お役立ちコラム お墓の色々
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【朝ドラあんぱん】やなせたかしのお墓はどこにある?

子供から大人までみんなが知っているアニメ・それいけ!アンパンマンの作者で、NHKの朝ドラ「あんぱん」でも取り上げられている「やなせたかし」。漫画家で絵本作家、また詩人でもあったやなせさんですが、それらの仕事が軌道に乗るまではいろいろな仕事をこなしたといい、編集者・舞台美術監督・演出家・司会者・コピーライター・作詞家・シナリオライターなどの活動を行っていたそうです。やなせさんのバイタリティの源はなんだったのか、代表作であるアンパンマンはどうやって生まれたのか。その晩年は、そしてお墓は一体どこにあるのかをご紹介して行きたいと思います。
東京生まれ、高知県育ち
1919年(大正8)年2月6日に東京府北豊島郡滝野川町(現在の東京都北区)にて、やなせさんは生まれました。東京生まれですが、出生届は両親の出身地である高知県香北町に出されています。やなせさんは3歳まで東京で過ごしますが、1923(大正12)年6月、父が上海へ赴任したことに伴い、家族で上海へ引っ越します。程なくして父が中国の厦門(アモイ)市に転勤、この時父が単身赴任を希望したため、他の家族は帰国します。しかし1924 (大正13)年、父が赴任先で亡くなってしまいます。それをうけ、両親の故郷である高知県香北町の在所村へ引っ越します。そこで弟の千尋さんは高知県南国市で開業医をしていた伯父の寛さんの養子として引き取られ、やなせさんは登喜子さんとともに母方の祖母にあたる鐵(てつ)さんと一緒に、岸野という医者の家の離れで暮らし始めます。 その後高知市にある小学校に入学しますが、小学2年生の時に母である登喜子さんが再婚。やなせさんは弟がいる柳瀬医院で暮らすことになります。
困った時のやなせさん
やなせさんは子供の頃、少年クラブという漫画を愛読したそうです。中学生の頃から絵に関心を抱いて、東京高等工芸学校図案科(現・千葉大学工学部総合工学科デザインコース)に進学することとなります。絵に関しては、趣味人でもあった伯父に少なからず影響を受けたとも言われています。
1939年(昭和14年)に高等工芸学校を卒業し東京田辺製薬(現在の田辺三菱製薬)の宣伝部に就職しますが、1941年(昭和16年)に太平洋戦争が勃発します。やなせさんは徴兵のため大日本帝国陸軍の野戦重砲兵第6連隊補充隊へ入営 (兵役につくこと)します。当時は中等教育以上の学歴がある志願者は幹部候補生への選抜を受けることができたため、学歴を生かして幹部候補生を志願し、乙種幹部候補生に合格。暗号を担当する下士官となりました。
程なくして中国の福建省へ出征しますが、そこで戦闘が起こることはなかったそうです。暗号の作成や解読といった仕事や、占領した土地の住民を不安がらせないようふれ回る「宣撫(せんぶ)員」という役職だった事も相まって、やなせさんは一度も銃を打つことなく戦争を終えたそうです。
終戦後、しばらくは戦友たちと一緒にクズ拾いの会社で働きます。しかし絵への興味が再発、1946(昭和21)年に高知新聞社に入社し、月刊高知編集部で編集の傍ら文章や表紙絵、漫画などを手掛けますが、同僚でのちの奥様、小松暢(こまつ のぶ)さんが転職し上京するのを知ったたかしさんは、1947(昭和22)年に高知新聞社を辞め上京。この頃やなせさんは、漫画家を志すようになります。しかし東京での生活に不安があったやなせさんは兼業漫画家という道を選び、まずは三越に入社し、その後暢さんと結婚します。
三越の宣伝部で、猪熊弦一郎という方がデザインした包装紙「華開く」に筆記体「mitsukoshi」のロゴを描き入れたりなど、今で言うグラフィックデザイナーとして働いていたやなせさん。その傍で、漫画の執筆にも力を入れます。三越の社内報はもとより、新聞や雑誌でも作品を精力的に発表し、大人漫画やナンセンス漫画を主に発表していた「漫画集団」という団体に所属します。
1953年(昭和28年)3月には三越を退職。専業の漫画家として独立します。その後も精力的に漫画を発表していましたが、手塚治虫らが推し進めたストーリー漫画が人気になってしまったため、「漫画集団」の得意としていたジャンル自体が過去の物とみなされるようになってしまいます。
漫画家としての仕事が激減してしまったたかしさんでしたが、舞台美術制作や放送作家など、漫画家以外の仕事のオファーが次々と舞い込むようになり、生活的に困窮することはなかったとのことで、なんでもこなせてしまうその仕事ぶりから業界内では「困ったときのやなせさん」と言われていたそうです。
詩人・絵本作家へ
1960年代半ば、漫画集団の展覧会に、まだ小さな企業だった頃の現サンリオ(当時は山梨シルクセンター)の社長であった辻信太郎氏が来場し、たかしさんにグラフィックデザイナーとしてのオファーを打診します。そこからサンリオとの交流が深まったと言われています。
そんな折、やなせさんが処女詩集である『愛する歌』をサンリオから出版。この詩集は大ヒットを記録しました。これをきっかけに出版事業に乗り出したサンリオの下で、たかしさんは絵本の執筆も始めます。1969年には「十二の真珠」という短編のメルヘン集を発表。その作品の中の一つに『アンパンマン』がありました。しかしこの頃のアンパンマンは現在の子供向けものとは違い、ヒーロー物へのアンチテーゼとして作られた、いわば大人向けの作品でした。
1973(昭和48)年には雑誌「詩とメルヘン」を立ち上げ編集長を務める一方で「漫画家の絵本の会」を立ち上げるなど、やなせさんは詩人・絵本作家としての活動を本格化させて行きました。
同年に1969年発表したアンパンマンを子供向けに改作し、フレーベル館の月刊絵本の一つ「あんぱんまん(全6巻)」を発表。同作は当初評論家や保護者、教育関係者から「残酷だ」や「くだらない」などのバッシングを受けましたが、幼児層を中心に、次第に人気を得るようになって行きます。 それから15年後の1988(昭和63)年、テレビアニメ『それいけ!アンパンマン』の放映がスタートしました。放送開始時はスポンサーが少ないや、放送局が数局のみしかないなどの要素が重なっていたため不安視する声も上がっていましたが、放送開始からまもなくして大人気番組となり放送局が拡大。やなせさんは一躍売れっ子作家になります。1990年代以降、様々な賞を受賞するに至り、1996(平成8)年7月には出身地の高知県香美市に香美市立やなせたかし記念館「アンパンマンミュージアム」が開館されました。
やなせたかしさんのお墓はどこにある?
ユニークで元気なイメージが強いたかしさんですが、アンパンマンのヒットの時期から既に体調は良好ではありませんでした。60歳代末期から90歳代にかけて数々の病歴を重ねて行き、2012(平成24)年6月、高齢と体調不良を理由に12年勤めた日本漫画家協会の理事長を辞任。会長に就任します。 その後も表舞台に立ち続けますが、およそ1年後の2013年8月、体調を崩し入院。2ヶ月後の10月13日午前3時8分、心不全のため東京都文京区本郷の順天堂大学医学部附属順天堂医院にて、94歳の生涯を終え、静かに眠りにつきました。
たかしさんのお墓は、高知県香美市香北町の、実家の跡地である「やなせたかし朴ノ木公園」に建設されました。お墓というよりも石碑のような墓碑には「柳瀬家はここにあった 300年以上続いた旧家だが 今は影もかたちもない 一族の墓石は 後方の 山の中腹にある ぼくはここでねむりたい 故郷の土はあたたかい 木蓮科のマグノリア 一本の朴の木にぼくはなりたい 季節にははにかみがちに 白い花を咲かせて 風の中でゆれていたい やなせたかし」と刻まれています。また墓石の裏に「柳瀬崇 妻暢 慈に眠る」の文字が刻まれています。また墓碑の横にはアンパンマンとばいきんまんの石像も建てられています。この二つの像は向かって左側を向いていますが、同じ高知県にあるやなせたかし記念館・アンパンマンミュージアムの方向を向いているそうです。公園内には他にもたかしさんが残された詩と、アンパンマンのテーマソングが刻まれた石碑が建っています。
【やなせたかし朴ノ木公園】高知県香美市香北町朴ノ木405
まとめ
アンパンマンと「正義」というテーマについて、たかしさんは端的に「正義の味方だったら、まず飢えを助けるべきである」と述べていたそうです。また「空腹で困っている人に顔の一部を与えてしまうことで戦う力が落ちると分かっていても、目の前の人を見捨てることはしない。かつ、たとえどんな敵が相手でも戦いも放棄しない」というのがアンパンマンの位置付けである、と語っていました。
戦中プロパガンダの製作に関わっていたこともあったたかしさん。アンパンマンがヒーローへのアンチテーゼとして生まれた背景、つまり戦争を経験した中で「正義」という概念そのものに疑念が生まれたのではないでしょうか。
やなせさんのお墓を参ることで、ただ「戦争は良くないこと」「強い方が正義」などといった考えではなく、正しいことが 必ずしも正義であるとはいえないことや、主観で正義は変わっていくといった、やなせさんが残した想いを感じ取ることができるかもしれません。
今でも受け継がれる想いや絆があふれる場所お墓。一緒に訪れた人との語らいの時間にもなるのがお墓参りです。教科書や作品でしか知らない有名人・著名人ですが、お墓を巡ることで、実際にその人が生きていた時代を感じることができるでしょう。
マナーに十分に注意した上で、いろいろなお墓に参ってみてはいかがでしょうか。
アンパンマン列車に揺られ子供と一緒にアンパンマンミュージアムを訪れて、やなせさんのお墓にも訪れてみるのもいいでしょう。お墓参りの前にぜひ見て欲しい記事があります。