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一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・滋賀の旅編・その3

供養・埋葬・風習コラム

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・滋賀の旅編・その3

日本では、国内にある建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財の中で、歴史上・芸術上の価値が高いもの、または学術的に価値の高いものを、文化財保護法に基づき重要文化財として指定、保護しています。

全国各地にある石仏や石塔の中にも、重要文化財の指定を受けているものがいくつもあり、その所有者や地域の人々によって、石仏や石塔に込められた想いや由来が語り継がれてきたことで、今もなお私たちに歴史や文化の息吹を感じさせてくれます。

今回は「一度は見ておきたい重要文化財シリーズ」と題し、歴史的価値、学術的価値の高い石仏や石塔をご紹介し、その魅力に迫っていきます。

観光情報も添えていますので、ぜひ実際に足を運んでいただき、その雰囲気を肌で感じ、目で愉しみ、心で歴史に触れてみてはいかがでしょうか?

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・滋賀の旅編・その3

西明寺石造宝塔(滋賀県犬上郡甲良町池寺)

西明寺(さいみょうじ)は、湖東三山の一つに数えられる天台宗の寺院です。
湖東三山とは、滋賀県湖東地方にある天台宗寺院、西明寺・金剛輪寺・百済寺の総称で、紅葉の名所としても知られています。
国宝第1号指定の建造物である本堂や、総桧の三重塔などがあり、2015年にはアメリカのニュース専門放送局・CNNのウェブ特集で厳島神社や金閣寺とならび「もっとも美しい場所31選(JAPAN,S31 most beautiful places)」にも選ばれました。
三重塔の裏手、山の斜面の平地部には石柵があり、その内側に建っているのが石造宝塔です。

宝塔とは

宝塔は、大日如来や法華経の安置を目的として建てられた仏塔です。筒型もしくは瓶や壺型の柱(塔身)の上に一重の笠(屋根)が乗り、笠の上に相輪(仏塔の頂上の飾り)を立てたものです。なお、石でつくられた宝塔は平安時代から江戸時代に数多く作られています。塔そのものが崇拝の対象となっており、現代でも供養塔として用いられています。

特徴

西明寺は、花崗岩製で高さは約2.15mです。塔身側面には「奉造立如法経塔」「嘉元二年十二月日、大工平 景吉」と銘文が刻まれています。大工の平景吉が、鎌倉時代後期の嘉元2年(1304年)の12月に、先師や二親の菩提のために建てたものであることを示しています。

相輪

九輪の彫り具合や請花・宝珠の形が秀逸で、隙のない美しさを見せています。

傘は隅棟(すみむね=屋根の隅で斜めに設けられた棟)をつくり、頂部に露盤を、笠の裏には二重の垂木型が刻まれています。

塔身

円形縁板状の作り出しの上に、側面が無地となった首部が造られています。また、軸部側面の四方には扉型が作り出されています。

基礎

背面の格狭間の中には、見事な近江文様の開蓮華が浮き彫りにされています。
また、基壇は3段の切石からなっています。

歴史

西明寺は平安時代の承和(じょうわ)元年(834年)に、仁明(にんみょう)天皇の勅願により三修(さんしゅう/さんじゅ)上人が開山したと伝えられています。石造宝塔はこの三修上人を供養する宝塔です。

戦国時代には戦火のため荒れ果てていましたが、江戸時代中期に望月友閑(もちづきゆうかん)によって再興されました。

なお、石造宝塔は昭和35年(1960年)2月9日に国の重要文化財に指定されました。

周辺の観光情報

西明寺の二天門手前右側には霊木「千年夫婦杉」があります。
もともと2本であった木が寄り添って1つになったもので、共に育っていることから「夫婦杉」と呼ばれています。木の後ろ側から子供のように若木が出ていることから、良縁、夫婦和合、子宝、安産の霊木とされ、さらに樹齢千年の長寿の木というところから、息災延命、家内安全の霊木ともされています。ぜひ幹や根にそっと手をあてて、その霊気をいただいてみてはいかがでしょうか。

※新型コロナウイルス感染症の影響等で、拝観時間等が変わる場合がございます。
 拝観の際は情報を事前にご確認の上お出かけくださいませ。

西明寺までの交通アクセス

<バス>
・JR琵琶湖線河瀬駅からバスで「金屋」停留所下車、徒歩20分

<自動車/米原方面から>
・名神高速道路彦根ICから国道307号線経由で約15分

<自動車/京都・大阪方面から>
・名神高速道路湖東三山スマートICから国道307号線経由で約6分
・名神高速道路八日市ICから国道307号線経由で約20分

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・滋賀の旅編・その3

懸所宝塔(滋賀県守山市金森町)

滋賀県守山市にある善立寺(ぜんりゅうじ)は、蓮如(れんにょ)上人の高弟・金森道西坊(かなもりどうさいぼう)によって室町時代中期に開かれた真宗大谷派の寺院で、以来、本願寺門徒にとって重要な役割を果たしてきました。
その善立寺の向いにあるのが金森御坊(かねがもりごぼう)です。金森御坊は善立寺が管理している金森道西坊の道場跡で、蓮如上人に関する遺宝が保存され、境内には国の重要文化財「懸所(かけしょ)宝塔」があります。

特徴

懸所宝塔は花崗岩製で、高さは3.83m。鎌倉時代後期の作と言われています。もともとは金ヶ森石ノ戸にあったものとされ、江戸時代に現在の地に移されたと伝わっています。
大型ながら細部のつくりもきめ細かく彫られている、宝塔の名品です。

相輪

相輪は完存しており、頂上の宝珠には火焔状に刻まれています。

降棟(くだりむね=屋根の大棟の妻の近くから、屋根の流れにそって軒先方向に降ろした棟)と隅棟が造られ、軒下には3段の段形があります。
屋根の軒反(のきぞり)も力強く美しいものとなっています。

塔身

塔身は胴部と首部を別石とし、胴部は四方に扉型が刻まれています。
胴部上部には円板部がつくられ、首部は2段あり下段に縁高欄の装飾、上段には柱が刻まれています。

基礎

基礎は四石でつくられ各面を二区に分けています。各石には格狭間が入り、内側には孔雀(くじゃく)を1羽ずつ、向き合うような形(対向孔雀)で刻まれています。
対向孔雀は近江の優れた石塔装飾法の1つで、懸所宝塔のように四面とも対向孔雀で装飾されているものは、他に例がありません。

歴史

金森道西坊は地元の有力者・川那辺(かわなべ)氏の出身で、若い頃から金森によく足を運んでいた蓮如上人とは近しい関係だったといわれています。2人の間柄を示す逸話が多く残されており、蓮如上人は金森道西坊の求めに応じて「正信偈大意(しょうしんげたいい=浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の主著「教行信証」の一部)」や最初の御文(教義を説いた蓮如上人の手紙)を書き与えています。

金森道西坊は寛正6年(1465年)に本願寺が取り壊されたときに、蓮如上人を金森に招き、蓮如上人はその後3年間金森に滞在して湖南の各地に教えを広めたとされています。

なお、懸所宝塔は、大正14年(1925年)4月24日に、国の重要文化財に指定されています。

周辺の観光情報

平成29年4月に完成した「草津川跡地公園(de愛ひろば・ai彩ひろば)」は、かつて天井川であった旧草津川が整備された公園です。緑あふれる憩いのスポットとして親しまれ、4月になるとde愛ひろばでは約200本の桜並木(ソメイヨシノ)が満開となります。
夜にはライトアップもされ、昼と夜、異なる美しさをもつ桜を楽しむことができます。

金森御坊への交通アクセス

<バス>
・JR守山駅西口から近江バス「杉江循環線」乗車約9分、「金ヶ森」停留所下車、徒歩約3分。

まとめ

今回は、滋賀県にある「西明寺石造宝塔」と「懸所宝塔」をご紹介いたしました。

宝塔は、平安初期に密教とともに伝来しましたが、その形は南天鉄塔(南天=南天竺(てんじく)で南インドのこと)に由来するといわれています。塔中から大日(だいにち)経が出てきたという説から、宝塔の造形は大日如来(にょらい)の三摩耶形(さまやぎょう=仏を表す象徴物)とされました。

故人に対する供養の心と共に、長い年月をかけて受け継がれてきたその姿を、ぜひ直にご覧いただき、当時の様子に想いを馳せたり、受け継いできた人々の心に触れてみてはいかがでしょうか。

なお、滋賀県内には他にも歴史的価値、学術的価値の高い石塔があり、「滋賀の旅編(その1)」では、「正法寺石造宝塔」「少菩提寺跡 石造多宝塔」、「滋賀の旅編(その2)」では、「比都佐神社 宝篋印塔」「梵釈寺 宝篋印塔」をご紹介しています。こちらの記事もあわせてお読みください。


一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・滋賀の旅編

一度は見ておきたい重要文化財/美術品シリーズ・滋賀の旅編・その2