お役立ちコラム お墓の色々

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日本の銘石をめぐる~茨城県石岡市・やさとみかげ

墓地・墓石コラム

日本の銘石をめぐる~茨城県石岡市・やさとみかげ

家族の心の拠りどころであるお墓は、日本の季節、土地や人に馴染んだ日本の石を選んでいただくのが一番です。ここでは、日本各地で産出される銘石をご紹介し、その魅力と背景にせまります。今回は茨城県の「やさとみかげ」です。

<<石岡の地図画像>>

やさとみかげの産地

やさとみかげの産地・茨城県石岡市は、かつて常陸国の国府が置かれた都市です。長らく常陸府中(ひたちふちゅう)や常府(じょうふ)などと呼ばれていました。ここには「茨城(ばらき)」という地名があり、県名発祥の地と言われています。1869年(明治2年)の版籍奉還の際に、石岡と改名されました。
市の西部にある足尾山・吾国山・真家山・峰寺山には、ハンググライダー・パラグライダーの離陸場があり、日本有数のスカイスポーツエリアとして知られています。
また毎年9月に関東三大祭の1つ「常陸國總社宮例大祭」が行われることでも有名です。

やさとみかげの特徴

やさとみかげは、白色の花崗岩で、淡く青みがかった上品な色合いと、点在する石英(薄い灰色)が特徴です。サビが出にくく、光沢を長く保ち、また適度な硬さのため加工しやすく、墓石はもちろん、建築、記念碑、モニュメントなどに数多く利用されています。

やさとみかげが主に産出されるのは、石岡市の加波山(かばさん)です。全長50m、高さ35mの採掘場は、約100万m³の国内屈指の埋蔵量を誇ります。加波山には700を超える礼拝地が存在し、その一角で採掘されるやさとみかげは、神が宿る神聖な石ともいわれています。

風化に強く、厳しい風雪に耐えうる耐久性を持つなど、日本の風土に適した石です。数百年前に海岸沿いに建立された墓石や石碑が、今なおそのかたちを存在させていることから、潮風にも強い石といえます。

<やさとみかげの石材物性データ>
■見掛け比重 2.659 t/㎥ ■吸水率 0.2% ■圧縮強度 161.32 N/m㎡

やさとみかげの採石

大正から昭和にかけて主流だったのは、火薬を用いた発破の技法です。その後は、火力による岩石の切断(ジェットバーナー)が主流となりました。ただ、これらの技法は、騒音や粉じんといった環境問題の原因となりました。また「ジェットバーナー」は、熱によって切断面をロスしてしまうことも課題でした。

現在では「ワイヤーソー」と呼ばれる機械を導入し、環境と生産性の問題を解決しています。やさとみかげを安定して供給することも可能となりました。

ワイヤーソーを用いた採石技法で効率と生産性は高まりましたが、ベテラン職人がこれまで培ってきた確かな目と腕は、銘石の産出に欠かすことはできません。

熟練した経験で石目を見極め、サビやキズなど石材の欠点を考慮してそれを上手に除外する。やさとみかげの品質を支えているのは、原石を切り出す熟練の職人技があってこそです。

やさとみかげの歴史

明治時代になって欧米の建築様式が伝わり、東京では近代化都市計画の動きが活発になりました。それに伴い『石』は礎石や石垣だけではなく、壁材や床材として使われるようになります。

しかしながら、当時、加工用で良質な石材は関東周辺にはありませんでした。良質な石材を探すため、政府が国勢調査を行い見つけたのが、茨城県西部周辺で算出される真壁石、稲田石、やさとみかげ、羽黒青糠目石でした。

この固く丈夫で美しい良質な石材は、たちまち広まり、迎賓館、日本銀行、東京商工会議所、司法省などの多くの建物に使用されていきました。

これをきっかけに、茨城県では、大々的に花崗岩が採掘されるようになります。
1923年には加波山の採石場からのレールが敷かれ、筑波鉄道を通じて首都圏へ石が多く運ばれるようになり、やさとみかげは広まります。

やさとみかげは日本を代表する国産石材のブランドであり、また日本の近代建築を支えた石でもあるのです。

やさとみかげが使われた主な建造物

皇居新宮殿、最高裁判所、迎賓館、楠木正成像(東京都千代田区)、日本銀行、東日本大震災慰霊碑「千年塔」、帆引き船発祥の地碑(かすみがうら市)

やさとみかげが使われた主な墓石

岸信介(山口県布施町)、安倍晋太郎(山口県長門市)

◆やさとみかげの採石場の様子などがわかる動画もぜひご覧ください。
日本のお墓「いい石この石」