多く使われ、また徳川家代々の墓石にも使用されたこともあり、墓石材としても不動の地位を築いていきます。

私たち人間と同じように、年数を重ねるごとに変化し味わいを増す「本小松石」。故人の面影を重ねるお墓を「生きている」この石で作られてはいかがでしょうか?

<代表的な建造物/お墓>
長谷の大仏(鎌倉大仏)(神奈川県鎌倉市)
東京大学工科本館
宮内省図書寮
早稲田大学記念講堂
天皇御陵
美空ひばり(日野公園墓地/神奈川県横浜市)
力道山(池上本門寺/東京都大田区)

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