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【キングダム】中国を初めて統一した王、始皇帝・嬴政のお墓はどこにある?

墓地・墓石コラム

【キングダム】中国を初めて統一した王、始皇帝・嬴政のお墓はどこにある?

2006年より週刊ヤングジャンプに連載開始し、アニメ化はもとより実写映画化もされるなど、注目作品の一つ「キングダム」。主人公は下僕の身でありながら天下の大将軍を目指す「信(李信・りしん)」と、のちの始皇帝である秦王・嬴政(えいせい)です。
今回は中国を初めて統一した王である嬴政にスポットを当ててみたいと思います。
※今回の記事は漫画キングダムではなく、史記に沿っています。

13歳で王位継承

秦国の31代目の王である嬴政ですが、王位を継承するまでの道のりは順風満帆ではありませんでした。嬴政は敵国の一つである「趙(ちょう)」の王都・邯鄲(かんたん)にて生まれます。嬴政は、父である嬴異人(えい いじん、のちの荘襄王)が、人質として敵国・趙に送られていた時に生まれます。人質の身であった嬴異人を見た趙の商人・呂不韋は、「奇貨居くべし(これは珍しい価値を生み出す人物だ」と言い、嬴異人を秦王にし、その功績で秦国の権力を握る事を画策し担ぎます。
その後、嬴異人を趙の豪族の娘「趙姫(ちょうき)」と 引き合わせますが、趙姫は実は呂不韋の妾でした。しかし、そのことを隠して結婚させ、嬴政が誕生します。
紀元前257年、当時の王である昭襄王(キングダムの昭王)は人質の嬴異人のことなど意にも介さずに趙を攻めます。邯鄲が包囲され、危機を感じた呂不韋は嬴異人と共に秦へと脱出します。姫と政は趙に取り残されますが、巧みに潜伏し難を逃れ、秦の撤退を待ち、趙を脱出します。
紀元前250年、呂不韋の思惑通り子楚(しそ)(この頃「異人」から改名)が王位に付き、呂不韋は丞相の席を与えられます。しかし子楚は即位から3年で死去。政は13歳という若さで王位に就くこととなります。

呂不韋との権力争い

13歳の政に政治などできるはずもなく、実際実権を握っていたのは呂不韋だったと言われています。
大小さまざまな戦争を経て秦を強固な国にした呂不韋の実績(実際に合従軍を撃退したのは呂不韋であると言われています)により、大王の一つ下の位である「相国」へと昇進、地位と権力を盤石なものにします。
しかし呂不韋には一つだけ問題がありました。太后である趙姫(政の母)との関係が続いていたのです。この関係が露呈することは身の破滅を意味します。切りたくても姫が離してくれない事に悩んだ呂不韋は嫪毐(ろうあい)という男を代わりにあてがいます。その後、偽宦官である嫪毐は太后とクーデターを起こして、秦を乗っ取ろうとします。クーデターは失敗し、嫪毐と二人の子は処刑。裏で糸を弾いていた呂不韋も裁かれることとなります。
紀元前230年に加冠を済ませ、17歳にしてようやく秦の実権を得た政はさらに軍事力を拡大。中華統一へと乗り出します。
連載から18年たちましたが、キングダムではまだ一国も滅ぼしていないので、ネタバレを避けるため詳細はあえて書きませんが、紀元前221年、秦国は六国を滅ぼし中華統一を成します。
王よりも上の位であることから「皇帝」を名乗ります。初めての皇帝なので「始皇帝」とも呼ばれます。

始皇帝・嬴政のお墓はどこにある?

始皇帝のお墓ですが、ユネスコ世界遺産にも登録されている「兵馬俑」です(俑は人形の意味です)。正式には「秦始皇帝陵及び兵馬俑坑」と言います。
発見されたのは1974年で、地元の農家の方が井戸を掘っていると固いものに当たったためさらに掘り返してみると兵士の人形(頭部)が出てきました。これが兵馬俑坑発見のきっかけとなります。
陵墓はピラミッド型をしていて、地上に見えているその高さは76mほどです。ただ中国政府の現状保存の方針から発掘がほとんど進んでおらず、その地下の規模はいまだ未知数です。また兵馬俑は陵墓の1.5kmほど東にあります。その広さは約2ヘクタールで、東京ドームの半分ほどになります。現在も発掘が続けられている4つの俑坑からは2000体以上の兵士俑が発掘されていますが、これでもまだ一部。専門家の見立てでは8000体程度はあるのではと推察されています。
ちなみに兵士俑は全員が違う格好をしているそうです。
始皇帝が約70万人もの囚人を動員し、36年もの歳月をかけて完成させたと言われています( 一説では、二代皇帝胡亥(こがい。嬴政の末子)が作ったとも言われています)。始皇帝がいかに権力を有していたかがわかる規模の陵墓となっています。
いまだに発掘は続いており、その全容が分かるのはまだ先のこととなりそうです。

兵馬俑【秦始皇帝陵博物院】

まとめ

アニメは現在第5期まで放送されております。第6期の放送予定は今のところないようですが、合従軍編に次ぐ人気エピソード「鄴攻略編」となることが予想されます。
始皇帝・嬴政がなぜ中華を統一しようかと考えたかについては諸説あるため、はっきりとはわかりません。キングダムのように「戦争をなくすため」だったかもしれませんし、当時誰もなし得ていなかった「中華統一」という覇業を成し遂げたかっただけかもしれません。
分かっていることは、この頃の秦国には有能な人材が集まっていて、統一するだけの軍事力がありました。そしてそれをまとめ上げ、適所に置くことができる政治的手腕を持った嬴政の能力が合わさってなしえた偉業であるということです。
連載の方ではいよいよ一国目の制覇を成そうという佳境を迎える「キングダム」。その主人公である嬴政のお墓を訪れ、現地の空気を感じることで、その歴史と足跡をたどり、嬴政がどう最初の皇帝になりえたのか思い描いてみるのも良いかもしれません。

なお、本サイトでは同じく世界遺産として登録されている、歴代琉球(沖縄)国王のお墓も紹介しております。そちらも併せてご覧ください。

世界遺産「玉陵」名君・尚真王が築いた歴代琉球国王の墓

また、偉人のお墓参りをする人「墓マイラー」と呼ばれる方の記事も紹介しています。併せてご覧ください。

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