お役立ちコラム お墓の色々

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一度は見ておきたい指定文化財シリーズ・奈良の旅編・その4

供養・埋葬・風習コラム

一度は見ておきたい指定文化財シリーズ・奈良の旅編・その4

日本では、国内にある建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財の中で、歴史上・芸術上の価値が高いもの、または学術的に価値の高いものを、文化財保護法に基づき重要文化財として指定、保護しています。

また、都道府県や市町村でも、それぞれ条例を定めて独自に文化財を指定し、保存と活用に努めています。

全国各地にある石仏や石塔の中にも、重要文化財や自治体の指定を受けているものがいくつもあり、その所有者や地域の人々によって、石仏や石塔に込められた想いや由来が語り継がれてきたことで、今もなお私たちに歴史や文化の息吹を感じさせてくれます。

今回は「一度は見ておきたい指定文化財シリーズ」と題し、歴史的価値、学術的価値の高い石仏や石塔をご紹介し、その魅力に迫っていきます。

観光情報も添えていますので、ぜひ実際に足を運んでいただき、その雰囲気を肌で感じ、目で愉しみ、心で歴史に触れてみてはいかがでしょうか?

一度は見ておきたい指定文化財シリーズ・奈良の旅編・その4

不動院五輪塔(奈良県山辺郡山添村春日)

奈良県の北東部、三重県との県境に位置する高原の村・山辺郡山添村は、村の面積の約65%を占める山林と豊かな大自然に囲まれています。その山添村にある村役場からすぐ東、山辺高校山添分校脇の高台に建っているのが、高野山真言宗の寺院「中央山龍巌寺・不動院」です。別名「やまぞえ不動院」とも言い、鎌倉時代中期に造られた不動明王を御本尊としています。

この不動院には、同じく鎌倉時代に建てられた五輪塔と宝篋印塔があります。

五輪塔とは

五輪塔は平安時代に誕生したといわれる墓石デザインです。
上段から「空輪」「風輪」「火輪」「水輪」「地輪」と呼ばれる墓石があり、それぞれ自然の五大元素を表しています。

五輪塔を建てると亡くなった人はみな、最高の位と最高の世界へゆけるとされ、今日もなお宗派を問わず「ありがたい最高のお墓」とされています。

五輪塔について詳しくはこちらの記事をお読みください。

五輪塔の歴史と特徴をわかりやすく解説します

特徴

不動院の門をくぐった右側に建てられた五輪塔は、花崗岩製で高さは約1.79mです。

刻銘

地輪の一側面には、

「願以此功徳 普及於一切」
「我等与衆生 皆共成仏道」

(意味)
願わくばこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、
我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜん

という法華経 化城喩品(けじょうゆほん)の偈(げ=仏様の功徳(くどく)をほめたたえる詩)と、

「正和二年 癸丑四月日」
「願主 良禅」

という正和2年(1313年)の造立を示す紀年銘、願主名が刻まれています。

鎌倉時代後期の造立であることは、強い軒反をしめした火輪にも表れています。
また、「良禅」は不動院の僧と考えられています。

大和形式の五輪塔

壇上積の基壇は側面が二区で、束と羽目石は一石で作られています。
各区に格狭間が刻まれ、檀上には複弁反花座を据え五輪塔を安置しています。

複弁反花座とは、中央の隆起部分で二分されている下向きの蓮の花びらが刻まれた台座のこと。地域や時代によって特徴が出る部分でもあります。

中央から左右に少し流れるように優美に蓮の花びらが細工され、その膨らみに豊かさがあるのが大和式の特徴です。

複弁反花座の上には、方形の請座と呼ばれる台座が設けられており、これも「大和形式の複弁反花座」の特徴となっています。

不動院宝篋印塔(奈良県山辺郡山添村春日)

宝篋印塔とは

宝篋印塔は、墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種で、「宝篋印陀羅尼経(だらにきょう)」という経典を内部に納めたことが、その名の由来となっています。中国から伝来し、日本で独自の発展をしたといわれ、鎌倉時代から江戸時代頃に全国各地で信仰の塔や墓石としてさかんにつくられました。子孫が宝篋印塔を礼拝供養すれば、成仏し、極楽浄土へ往生できるとされています。

一般的に上から「相輪(そうりん)」「笠」「塔身(とうしん)」「基礎」の4つの部位で構成されます。

笠の四隅には隅飾(すみかざり)と呼ばれる突起があるのが特徴です。

また、基礎の上面には反花(かえりばな/下側へ反転するように開いた蓮弁)を据えたり、塔身を2〜3段の階段状に据えることもあります。

塔身の4面に四方仏を梵字で刻むことなどから、宝篋印塔は多数の如来が集っているとも考えられ、ご先祖様の供養はもちろんのこと、子孫を守り、一族の繁栄へと導くともいわれています。

特徴

本堂向かって右側手前に建てられた宝篋印塔は花崗岩製で、高さは1.39mです。

相輪

相輪は欠損がなく当時の状態で完存しています。

笠の段形は、下2段・上5段で、隅飾は二弧輪郭付。内側は無地で、やや外傾して立っています。

塔身

正面には、蓮華座に坐し、右手に錫杖・左手に宝珠を持った地蔵菩薩が半肉彫りされ、地蔵の頭光背左右には「カ」、「ウーン」の小梵字が刻まれています。
残りの面には、月輪内に金剛界四仏の種子(しゅじ=梵字)が薬研彫りされています。
塔身四方仏の東面である阿閦(あしゅく)如来を地蔵に変えているところに、地蔵信仰の強さが表れています。

基礎

基礎上端は2段となっており、一側面には下記の刻銘があります。

「文保元丁巳二月日」
「願主禅尊」
「合力比丘覚信」
「沙弥道教」

比丘(びく=男性の出家修行者)「覚信」と、沙弥(しゃみ=見習いの男性出家修行者)「道教」が力を合わせ、願主「禅尊」により文保元年(1317年)に造立されたことを示しています。

なお、基壇上にある複弁の反花座(かえりばなざ)は、当初のものでなく他のものが流用されています。

歴史

不動院の創始は、織田信長の時代である元亀天正年間(1570年~1580年)と伝承されています。
かつて、この村の出身であった僧・長音法師は、織田信長が高野山を攻めるという噂を聞き、大西村丸山にあった安楽院を現在の春日に移します。ここで不動明王を得た長音法師が本尊として祀った事が、不動院の始まりとされています。 江戸時代には、この地域の領主であった旗本奥田氏の菩提寺としても栄えました。
山号「中央山」、寺号「龍巌寺」、院号「不動院」は、その奥田家より拝領されたものです。

なお、五輪塔・宝篋印塔はともに昭和41年(1966年)9月20日に村の指定文化財となりました。

一度は見ておきたい指定文化財シリーズ・奈良の旅編・その4

周辺の観光情報

不動院のある山添村は、巨石や巨岩の宝庫です。それらの一部は、古代人の信仰の対象、あるいは祭祀の場所であったと考えられ、磐座/岩座(いわくら)、聖石、石神とも呼ばれています。
山添村のシンボルとなっているのは、推定重量600t、直径7mの見事な球体をした大岩・長寿岩。山添がアジア大陸東縁部にあったおよそ1億年前に、10〜20kmの地下深くでマグマが固まった「花崗岩」です。
また、黒い岩が川のようになった奇景「鍋倉渓(なべくらけい)」には、「天狗が争って投げた岩のあと」という伝説のほか、古代人が夜空の天の川を岩で表したとの見方もあります。なお、鍋倉渓は毎年8月上旬から中旬にかけてライトアップされ、昼間とは異なる景観を楽しむことができます。

※新型コロナウイルス感染症の影響等で、イベント内容等が変わる場合がございます。
 お出かけの際は、イベント主催者による情報等をご確認の上お出かけくださいませ。

不動院への交通アクセス

<自動車>
・名阪国道「山添」IC下車、
 山添村役場前を通り、奈良県立山辺高等学校山添分校方面へ、車で約4分。
 山添村総合スポーツセンター、グラウンド奥にあります。

まとめ

今回は、奈良県・不動院にある五輪塔と宝篋印塔をご紹介いたしました。

「五輪塔」を建てると、亡くなった人はみな、最高の位と最高の世界へゆけるとされ、今日もなお、宗派を問わず「ありがたい最高のお墓」とされています。

また、数は多くありませんが、宝篋印塔も一族のお墓などとして現代でも建てられることがあり、時代と共に形を変えながら供養の想いが受け継がれています。

ぜひ現地に足を運び、2つの石塔を見比べてみて、供養の心を感じ、歴史に想いを馳せてみてください。


なお、奈良県内には他にも歴史的価値、学術的価値の高い石塔があり、
「奈良の旅編(その1)」では、「当麻北墓五輪塔」「東大寺 伴墓三角五輪塔」
「奈良の旅編(その2)」では、「西大寺奥の院五輪塔」「長岳寺五輪塔」
「奈良の旅編(その3)」では、「西方院五輪塔」「室生寺五輪塔」
を、それぞれご紹介しています。こちらの記事もあわせてお読みください。


一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・奈良の旅編

一度は見ておきたい重要文化財/石塔シリーズ・奈良の旅編・その2

一度は見ておきたい重要文化財/石塔シリーズ・奈良の旅編・その3