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真言宗の開祖・空海の功績7選〜仏教だけではない、その多彩な足跡をたどる〜

「弘法大師(こうぼうだいし)」「お大師さま」と呼ばれ、今なお多くの人々から信仰を集めている空海。真言宗の開祖として知られるだけでなく、書道や教育、土木事業など、さまざまな分野でも功績を残し、日本の歴史や文化に大きな影響を与えた人物として伝えられています。
毎年6月15日には、空海の誕生を祝う「弘法大師降誕会(こうぼうだいしごうたんえ)」が、全国の空海ゆかりの寺院で行われています。地域をあげた大きな行事として受け継がれている場所もあり、今なお多くの人々に親しまれていることがうかがえるでしょう。
その一方で、「空海は仏教を広めた有名なお坊さん」というイメージはあっても、具体的にどのような功績を残したのかまでは、詳しく知らないという方も多いのではないでしょうか。
今回は、空海の足跡を辿りながら、その代表的な功績をご紹介します。
1.高野山を開き、日本に真言密教の教えを広めた
空海の最大の功績として知られているのが、真言密教を日本に広めたことです。
空海は804年、遣唐使として唐(中国)へ渡り、密教の高僧・恵果(けいか)から密教を学びました。恵果は、すぐに彼が優れた後継者であることを見抜き、わずか数ヶ月で、正しい継承者としての資格を授ける儀式である灌頂(かんじょう)を行い、密教の奥義を伝えたとされています。
帰国後は、嵯峨天皇の許しを得て「真言宗」を開宗すると、和歌山県の高野山を切り拓き、山内に修禅道場として壮大な伽藍を建立(現在の壇上伽藍)。さらに京都の東寺を布教の中心拠点とし、自身もそこに住みながら、弟子の育成や密教の普及に力を注ぎました。
さらに、自ら全国を巡って教えを説いたほか、弟子たちを各地へ派遣するなどして布教を進めました。その過程で、香川県の善通寺をはじめ、全国の多くの寺院を創建または再建したことが伝えられています。
空海が開いた高野山は現在、真言宗の総本山・金剛峯寺を中心とする日本有数の霊場となっており、多くの参拝者や修行者が訪れています。空海が広めた真言密教の教えは、今もなお多くの人々の信仰を集め、その精神は現代にも息づいています。
真言密教については、こちらの記事で詳しく解説しています。
2.日本の書道の礎を築いた
偉大な僧侶として知られる空海ですが、書の名人としても高く評価され、空海を厚く庇護したことで知られる嵯峨天皇や、遣唐使として共に唐へ渡った橘逸勢(たちばなのはやなり)と並び、日本書道史を代表する「三筆(さんぴつ)」の一人に数えられています。
国宝にも指定される名筆を残す
空海は、唐(中国)で本格的に書を学びましたが、その時すでに、楷書・行書・草書など幅広い書体を自在に操る才能を持っていたと伝えられています。空海が親しかった僧侶・最澄(天台宗の開祖)へ宛てた手紙『風信帖(ふうしんじょう)』や、弟子に位を授ける儀式に関する記録が書かれた『灌頂歴名(かんじょうれきめい)』は国宝に指定されており、ほかにも多くの傑作を残しました。
その書の才能は、唐文化を積極的に取り入れようとした嵯峨天皇にも高く評価され、嵯峨天皇自身も空海の筆跡を手本にしたと伝えられています。
日本独自の書の発展に貢献する
また、空海は多くの名跡(優れた書や筆跡)を持ち帰り、それを書き写すだけでなく、日本人ならではの感性や美意識を取り入れながら発展させ、日本書道の基盤づくりにも大きな影響を与えたとされています。
こうした功績から、空海は「本朝入木道(ほんちょうじゅぼくどう)の祖」とも称えられました。(「本朝」は日本、「入木」は、中国の名書家の筆跡が木板に深く染み込んだという故事に由来する、書道そのものを意味する言葉です。)
ことわざに語り継がれる書の名人
「弘法にも筆の誤り」「弘法筆を選ばず」ということわざが残っていることも、空海が卓越した書の名人であったことの証と言えるでしょう。ちなみに、「弘法にも筆の誤り」は、空海が嵯峨天皇の住まいでもあった平安宮の應天門(おうてんもん)の額を書いた際、「應」の一番上の点を書き忘れてしまったという逸話に由来し、「名人であっても間違うことがある」という意味で使われています。しかし空海は、掲げられた額を下ろさずに、筆を投げつけて書き直したとも伝えられており、元は「書き直し方も常人とは違う」と褒める意味が含まれていたとも言われています。
3.詩家・文筆家として、優れた詩歌や著作を残した
空海は、書の名人としてだけでなく、詩家・文筆家としても優れた才能を発揮しました。
論理的で格調高い文章や漢詩の手法を取り入れた文体に優れ、その文章力によって人々の心を動かし、さまざまな場面で活躍したと伝えられています。
有名な逸話の一つが、遣唐使として唐へ渡った際の出来事です。乗っていた船が予定とは異なる場所へ漂着した際、空海が大使に代わって手紙を書いたところ、役人がその優れた文章に感銘を受け、都・長安への入京が認められたとも伝えられています。
また、帰国の際には、前章でもご紹介した橘逸勢(たちばなのはやなり)の帰国を願う手紙を代筆し、その願いが聞き届けられたという話も残されています。
さらに、空海は書や詩歌、手紙のやり取りを通じて、嵯峨天皇をはじめとする皇族や高官との交流を深めました。こうして結ばれた人脈や信頼関係は、後に真言密教の普及を支える大きな力になったとも考えられています。
著作も数多く残しており、天皇の勅命によって編纂された勅撰漢詩集『経国集』には、選ばれた詩人の中で4番目に多い8首の詩が収められています。そのほか、詩作法や作文法をまとめた『文鏡秘府論(ぶんきょうひふろん)』や、真言密教の思想を体系的にまとめた『秘密曼荼羅十住心論(ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん)』など、多くの書物を著し、その一部は国宝にも指定されています。
4.日本最古の辞書を編纂した
中国語やサンスクリット語を巧みに使いこなし、通訳としても活躍したとされる空海は、日本最古の辞書として知られる『篆隷万象名義(てんれいばんしょうめいぎ)』の編纂にも関わったと伝えられています。
この辞書は、中国の字書『玉篇(ぎょくへん)』をもとに作られたもので、漢字を部首ごとに分類し、意味や読み方をまとめたものです。特に、篆書(てんしょ)や隷書(れいしょ)といった古い書体を記している点に特徴があり、当時の日本における漢字文化の理解や発展に大きく貢献しました。
また、サンスクリット語(梵語)を記すための文字である「梵字(ぼんじ)」を本格的に解説した書物『梵字悉曇字母并釈義(ぼんじしったんじもならびにしゃくぎ)』もまとめており、後の仏教経典の研究や理解を深めることにも大きく役立ったとされています。
5.芸術を使って密教の世界を伝えた
空海は、美術の分野にも大きな足跡を残しました。
真言密教では、言葉では説明しきれない「仏の世界」や「宇宙の真理」を、誰もが直感的に理解できるよう、「曼荼羅(まんだら)」と呼ばれる巨大な仏画を活用します。
空海は、唐から曼荼羅を持ち帰り、日本での制作を推進したと伝えられています。京都の神護寺に残る国宝『高雄曼荼羅(たかおまんだら)』は、日本最古の両界曼荼羅(大日如来を中心とした2つの中心的な世界を描いた曼荼羅)として知られています。
さらに空海は、京都の東寺(教王護国寺)講堂において、大日如来を中心に菩薩や明王など21体の仏像を配置し、曼荼羅の世界を立体的に表現しました。これは「立体曼荼羅」とも呼ばれ、仏像の大半が国宝に指定されるなど、現在も東寺を代表する文化財として多くの人々を魅了しています。
また、空海自身も仏像を彫ったという伝承が各地に残されており、優れた芸術的才能を持っていたことがうかがえます。
6.身分を問わず学べる学校を開いた
空海が生きた平安時代当時、学問を学べるのは、主に貴族など限られた人々だけでした。
そうした中、空海は天長5年(828年)、京都に「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」という学校を開設します。日本初の庶民向け私立学校とも言われており、身分や階級に関係なく学ぶことができる、当時としては画期的な教育の場でした。
綜芸種智院は、仏教だけに留まらず、儒教、道教などあらゆる思想や学芸(綜芸)を学ぶことができる、人が本来持っている仏の知恵(種智)を育てることを目指した先進的な学校であり、空海の入滅後に廃絶したものの、現在も、その理念と伝統は、京都府の種智院大学や、和歌山県の高野山大学などに受け継がれています。
7.土木・社会事業にも尽力した
空海の功績は、宗教や学問の分野だけにとどまりません。人々の暮らしを支える社会事業にも力を注ぎました。
特に有名なのが、空海が生まれた讃岐国(現在の香川県)にある日本最大級のため池「満濃池(まんのういけ)」の改修工事です。
満濃池はたびたび決壊を繰り返していたため、国守によって修築を進めていましたが、1年経っても完成の見通しが立たなかったと言います。そこで白羽の矢が立てられたのが、その高徳で知られ、故郷の誉とも言われた空海でした。現場の責任者として呼ばれた空海は、土木や治水の知識を生かし、独自のアーチ構造などを用いて改修に尽力。伝承では、わずか2〜3ヶ月で工事を完成させたとされ、農業用水の安定に大きく貢献したと伝えられています。
教えを説くだけでなく、人々の暮らしそのものを支えようとしたことも、空海の大きな功績の一つと言えるでしょう。
全国各地に残る、空海の伝説
ここまでにご紹介した他にも、空海の功績として伝えられている話や、数多くの伝説が、全国各地で語り継がれています。
有名なのは、四国八十八ヶ所霊場を開いたという言い伝えです。確かなことは分かっていませんが、一説には、人々の苦しみを救うために空海が修行した足跡が、四国八十八ヶ所の始まりになったとも伝えられています。
空海の故郷である香川県では、空海が日本にうどんを伝えたという説も広く知られています。うどんの製法を持ち帰ったという説や、小麦粉の生地に肉や餡を入れて煮た「混沌(こんとん)」と呼ばれる唐菓子が変化したという説などがあります。
その他にも、空海は全国を行脚する中で数多くの伝説を残しており、その数は5,000にも上ると言われています。中でも水にまつわる伝説は多く、空海が発見したと伝えられる温泉や井戸、湧水が全国各地に存在しています。
こうした伝説の中には、空海と共に旅をしたとされる犬にまつわる言い伝えもあります。今も残るその犬のお墓については、こちらの記事でご紹介していますので、ぜひあわせてご覧ください。
まとめ
今回は、弘法大師・空海の代表的な功績をご紹介しました。
空海は、真言密教を広めただけでなく、書道や語学、教育、芸術、土木事業など、さまざまな分野で人々のために力を尽くしました。その足跡からは、多くの人を救い、世の中をより良くしたいという強い願いがあったことがうかがえます。また、全国各地に数多くの伝説が残されていることからも、空海が多くの人に感謝され、深く信頼されてきた存在であったことが感じられるでしょう。
毎年6月15日には、高野山や東寺、善通寺をはじめ、全国の空海ゆかりの寺院で、その誕生を祝う「弘法大師降誕会」や「宗祖降誕会」が営まれます。地域のお祭りとして親しまれているところもあり、多くの人が空海の功績に思いを寄せています。
機会があれば足を運び、空海が残した教えや功績にふれながら、時代を超えて受け継がれてきた人々の感謝や敬意の心を感じてみてはいかがでしょうか。
「弘法大師降誕会」や、空海が開いた真言宗の教えを説く「御詠歌」についても解説しています。また、浄土真宗の開祖・親鸞聖人の降誕会についても紹介していますので、合わせてお読みください。