お役立ちコラム お墓の色々
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- 供養をきわめる -
一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・愛媛の旅編
日本では、国内にある建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財の中で、歴史上・芸術上の価値が高いもの、または学術的に価値の高いものを、文化財保護法に基づき重要文化財として指定、保護しています。
全国各地にある石仏や石塔の中にも、重要文化財の指定を受けているものがいくつもあり、その所有者や地域の人々によって、石仏や石塔に込められた想いや由来が語り継がれてきたことで、今もなお私たちに歴史や文化の息吹を感じさせてくれます。
今回は「一度は見ておきたい重要文化財/石塔シリーズ」と題し、歴史的価値、学術的価値の高い石仏や石塔をご紹介し、その魅力に迫っていきます。
観光情報も添えていますので、ぜひ実際に足を運んでいただき、その雰囲気を肌で感じ、目で愉しみ、心で歴史に触れてみてはいかがでしょうか?
石手寺五輪塔(愛媛県松山市石手二丁目)
石手寺(いしてじ)は愛媛県松山市にある真言宗豊山派の寺院で、四国八十八か所51番札所となっています。本尊は薬師如来。遍路の元祖とされる衛門三郎が生まれ変わって再来したという伝説の残る寺院です。
入り口の仁王門は国宝に指定されています。また、本堂をはじめ、鐘楼・三重塔・ここで紹介する五輪塔などの計6件の重要文化財、そのほか多数の県指定文化財など、四国霊場では随一ともいえる文化財を所有する寺院でもあります。
2009年3月、ミシュランガイド(観光地)日本編において1つ星に選定されたことでも有名です。
寺伝によれば奈良時代、神亀5年(728)年に、伊予国を広く統治していた越智玉澄(おちのたまずみ)がこの地を霊地と悟り熊野十二社権現を祀ったことが始まりだと伝えられています。
五輪塔とは
五輪塔は平安時代に誕生したといわれる墓石デザインです。
上段から「空輪」「風輪」「火輪」「水輪」「地輪」と呼ばれる墓石があり、それぞれ自然の五大元素を表しています。
五輪塔を建てると亡くなった人はみな、最高の位と最高の世界へゆけるとされ、今日もなお宗派を問わず「ありがたい最高のお墓」とされています。
五輪塔について詳しくはこちらの記事をお読みください。
◆五輪塔の歴史と特徴をわかりやすく解説します
特徴
石手寺五輪塔は花崗岩製で、総高2.73m。保存状態がよく、損傷もみられず、当初の姿をよく残しています。
地輪、水輪、火輪、風輪、空輪の五輪が整い全体の均整が取れた重厚な様子が、この石塔の風格を感じさせます。
歴史
刻銘はありませんが、形式や技法から鎌倉時代の代表的な石造美術であるとされ、鎌倉幕府を開いた源頼朝の供養塔として建てられたと伝えられています。
建てられていた場所は、永禄10(1567)年の『石手寺住古図』によると、現在の場所から南東の石手寺境内裏山であったようですが、江戸時代以降、石手寺門前に移されていました。更に平成7(1995)年の国道拡幅工事によって、元の位置に近い現在の場所に戻さています。
なお、昭和27年11月22日に国の重要文化財に指定されました。
周辺の観光情報
石手寺はあらゆる不思議を秘めたスポットとしても有名で、お遍路さんのみならず多くの観光客が訪れます。
不思議スポットの中でも、お地蔵様の前を歩くことで四国八十八の洞内巡礼ができるとされる「マントラ洞窟」は有名です。洞窟から寺の裏手に抜けると、多くの日本の寺では味わえない雰囲気の彫像や建物を見ることができます。更に石手寺には七不思議と呼ばれる9つの言い伝え(七不思議の「七」は、沢山という意味)が残されており、渡ると足が腐ると言われる「渡らずの橋」(境内入り口)、お遍路の元祖衛門三郎が生まれ変わった際に握っていたとされる「玉の石」(宝物館)など、言い伝えにまつわる場所も見どころの一つとなっています。前述したように、たくさんの寺宝を所有するお寺でもありますので、境内をゆっくり散策するだけでも、充実した時間となりそうです。
石手寺が建つのは、道後温泉から1kmほどの場所です。また、松山市内には松山城などの観光地も点在しています。温泉で体を癒しながらの旅も良いのではないでしょうか。
交通アクセス
<鉄道(路面電車)>
伊予鉄道 道後公園駅または道後温泉駅から徒歩約16分
<バス>
伊予鉄バス 石手寺バス停から徒歩約2分
<自動車>
松山自動車道 松山IC 約25分
野間・馬場(ばば)・五輪塔(愛媛県今治市野間甲279)
愛媛県今治市野間の旧馬場地区の道端立っているのが、「馬場五輪塔」「野間・馬場・五輪塔」と呼ばれる五輪塔です。四国八十八か所54番札所 近見山 宝鐘院 延命寺から、車で約3kmの場所です。
今治市は愛媛県の中でも重要文化財となっている石塔が多い場所です。
特に野間地区は、昭和30年まで乃万村(のまむら)と言われた地区の一部で、この乃万地区には国重要文化財の石造物が10基以上、五輪塔のある野間地区だけでも4基の石塔が現存しています。
特徴
馬場五輪塔は花崗岩製で、総高2.33mです。
上から、笠となる火輪は勾配がゆるやかで、軒は力強く反っています。
水輪部は、最大径が上部にあり裾がすぼんだ壷形をしています。
地輪には、かなりすり減ってはいますが刻銘があります。刻銘には「志者、為亡妻紀氏女、乃至法界平等利益之故也、嘉暦元年(1326)丙刁四月日、願主紀氏□春」とあり、「紀氏が亡き妻の為、造立した」という内容が書かれています。
歴史
刻銘により、鎌倉時代後期の嘉暦元年(1326年)に造立されたことが分かります。前述の通り、この地方の有力者、紀氏が亡き妻の為に造立されたようです。
平成元年の解体調査の際、地輪上部に掘られた径約20cm、深さ15cmの円形の穴と、中に納められた人骨が見つかりました。更に、水輪部には漆塗りの木造五輪塔が納められており、この状態から、五輪塔の位置変更や積み替えはされていないと判断されました。
なお、昭和29年3月20日、同野間地区にある石造五輪塔2基(覚庵五輪塔)と共に、国の重要文化財に指定されました。
周辺の観光情報
前述したように、野間地区には他にも国の重要文化財に指定されている石塔があります。
例えば、馬場五輪塔から徒歩1分ほどの野間長円寺跡にある宝篋印塔。西に徒歩7分ほどのところに2基並んで建てたれており、夫婦のお墓と伝わる「覚庵五輪塔」などです。他にもいくつかの石塔が、「石造物と野間馬の小路」という道に沿って建てられており、それぞれに看板も出ています。
野間地区から少し西に位置する菊間町は、750年の歴史がある菊間瓦の産地です。現在でも瓦をはじめ、製瓦の技術を応用した工芸品なども造られています。「瓦のふるさと公園」内の「かわら館」では菊間瓦の製造工程や、日本各地の瓦、広島平和記念館より永久貸与された被爆瓦など貴重な資料が展示され、その伝統を感じることができます。
歴史ある今治の地を、伝統にも触れつつ巡ってみるのも良いのではないでしょうか。
交通アクセス
<公共交通機関>
JR今治駅より瀬戸内バス乗車、「延喜バス停」下車 徒歩約30分
<自動車>
松山市街より約55分
今治小松自動車道「今治湯ノ浦IC」より約20分
西瀬戸自動車道「今治IC」より約10分
まとめ
今回は、愛媛の旅編ということで、松山市の石手寺五輪塔、今治市の野間・馬場・五輪塔と、愛媛県に残る2つの五輪塔を紹介しました。
保存状態も良く地域の人々に大切に守られてきたことが伺えます。
亡くなった人を成仏させ極楽浄土へいざなうという大切な意味が込められた五輪塔。
ぜひ実際に訪れ、土地の様子や石塔に触れつつ、時代の流れや人々の供養の心に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。