お役立ちコラム お墓の色々
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一度は見ておきたい重要文化財/石塔シリーズ・神奈川の旅編
日本では、国内にある建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財の中で、歴史上・芸術上の価値が高いもの、または学術的に価値の高いものを、文化財保護法に基づき重要文化財として指定、保護しています。
全国各地にある石仏や石塔の中にも、重要文化財の指定を受けているものがいくつもあり、その所有者や地域の人々によって、石仏や石塔に込められた想いや由来が語り継がれてきたことで、今もなお私たちに歴史や文化の息吹を感じさせてくれます。
今回は「一度は見ておきたい重要文化財/石塔シリーズ」と題し、歴史的価値、学術的価値の高い石仏や石塔をご紹介し、その魅力に迫っていきます。
観光情報も添えていますので、ぜひ実際に足を運んでいただき、その雰囲気を肌で感じ、目で愉しみ、心で歴史に触れてみてはいかがでしょうか?
箱根宝篋印塔(神奈川県足柄下郡箱根町)
箱根山は東西約8km・南北約12kmにわたって広がる山域の総称で、神奈川県と静岡県の県境に位置します。主な山は、冠ヶ岳や駒ヶ岳、上二子山(二子山)などで、最高峰は神山(かみやま)の標高1438mです。
古くから交通の難所として知られる箱根山。明治時代の中学唱歌『箱根八里』の中では「天下の嶮(けん)」としてその険しさが歌われ、また、正月の箱根駅伝では、国道1号線の最高地点を通過する山越えコースは大きな見せ場となっています。
その国道1号最高地点の近く、駒ヶ岳と上二子山との鞍部(あんぶ=山の尾根のくぼんだ所)にある精進池(しょうじんがいけ)のほとりに、鎌倉時代後期に建てられた宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります。
宝篋印塔とは
宝篋印塔は、墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種で、「宝篋印陀羅尼経(だらにきょう)」という経典を内部に納めたことが、その名の由来となっています。中国から伝来し、日本で独自の発展をしたといわれ、鎌倉時代から江戸時代頃に全国各地で信仰の塔や墓石としてさかんにつくられました。
一般的に上から「相輪(そうりん)」「笠」「塔身(とうしん)」「基礎」の4つの部位で構成されます。
笠の四隅には隅飾(すみかざり)と呼ばれる突起があるのが特徴です。
また、基礎の上面には反花(かえりばな/下側へ反転するように開いた蓮弁)を据えたり、塔身を2〜3段の階段状に据えることもあります。
塔身の4面に四方仏を梵字で刻むことなどから、宝篋印塔は多数の如来が集っているとも考えられ、ご先祖様の供養はもちろんのこと、子孫を守り、一族の繁栄へと導くともいわれています。
特徴
箱根宝篋印塔は安山岩製で、高さは265cmです。基礎の刻銘から永仁四年(1296年)に作られたことがわかっています。
奈良西大寺の僧・忍性に招かれた大和(やまと)石大工が作った関東地方最初の古石塔とされ、この塔から関東様式の宝篋印塔が発展していったといわれています。
相輪
相輪は製作時のものではなく、後に補修されたものです。
笠
笠の軒廻りには、随求陀羅尼(ずいぐだらに)が小さい梵字で刻まれています。
塔身
四面とも輪郭が巻かれ、正面には釈迦如来、他の三面には胎蔵界四仏の種子(しゅじ=梵字)が刻まれています。
基礎
輪郭が巻かれ、その内側には大きな格狭間が刻まれています。
また、永仁4年(1296年)に大和石大工の大蔵安氏(おおくら やすうじ)が制作したことを示す文が刻まれ、さらに、4年後の正安2年(1300年)に、律宗の僧・良観(りょうかん)上人(=忍性/にんしょう)が開眼供養の導師をつとめたとの追刻が、石大工・心阿(しんあ)の銘で刻まれています。
歴史
かつて精進池辺りの道は、鎌倉時代に使われていた街道「湯坂路(ゆさかみち)」の一部であり、その中でももっとも厳しい峠でした。火山活動の残る荒涼とした地形であり、生き物の姿のない精進池付近は、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の分かれ道であるとされ、その六道を見守る地蔵菩薩信仰が盛んになったことから、多くの石仏が建てられたといわれています。
この宝篋印塔は、清和源氏発展の礎をつくったことで知られる武将・多田満仲(源満仲913?年~997年)の墓と近世以降に伝えられていますが、その由来は不明です。
なお、昭和36年(1961年)3月23日に国の重要文化財に指定されました。
周辺の観光情報
浅間山の麓、蛇骨川をのぞむ美しい樹林の中に「千条(ちすじ)の滝」があります。
その通り、幾すじもの繊細な水が、苔むした岩肌を緑色のビロードのように輝かせながら流れ落ちる清らかな滝です。幅約25m、高さ約3mと決して大きくはありませんが、マイナスイオン溢れる癒しの空間となっています。
箱根宝篋印塔までの交通アクセス
<バス>
小田原駅から伊豆箱根バス、箱根登山バス(箱根町、元箱根行)に乗車、約45分。
「六道地蔵」停留所下車。徒歩6分。
箱根湯本駅から伊豆箱根バス、箱根登山バス(箱根町、元箱根行)に乗車、約30分。
「六道地蔵」停留所下車。徒歩6分。
安養院宝篋印塔(神奈川県鎌倉市大町)
安養院(あんよういん)は、神奈川県鎌倉市大町にある浄土宗の寺院です。
もともとこの地には、鎌倉時代の僧・尊観(そんかん)が開いた浄土宗の善導寺がありました。のちに源頼朝の妻、北条政子が亡き夫の冥福を祈って建てた長楽寺が焼失したため、鎌倉末期にこの善導寺の跡に長楽寺を移し、政子の法名である安養院(あんよういん)を院号とし、これが寺院名になったといわれています。
その安養院の観音堂の背後には、尊観の供養塔といわれる宝篋印塔が建てられています。
特徴
安養院宝篋印塔は安山岩製で、高さは335cm。基礎の刻銘から鎌倉時代後期の徳治3年(1308年)の建立であり、鎌倉に存在する最古の石塔とされています。
反花座、基礎、塔身、露盤などに輪郭を巻き、反花座を豪華にするのが関東様式の宝篋印塔の特徴ですが、その代表格とでもいうべき逸品です。
相輪
相輪は製作時のものではなく、後に補修されたものです。
露盤(相輪の一番下にある四角い盤)は側面が2つに区切られた輪郭つきの関東様式となっています。
笠
段型は下2段、上5段。隅飾は二弧輪郭付きでやや外に傾いています。
塔身
輪郭が巻かれ、金剛界四仏の種子(しゅじ=梵字)が薬研彫りされています。
基礎
輪郭を巻き、2つに区切られ、内部は無地となっています。
また、西側の基礎、中央の束にある刻銘は「大檀那沙弥観杲」です。
そして、向かって右の束には「大工沙弥心阿」の刻銘があり、箱根宝篋印塔と同じく石大工・心阿が携わったものであると考えられています。
基礎の下部となる反花(かえりばな=上向きについた蓮弁)座も立派な造りです。
上部は立派な複弁の反花座。下部は輪郭を巻き、2つに区切られた格狭間があります。
歴史
安養院は、1333年(元弘3年・正慶2年)に続き、1673年(延宝元年)には再度焼失しますが、比企谷(ひきがやつ)の田代(たしろ)観音堂を移して合併再建します。現在の本堂は1928年(昭和3年)に再建されたものです。
本堂では、本尊の阿弥陀如来坐像や千手観音像、北条政子像などを祀っています。千手観音像は、源頼朝に仕えた田代信綱が厚く信仰していた観音像を胎内に納めたことから「田代観音」と呼ばれています。
また、頼朝の妻・北条政子がこの観音像に祈願したことで、頼朝と結ばれ天下をとったことから、良縁観音・昇竜観音とも呼ばれています。
なお、安養院宝篋印塔は、昭和29年(1954年)3月20日に国の重要文化財に指定されました。
周辺の観光情報
安養院宝篋印塔の隣にある小さい石塔は北条政子の墓とされています。
また、5月になると、その周辺をはじめ、寺の周りをぐるりと囲むようにオオムラサキツツジの花が見頃を迎えます。門前のツツジは通称「おばけツツジ」と呼ばれ、安養院のシンボルとなっていて、遠方からの観光客で賑わいをみせています。
※新型コロナウイルス感染症の影響で、拝観等の状況が変わる場合がございます。
事前に各寺院や観光サイト等をご確認の上お出かけくださいませ。
交通アクセス
<鉄道>
JR横須賀線鎌倉駅下車、東口から徒歩12分。
<バス>
京浜急行バス「鎌30・名越 逗子駅」または「鎌31・緑ヶ丘入口」行き乗車約4分。
「名越」下車徒歩2分
まとめ
宝篋印塔は鎌倉時代から江戸時代頃に全国各地で信仰の塔や墓石としてさかんにつくられたこともあり、今もなお、当時のままの姿を残すものが存在します。
そして、経年により一部を欠いてしまうことがあっても、地元の方の強い想いにより復元され、今日も美しい姿を見せてくれています。
長い年月をかけて受け継がれてきたその姿を、ぜひ直にご覧いただき、当時の様子に想いを馳せ、受け継いできた人々の心や歴史に触れてみてはいかがでしょうか。
関西の宝篋印塔を紹介した記事もございます。
関東様式・関西様式の違いをぜひご確認ください。
◆一度は見ておきたい重要文化財/美術品シリーズ・滋賀の旅編・その2