お役立ちコラム お墓の色々

お役立ちコラム お墓の色々

- 供養をきわめる -

『鎌倉殿の13人』やぐらが特徴的な源実朝の墓

供養・埋葬・風習コラム

『鎌倉殿の13人』やぐらが特徴的な源実朝の墓

2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、主人公・北条義時の生涯を軸に、源平合戦から鎌倉幕府の誕生、そして源頼朝の死後繰り広げられる御家人同士の権力闘争と承久の乱までの様子が描かれます。

今回は鎌倉幕府の3代将軍・源実朝(みなもとの さねとも/「鎌倉殿の13人」では柿澤勇人さんが演じています)のお墓を取り上げます。

源実朝とは?

源実朝は、鎌倉幕府を開いた源頼朝と北条政子の次男として、建久3年(1192年)に生まれました。建仁3年(1203年)には、2代将軍であった兄の頼家が失脚し、実朝は12歳で元服、3代将軍となります。

ただ、政治の実権は北条氏にあったため、実朝は官位昇進のみを望むようになります。鎌倉幕府の公式歴史書である『吾妻鏡』には、「源氏の正統は実朝で絶えることになるので、せめて高官に昇り、家名をあげたい」といったことが記されています。

建保6年(1218年)には権大納言、左近衛大将、内大臣となり、同年12月2日には、武士として初めての右大臣に任じられます。しかしながら、その翌年である承久元年(1219年)に鶴岡八幡宮にて、当時鶴岡八幡宮別当であった公暁(くぎょう/こうぎょう)によって暗殺されます。『吾妻鏡』によると、公暁は「親(頼家)の仇」として実朝を暗殺したものと考えられますが、確かなことはわかっていません。公暁は頼家の子で実朝にとっては甥にあたる人物。源氏が源氏を討つという形で、鎌倉幕府の源氏将軍は3代で断絶したのでした。

実朝は歌人としても知られ、92首もの歌が勅撰和歌集に入り、小倉百人一首にも「鎌倉右大臣」として実朝が詠んだ歌が選ばれています。家集(歌集)として実朝が編纂した『金槐和歌集』があります。

源実朝の墓

源実朝の墓は、禅宗の寺院である鎌倉市の寿福寺(じゅふくじ)裏山の墓所にあります。寿福寺は実朝の母・北条政子が開基であり、政子の墓も実朝の墓の隣に建てられています。

どちらも、大きな岩壁の裏山を切り抜いた「やぐら」と呼ばれる横穴の中に、五輪塔が安置されている…といったものです。

五輪塔とは

五輪塔は平安時代に誕生したといわれる墓石デザインです。
上段から「空輪」「風輪」「火輪」「水輪」「地輪」と呼ばれる墓石があり、それぞれ自然の五大元素を表しています。

五輪塔を建てると亡くなった人はみな、最高の位と最高の世界へゆけるとされ、今日もなお宗派を問わず「ありがたい最高のお墓」とされています。

五輪塔について詳しくはこちらの記事をお読みください。

五輪塔の歴史と特徴をわかりやすく解説します

『鎌倉殿の13人』やぐらが特徴的な源実朝の墓

鎌倉に多くある墳墓・やぐら

鎌倉のあちこちにある、切り立った岩肌にぽっかり空いた洞穴…「やぐら」と呼ばれる横穴式墳墓は鎌倉独特のものです。三方を山、一方を海に囲まれ、天然の要害都市であった鎌倉にとって、平地の少なさは泣きどころでしたが、「やぐら」であれば平地面積を削らずにすむため、その数が増えていったのです。

やぐら内部の方形の空間は玄室(げんしつ)と呼ばれ、その中央には仏像や供養塔が置かれています。壁に彫刻が施されているものもあり、やぐらは死者を供養するお堂の機能も兼ね備えていました。
実朝の場合、牡丹唐草の文様が彩色されていたため「唐草やぐら」「えかきやぐら」と呼ばれています。

日夜戦いに明け暮れる鎌倉武士は、信仰心も篤く、やぐら供養はさかんに行われ、下記のやぐらが代表的なものとして挙げられます。

・瓜ガ谷やぐら群(鎌倉市山ノ内)
・瑞泉寺裏山やぐら群(鎌倉市二階堂)
・北条高時腹切りやぐら(鎌倉市小町3丁目)
・明月院やぐら(鎌倉市山ノ内)
・網引地蔵やぐら(鎌倉市扇ガ谷2丁目)

実朝の墓は、もう1つある

実朝の墓とされる場所は、実はもう1つあります。
鎌倉市から約30km離れた神奈川県秦野市郊外にある「源実朝公 御首塚(みしるしづか)」です。

記録によると、鎌倉幕府の有力御家人・三浦義村の家臣であった「武 常晴(たけ つねはる)」がこの地に実朝の首を埋葬したと伝わっています。一説によると三浦義村は公暁をそそのかし、実朝を討たせたとも言われており、実朝暗殺と北条氏打倒の企てがばれたために、実朝の首を持ってきた公暁を殺したと言われています。その際、「実朝の首」の処分に困り、家臣である武常晴の手に渡ったのです。武常晴は御首塚の近くに金剛寺というお寺を作ったとも伝えられています。

その後、御首塚が荒れてしまった時代がありましたが、700年たった1919年に近隣の人や秦野市民の手によってきれいに復興され、今日に至っています。

まとめ

源氏の血を引く武人として生まれながら、運命に翻弄され非業の死を遂げた源実朝。現在、その墓は、一般の人々も眠る平地の墓地を囲む斜面のやぐらの中に、ひっそりと佇んでいます。

今も地元の方の手によって花が手向けられ、大事にされているその姿に、きっと感じるものがあるに違いありません。ぜひ、現地に足を運んでみて、その雰囲気を実際に体感してみてはいかがでしょうか。

源実朝の墓(寿福寺)への交通アクセス

<鉄道>
JR横須賀線/江ノ島電鉄線 鎌倉駅から 徒歩9分

源実朝公御首塚への交通アクセス

<鉄道&バス>
小田急秦野駅から神奈川中央交通バス藤棚行きに乗車 15分
中庭停留所下車 徒歩3分

<自動車>
東名高速秦野中井ICから10分