お役立ちコラム お墓の色々

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一度は見ておきたい重要文化財/石塔シリーズ・奈良の旅編・その2

供養・埋葬・風習コラム

一度は見ておきたい重要文化財/石塔シリーズ・奈良の旅編・その2

日本では、国内にある建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財の中で、歴史上・芸術上の価値が高いもの、または学術的に価値の高いものを、文化財保護法に基づき重要文化財として指定、保護しています。

全国各地にある石仏や石塔の中にも、重要文化財の指定を受けているものがいくつもあり、その所有者や地域の人々によって、石仏や石塔に込められた想いや由来が語り継がれてきたことで、今もなお私たちに歴史や文化の息吹を感じさせてくれます。

今回は「一度は見ておきたい重要文化財/石塔シリーズ」と題し、歴史的価値、学術的価値の高い石仏や石塔をご紹介し、その魅力に迫っていきます。

観光情報も添えていますので、ぜひ実際に足を運んでいただき、その雰囲気を肌で感じ、目で愉しみ、心で歴史に触れてみてはいかがでしょうか?

一度は見ておきたい重要文化財/石塔シリーズ・奈良の旅編・その2

西大寺奥の院五輪塔(奈良県奈良市西大寺野神町)

西大寺(さいだいじ)は、奈良県奈良市西大寺にある真言律宗の総本山の寺院です。釈迦如来を本尊とし、奈良時代に孝謙上皇(764年に再び即位して称徳天皇)の発願により、僧・常騰(じょうとう)を開山(初代住職)として建立されました。

南都七大寺の1つに数えられ、奈良時代には壮大な伽藍を誇りましたが、平安時代に一時衰退します。

この西大寺を鎌倉時代に復興したのが、叡尊上人(えいしょうしょうにん/興正菩薩 こうしょうぼさつ)であり、その叡尊上人の御廟所(お墓)であるのが、西大寺奥の院(法界躰性院/ほうかいたいしょういん)五輪塔です。興正菩薩叡尊五輪塔とも呼ばれます。

五輪塔とは

五輪塔は平安時代に誕生したといわれる墓石デザインです。
上段から「空輪」「風輪」「火輪」「水輪」「地輪」と呼ばれる墓石があり、それぞれ自然の五大元素を表しています。

五輪塔を建てると亡くなった人はみな、最高の位と最高の世界へゆけるとされ、今日もなお宗派を問わず「ありがたい最高のお墓」とされています。

五輪塔について詳しくはこちらの記事をお読みください。

五輪塔の歴史と特徴をわかりやすく解説します

特徴

西大寺奥の院五輪塔は花崗岩製で、総高342cm。日本最大級の石塔です。五輪塔本体だけで約180才※注 の石材を使用しています。

※注)1才=約27,818cm³=約0.028m³
 「才」という単位は運送業界でも使われていますが、
 運送業界では「才=8kg」、お墓は「才=約80kg」と
 同じ容積でありながらその重さに違いがあります。
 つまり、西大寺奥の院五輪塔の重さは 80kg×180才=14.4トン となります。

西大寺の本堂や四王堂をはじめとする主要な建物がならぶ境内地から、北西に徒歩10分ほど離れた、郊外の町並みの中にひっそりと佇んでいます。

一辺13.7mの二重基壇の中央に繰形座(くりかたざ/下側へ反転するように開いた蓮弁を刻まない、素面の台座)を置き、その上に、堂々として雄大な五輪塔が安置されています。

五輪塔は、地輪から空輪に向かうにつれ、寸法が少しずつ小さく調整されているのが特徴で、その絶妙なバランスから生み出される美しさは、見る人を穏やかな気持ちにさせます。

厳かでどっしりとした重量感の中に精緻な優美さが見られ、現在の石工の中でも見本とされる五輪塔です。

歴史

叡尊上人は、正応3年(1290年)8月25日に90歳で遷化(死去)され、西大寺の北西にある森林で荼毘に付されました。その地に営まれた御廟所が「西大寺奥の院」です。五輪塔は弟子たちによって建てられたと言われ、その大きさは、師への畏敬の想いを表したものなのかもしれません。

現在も、叡尊上人の命日である8月25日には「興正菩薩忌」が毎年行われ、約700個の灯明が灯された五輪塔の周囲を、僧侶と檀信徒とが共に光明真言を唱えながら回り、叡尊の遺徳をしのんでいます。

なお、平成8年3月22日に奈良県の重要文化財に指定されました。

周辺の観光情報

毎年6月〜8月になると西大寺では本堂前の東塔跡の周囲が100鉢の蓮で彩られ、まるで極楽浄土をイメージさせるかのような荘厳な光景を見ることができます。

また、西大寺のある奈良市西部エリア「西の京」(かつて平城京のメインストリート「朱雀大路」の西側に位置)には、西大寺の他にも蓮で有名な寺院があります。それは、喜光寺、唐招提寺、薬師寺です。各寺院の境内にも無数の蓮の鉢が置かれ、初夏から夏の間にかけて様々な蓮の花が咲き誇ります。

この4つ寺を繋ぐ道は「ロータスロード」と呼ばれ、毎年蓮の見頃に合わせて花とお寺巡りを楽しめる共通拝観券が発売されるなど、大きな賑わう観光スポットです。

※新型コロナウイルス感染症の影響で、拝観時間等が変わる場合がございます。
 拝観の際は、各寺院の情報をご確認の上お出かけくださいませ。

交通アクセス

<鉄道>
近鉄大和西大寺駅から北西に徒歩10分

<自動車>
第二阪奈道路「宝来IC」から国道308号経由で約6分
京奈和自動車道「山田川IC」から学研都市連絡道路/国道163号で約17分

一度は見ておきたい重要文化財/石塔シリーズ・奈良の旅編・その2

長岳寺五輪塔(奈良県天理市柳本町)

長岳寺(ちょうがくじ)は、奈良県天理市にある高野山真言宗の寺院です。阿弥陀如来を本尊とし、淳和天皇の勅願により天長元年(824年)に空海(弘法大師)によって開かれたとされています。
大門をくぐってすぐ右手に進むと五輪塔群が見えてきます。その中央に立っている五輪塔を今回は紹介いたします。

特徴

長岳寺五輪塔は、花崗岩製で高さは約206cmです。一段切石の基壇上に、大和式の複弁反花座を置き、その上に据えられています。

複弁反花座とは、中央の隆起部分で二分されている下向きの蓮の花びらが刻まれた台座のこと。地域や時代によって特徴が出る部分でもあります。

中央から左右に少し流れるように優美に蓮の花びらが細工され、その膨らみに豊かさがあるのが大和式の特徴です。

複弁反花座の上には、方形の請座と呼ばれる台座が設けられており、これも「大和形式の複弁反花座」の特徴となっています。

では、五輪塔の特徴を上から順に見ていきましょう。

空輪・風輪
一石でつくられ、空輪は宝珠の形をしています。

火輪
軒の先端は厚く作られ、また軒反は力強くなっています。

水輪
ほぼ球形です。洗練された形をしています。

地輪
四面とも無地で、四門の梵字や刻銘はありません。

歴史

長岳寺五輪塔群の中央にある五輪塔は鎌倉時代後期に建てられたものです。それ以外にも鎌倉時代後期~南北朝時代の五輪等や宝篋印塔が建ち並びます。

長岳寺は戦国時代の文亀3年(1503年)に兵火により消失、以降も境内の東にある竜王山に居城を構えていた十市氏(とおちし)と松永弾正との合戦の主戦場になるなど、度重なる兵火により建物が焼失します。

さらには、豊臣秀吉の寺社統治政策による寺領の没収、明治期の廃仏毀釈などの困難がありましたが、民間による大師信仰に支えられ復興し今日に至っています。

鎌倉時代から残る五輪塔群は、幾多の栄枯盛衰を見届け、時代の息吹を今に伝えます。

周辺の観光情報

長岳寺は有数の紅葉スポットとして知られ、全国紅葉100選にも選ばれている地です。自然に包まれた約10200平方メートルの境内では、例年11月中旬からモミジやカエデなどの木々が色付き、11月下旬頃まで美しい紅葉を眺めることができます。中でも本堂からの眺望が一番素晴らしいです。
日本最古の玉眼仏阿弥陀三尊像、鐘楼門などの重要文化財を有する寺院でもあります。「歴史いに想いを馳せ、美しい紅葉を眺める」。そんな大人な秋のひとときをぜひ過ごしてみてはいかがでしょうか。

交通アクセス

<鉄道>
JR桜井線柳本駅下車、東へ徒歩20分

<バス>
近鉄天理駅から桜井方面行きに乗車
または近鉄桜井駅から天理方面行きに乗車
上長岡(かみなんか)停留所で下車 東へ徒歩5分

<自動車>
西名阪自動車道「天理IC」から国道169号経由で約15分

まとめ

建てると亡くなった人はみな最高の位と最高の世界へ往けるとされ、今日まで宗派を問わず、「ありがたい最高のお墓」とされている「五輪塔」。

その大きさには、時に故人を想う気持ちが反映され、また、兵火や困難があろうとも、「五輪塔を大切にしよう」「次世代に受け継いでいこう」という想いが繋がることで、今も当時の面影を残しています。

故人を仏様とし、極楽往生を叶える五輪塔。
今回ご紹介したスポットにぜひ一度訪れて、体感してみてください。