お役立ちコラム お墓の色々

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日本の銘石をめぐる〜佐賀県唐津市・天山石

墓地・墓石コラム

日本の銘石をめぐる〜佐賀県唐津市・天山石

家族の心の拠りどころであるお墓は、日本の季節、土地や人に馴染んだ日本の石を選んでいただくのが一番です。ここでは、日本各地で産出される銘石をご紹介し、その魅力と背景にせまります。今回は佐賀県唐津市の「天山石(てんざんいし)」です。

<<佐賀県唐津市の地図画像>>

天山石の産地

天山石の産地は、佐賀県の北西にある玄界灘に面した唐津市です。唐津市は、平成27年にユネスコ無形文化遺産にも登録された唐津神社の秋季例大祭「唐津くんち」でも知られています。
また、古代の高床倉庫をイメージし建てられた歴史博物館・末盧館(まつろかん)があり、日本稲作発祥の地・菜畑遺跡と邪馬台国時代の「末盧国(まつろこく/まつらこく」の代表遺物が展示され、当時の様子を今に伝えています。

唐津市の東部には「九州の尾瀬」とも呼ばれる樫原(かしばる)湿原が広がり、そこから山ひとつ離れたところにあるのが天山石の採石場です。
天山石は、この恵まれた大自然の中に眠っており、自然環境との調和をはかりながら産出されています。

天山石の特徴

天山石は従来、九州方面で長く使われていましたが、その石の持つ魅力から近年、中国・四国方面や関西圏を中心に人気に火がつき、今では中部方面や関東圏まで幅広く使われるようになっています。地方の銘石から、全国区の銘石になった逸材です。

「硬度が高い」「低い吸水率」「変色しにくい」という“理想の墓石の3条件”をすべて満たしていることが、天山石の魅力となっています。

天山石の魅力 その1:硬度が高い

天山石は、大理石や通常の花崗岩よりも非常に強いことが特徴です。圧縮にも曲げにも強く、その強さは他の石を寄せつけません。そのため「光沢低下」「鉄気(かなけ=赤黒いしぶ)」「ざらつき」「剥離」といった経年劣化がほとんどなく、50年近く経過した墓石でも、建立当初の輝きを保ち続けているほどです。

天山石の魅力 その2:吸水率が低い

「吸水率が低い」ということは、墓石となる石材の目が詰まっており、水が含まれにくいため、墓石に悪い影響が出にくくなるということです。
天山石の吸水率の低さは0.059%。日本の石の中でも最高の品質部類に入ります。少しの雨程度ではほとんど変化が見られないほどです。

天山石の魅力 その3:変色しにくい

天山石は、青みを帯びた非常に硬い斜長石が多い、紺碧の海のように澄んだ石です。
他の有名国産石材と比較しても透明度が高く、青深いその石目は、降雨後や歳月を経ても変色がほとんどなく、四季のある日本の風土に適していて、墓石材として理想的といえます。

<天山石の石材物性データ>
■見掛け比重 2.68 g/㎤ ■吸水率 0.059%(平均値)
■圧縮強度 192.50 N/㎟ ■モース硬度 6.5

天山石の採石

天山石の採石現場は、佐賀県唐津市中心部から車で30分程の場所、玉島川の上流に広がる静かな山里・七山地区にあります。

古事記や日本書紀によると、2000年ほど前に神功皇后が食事休憩中に鮎釣りをした石(垂綸石<すいりんせき>)が、玉島川には残っています。この石は天山石と同じ起源の花崗岩です。なおこの石のことは、山上憶良が万葉集で詠っています。

天山石の採掘現場は5ヘクタールにも及び、折り重なるように巨大な玉状の石が埋まっています。その玉状の石を掘り出し、産出される天山石は毎月1000才(1才≒0.0278m³)以上。重機で掘り起こされる様はまさに圧巻で、採掘された原石の30%以上が商品価値のある石です。 現在のところ推定できるだけでも20年以上の埋蔵量があると考えられています。

天山石の歴史

天山石が採掘される唐津市七山地区からほど近い場所にある小城市牛津町砥川(とがわ)地区は、古くから石工の里として知られています。かつては「砥川石工」と呼ばれる石工の集団が活動し、その名は広く世に知られていました。砥川地区では石の加工品の製造販売を行い、手がけてきた歴史があります。

その砥川地区から江戸時代初期に、天才石工が彗星(すいせい)のごとく現れます。平川与四右衛門です。素材の石を七山地区で採掘し、牛津川を下り、砥川地区まで運んで作られた平川与四衛門の作品は、現在でも佐賀県内を中心に九州全域に残されています。

その他、天山石は江戸時代を通じて唐津藩の藩庁となった唐津城の石垣にも使われています。唐津湾の中心部に位置する唐津城は、関ヶ原の戦いの後、寺沢広高により築城されました。広高は、関ヶ原の戦いのときは東軍につき、加領された後も天草も治めるようになりましたが二代で途絶えます。その後、唐津藩は親藩となり、徳川家の親族が統治しました。
築城にあたっては玉島川や松浦川をつたい、その下流にある唐津城まで運び、石段や石垣を作ったと推察されます。

唐津市七山地区は、海や川が近い事で生産や輸送の地の利を得ていたようです。

このように古くから地元で使われてきた天山石ですが、墓石に使用するための本格的な採掘が始まったのは昭和40年代からです。

その青深く透明度の高い石目と、極めて硬く経年劣化の少ない石質から、日本屈指の銘石として今では全国で人気が高まっています。

◆天山石の採石場の様子などがわかる動画もぜひご覧ください。
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