お役立ちコラム お墓の色々

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世界遺産「玉陵」名君・尚真王が築いた歴代琉球国王の墓

供養・埋葬・風習コラム

世界遺産「玉陵」名君・尚真王が築いた歴代琉球国王の墓

首里城から西へ徒歩5分にある玉陵(たまうどぅん)。玉陵は琉球王国の歴代の王と王族のお墓です。玉陵は琉球王国最盛期の王・尚真王(しょうしんおう)によってつくられました。今回は世界文化遺産、国宝でもある玉陵を取り上げます。

尚真王とは

尚真王(1465~1526年)は琉球王国の黄金期を築き上げた名君とされます。尚真王の治世は約50年間。歴代の国王の中では最も長く、その間に多くの功績を残しました。尚真王が基礎を築いた第二尚王統は明治まで続きました。

尚真王は各地に住んでいた地方の有力者・按司(あじ)たちから武器を取り上げて首里に集めて住まわせました。また、厳格な身分制度を確立して琉球王国の中央集権化を進め、離島の宮古・八重山地方も掌握しています。

今回ご紹介する玉陵だけでなく、世界文化遺産にもなっている園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)、王家の菩提寺でもあった円覚寺も尚真王によってつくられたものです。

玉陵とは

玉陵は1469年から1879年まで410年間続いた琉球国王・第二尚王統の墓です。第二尚氏の三代目の尚真王が父王・尚円王のために1501年に築いたとされます。

明治時代の琉球処分で琉球王国が消滅した後も大切に管理されていましたが、1945年の沖縄戦で大きな被害を受けています。1960年ごろから当時の尚家当主・尚裕(しょう・ひろし)氏が修復に着手。1972年、国の重要指定文化財、史跡に指定されました。その後、1974年から3年余りの歳月をかけて修復工事が行われ、元の姿を取り戻しました。
2000年には首里城などとともに世界文化遺産に登録され、2018年には国宝にも指定されています。

玉陵の構造、特色について

当時の首里城を模してつくられた石造りの墓は琉球列島における王の力を象徴しています。

沖縄特有の三角屋根のついた家のような形をした墓・破風墓(はふばか)で現存する破風墓の中でも最も古く、最大の規模を誇ります。明治時代まで、破風墓は王族以外が建てることを許されていませんでした。

広さは2442㎡、畳1500枚分ほどもあり、琉球石灰岩の石垣にぐるりと囲まれています。二つの門があり、奥の方に広がる墓のある広間には白いサンゴの砂利が敷き詰められています。
石でつくられている墓の欄干は鳳凰や獅子などが浮き彫りにされ、死後の王宮にふさわしい壮麗なつくりです。

玉陵の墓室は自然の石灰岩の洞くつを掘り広げてつくられました。東室、中室、西室の3室の墓室があり、東室には国王と王妃の遺骨が、西室にはそれ以外の王族の遺骨が納められています。

中室には「しるひらし」という洗骨前の遺体を安置しておく部屋があります。戦前まで沖縄は風葬が行われており、遺体を墓の中に安置して風化するのを待って骨を洗い清めてから納骨していました。玉陵のつくりにはその風葬、骨を洗う洗骨(せんこつ)の習慣を色濃く残します。

現在の日本では火葬が主になっていますが、火葬のほかにも多種多様な埋葬方法があります。世界のお墓事情、埋葬方法について書いた記事はこちらで読めます。

日本とは違う世界のお墓事情

洗骨について

洗骨は世界各地であり、日本では奄美・沖縄で見られた風習です。沖縄では洗骨前に遺体は風葬にされていました。沖縄のお墓が他府県のお墓に比べて大きいのは遺体をお墓に安置していたためです。その風葬から数年後に酒や海水で洗い清められていました。洗い清められた骨は家の形をした厨子(ずし)に納められ、再び墓に安置されます。
骨を洗うのは肉親の女性、主に長男嫁の役割でした。衛生的な問題があることや女性解放運動の広がり、火葬が一般的になったことで風葬、洗骨の習慣は姿を消しています。

玉陵の石碑からうかがえる王家の権力争い

玉陵の庭には石碑が建っており、玉陵に葬られるべき人が書かれています。その碑文によると玉陵に入れるのは尚真王と家族8人。そして、その子孫。しかし、なぜか尚真王の長男、次男と王妃は含まれていません。

尚真王の父・尚円王亡き後、尚真はまだ12歳でした。幼かった尚真に代わり王位に就いたのは尚円の弟・尚宣威(しょうせんい)でしたが、王位についてわずか半年、尚宣威は失脚し、まだ幼かった尚真が即位しています。この裏には尚真王の母・宇喜也嘉(おぎやか)の策略があったとされます。

尚真王の正室つまり王妃は尚宣威の娘でした。その王妃が産んだ長男は嫡子としての身分ははく奪されています。

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玉陵をまもる屋根の上の獅子

玉陵の屋根にはそれぞれ石の獅子がのっています。これらの獅子は玉陵と同時か同時期につくられたと考えられています。
沖縄の守り神といえば「シーサー」。シーサーは座っている姿か這っている姿がほとんどですが、玉陵の獅子は立った姿で子と戯れ、紐をくわえて玉で遊んでいる姿が描写されています。沖縄でよく見かけるにらみをきかせるシーサーとは異なるユーモラスな表情をしている玉陵の獅子も必見です。
獅子は沖縄戦で一部破損し、屋根から落ちていました。戦後は県立博物館に収蔵・展示されていましたが、1977年、玉陵の修復完了時に元の位置に戻されています。

まとめ

琉球王国の最盛期を築き上げた名君・尚真王。その尚真王が築いた玉陵は現在の日本では見られなくなった古い弔いの風習「風葬」「洗骨」を色濃く残す独特なお墓です。
玉陵は琉球王国が無くなってからも大切に守られてきました。沖縄戦でも大きな被害を受けましたがご子孫をはじめとする多くの方々の尽力によって往時の姿を取り戻しています。

「死後の首里城」ともいえる王族の墓・玉陵。にぎやかな観光地「首里城」のすぐそばにありながら、木々と石垣に囲まれたお墓は王の威厳と静寂さを感じさせる空間です。機会があれば、足を運んでその歴史と雰囲気を感じてみてはいかがでしょうか。

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玉陵への交通アクセス

住所:〒903-0815 沖縄県那覇市首里金城町1丁目3
※玉陵を見学するには入場料が必要です(大人300円、子供150円)。

モノレール

ゆいレール首里駅より徒歩約15分

バス

バス停「首里城公園入口」徒歩5分