お役立ちコラム お墓の色々
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- 供養をきわめる -
一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・京都の旅編・その2
日本では、国内にある建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財の中で、歴史上・芸術上の価値が高いもの、または学術的に価値の高いものを、文化財保護法に基づき重要文化財として指定、保護しています。
全国各地にある石仏や石塔の中にも、重要文化財の指定を受けているものがいくつもあり、その所有者や地域の人々によって、石仏や石塔に込められた想いや由来が語り継がれてきたことで、今もなお私たちに歴史や文化の息吹を感じさせてくれます。
今回は「一度は見ておきたい重要文化財/石塔シリーズ」と題し、歴史的価値、学術的価値の高い石仏や石塔をご紹介し、その魅力に迫っていきます。
観光情報も添えていますので、ぜひ実際に足を運んでいただき、その雰囲気を肌で感じ、目で愉しみ、心で歴史に触れてみてはいかがでしょうか?
国内で最も古い様式の宝篋印塔
今回は、京都にあり国内で最も古い様式と言われる、代表的な宝篋印塔を2つご紹介します。
宝篋印塔とは
宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、供養塔や墓碑塔などに使われる仏塔の一種です。
「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経(宝篋印陀羅尼)」という経典を体現したもので、宝篋印塔を礼拝供養することによって、亡くなった人が現世で犯した罪を「滅罪」し極楽浄土へ往生できるとされています。参拝では「宝篋印陀羅尼」を唱え、塔の周りを右繞三匝(うにょうさんそう/仏に対して右回りに3回まわる参拝の作法)することで効力を発揮すると伝えられています。
宝篋印塔の形は、上から、細長い柱のような相輪(そうりん)・笠(蓋)・塔身・基礎・基壇で構成されています。方形(四角形)の塔身の上にのせられた笠が階段状になっており、その四隅に隅飾(すみかざり)と呼ばれる馬耳形の突起があるのが特徴です。
相輪とは、お釈迦様のお骨を納め供養する建物である「ストゥーパ(仏塔)」に起源を発するもので、上から宝珠(ほうじゅ)・竜舎(りゅうしゃ)・水煙(すいえん)・九輪(くりん)・請花(うけばな)・伏鉢(ふくばち)・露盤(ろばん)という部分から成ります。
高山寺宝篋印塔(京都府京都市右京区梅ケ畑栂尾(とがのお)町)
高山寺は、「鳥獣人物戯画」、明恵(みょうえ)上人坐像など、多くの文化財を収蔵する寺院として知られています。境内が国の史跡に指定されており、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。
その高山寺の境内には明恵上人の墓所である「明恵上人御廟(ごびょう)」があります。御廟域内の手前左手の一段高くなった所に、左から宝篋印塔と少し背の低い如法経塔が並んでおり、どちらも重要文化財に指定されています。今回は宝篋印塔についてご紹介します。
特徴
高山寺宝篋印塔は花崗岩製で総高2.37m、籾塔形(もみとうがた/宝篋印塔の元となった、籾一粒を納める木製で5センチメートルほどの小さな塔)にならった原始的な形で、日本に残されている宝篋印塔の原型と言われる代表的な形をしています。
塔の悠然さを引き立てているのが、直立した大きな馬耳形の角飾りです。笠とは別石で作られ、曲線部分がわずかに二弧を描いています。
九輪の上部が欠けていますが、日本における宝篋印塔の成立を考える上で最古級の重要な遺品でもあり、この形式のものは「高山寺型」と呼ばれています。
歴史
高山寺は、13世紀初めに華厳宗(けごんしゅう)の僧である明恵上人が再建した寺院です。
国宝「鳥獣人物戯画」、明恵上人坐像など、多くの文化財を収蔵する寺院としても知られています。境内が国の史跡に指定されており、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。
『高山寺縁起』という書物(明恵上人の弟子である沙門高信の著)には、暦仁二年(1239)、「明恵上人の徳恩に報いる為に髪爪を納め、大唐阿育王塔(あしょかおうとう)の形を模し外畑の歓喜園に塔婆を造立した。」との項目があります。その塔婆がこの宝篋印塔にあたるというのが通説になっていますが、同一物かどうか実際のところは明らかになっていません。
なお、1955年2月2日に国の重要文化財に指定されました。
高山寺周辺の観光情報
高山寺は、京都にある17カ所の世界遺産の内の一つです。大きく目立つ建物はありませんが、楓の古木が茂り静寂に包まれた空間で歴史を感じることができます。また、紅葉の名所でもあり、秋には境内や参道が美しく彩られます。
茶の発祥地としても知られる高山寺境内では、今も茶園が営まれています。茶祖明恵上人に新茶を献上する法会が、毎年11月に開山堂にて執り行われ、開山堂内の明恵上人坐像を拝することができる貴重な機会となっています。
高山寺から車で3分ほどの範囲には他にも有名な寺院があります。
西明寺(さいみょうじ)
運慶作と伝わる釈迦如来像の立像が有名で、新緑、紅葉、雪景色と四季折々の静かで美しい風景が見られる。
神護寺(じんごじ)
紅葉の名所として知られ、国宝の薬師如来像をはじめ数多くの寺宝を所蔵している。
交通アクセス
栂尾山 高山寺
住所:京都市右京区梅ヶ畑栂尾町8
<バス>
JRバス
・JR京都駅から高雄・京北線「栂ノ尾」「周山」行で約55分、「栂ノ尾」下車徒歩1分。
市バス
・京都市営地下鉄四条駅(四条烏丸)から8系統で約50分、「栂ノ尾」下車徒歩1分。
<自動車>
近畿北部方面:京都縦貫自動車道「園部IC」より約60分
東京・名古屋方面/大阪・神戸方面:名神高速道路「京都南IC」より約50分
為因寺宝篋印塔(京都府京都市右京区梅ヶ畑奥殿町)
為因寺(いいんじ)は、高山寺から車で5分ほどの場所にあります。「為因庵」とも呼ばれ、集落の中にひっそりと佇む浄土宗の小さな寺院です。
門を入って右手の小さな庭に、国の重要文化財に指定されている宝篋印塔があります。
元々この付近には、高山寺の別院として華厳宗の善妙寺が建てられていたとされ、廃寺となった後に為因寺として再興されたようです。
善妙寺は、鎌倉時代、高山寺の明恵上人が承久の乱で未亡人になった公卿の妻達を救済収容するために建立したとされる尼寺で、為因寺の宝篋印塔はこの善妙寺の遺品であると言われています。
特徴
為因寺の宝篋印塔は花崗岩製で総高2.1m、高山寺宝篋印塔とともに、「高山寺型」と呼ばれる国内の宝篋印塔の中で最古の様式を示しています。
塔身は縦長で、笠の階段状の部分は下二段・上六段の二石、更に隅飾も別石で造られています。馬耳形の隅飾は、高山寺のものと同様に縦長で大きく直立していますが、こちらは曲線部分に切込みがなく一弧となっています。
基礎の一部と相輪の一部が欠損していますが、ほぼ完全に近い状態で残された貴重なものです。
歴史
前述したように、善妙寺の遺構と言われ、背面に「文永二(1265)年乙丑/八月八日建之」の刻銘があることから、鎌倉時代中期(1265年)に造られたことが分かっています。
西側正面には「阿難塔」と刻まれています。阿難(あなん)は、釈迦の十大弟子の一人で、初めて女性が出家する道を開いたとされる人物です。この逸話に因み、善妙寺の尼僧たちが阿難を供養して建立したと言われています。
この宝篋印塔は、1956年、善妙寺の跡地である場所に高雄小学校を建設する際、工事中に地中から発見され今の場所に移されました。明治時代、明治政府の神仏分離令後の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により破壊されそうになったところを、後世に残すために埋められたのだと言われています。
1955年2月2日に国の重要文化財に指定されました。
周辺の観光情報
右京区梅ヶ畑は紅葉の名所とされており、為因寺から1キロほどの場所にある平岡八幡宮の参道も紅葉スポットとなっています。
平岡八幡宮といえば、「花の天井」と呼ばれる本殿内陣の天井に描かれた44面の極彩色の花絵も有名で、毎年春と秋に公開されています。
右京区のエリアは、渡月橋のある嵐山や、竹林が有名な嵯峨野など、京都観光らしいスポットも多くあり、紅葉はもとより、1年を通して美しい自然と静かに眠る歴史に触れることができる場所です。
交通アクセス
<バス>
JRバス
・JR京都駅から高雄・京北線「栂ノ尾」「周山」行で約50分、「栂ノ尾」下車徒歩3分。
<自動車>
近畿北部方面:京都縦貫自動車道「沓掛IC」より約50分
東京・名古屋方面/大阪・神戸方面:名神高速道路「京都南IC」より約40分
(付近に駐車場はありませんのでご注意ください)
まとめ
今回は、日本に残る宝篋印塔の中でも最古の様式として代表される、高山寺と為因寺の宝篋印塔を紹介しました。
人の心に脈々と受け継がれる、敬愛の念や供養の思いが感じられます。
数は多くありませんが、宝篋印塔は現代でも一族のお墓などとして建てられることがあります。その形状は、隅飾(すみかざり)の曲線部分が一弧から二弧・三弧となり外向きに傾いている、軸石(塔身)は細くなっているなど、原型とは異なる形になりつつありますが、時代と共に形を変えながらも供養の思いが受け継がれています。
現在は色々なお墓の形がありあますが、そのルーツを辿り、古来より伝わる思想を体現した「最高の供養の形」に触れることで、お墓の形に込められた意味や人の心に息づいてきた供養の心に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
京都府内には他にも歴史的価値、学術的価値の高い石塔があり、「京都の旅編(その1)」では、「石清水八幡宮五輪塔」と「安養寺宝塔」をご紹介しています。こちらの記事もあわせてお読みください。
◆一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・京都の旅編(その1)