お役立ちコラム お墓の色々
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- 供養をきわめる -
一度は見ておきたい文化財シリーズ・鳥取の旅編
日本では、国内にある建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財の中で、歴史上・芸術上の価値が高いもの、または学術的に価値の高いものを、文化財保護法に基づき重要文化財として指定、保護しています。
また、国で指定しているものの他に各地域で価値が高いと認められるものも、各地域の自治体が有形文化財・保護文化財などとして指定し保護しています。
全国各地にある石仏や石塔の中にも、国や自治体から文化財として指定を受けているものがいくつもあり、その所有者や地域の人々によって、石仏や石塔に込められた想いや由来が語り継がれてきたことで、今もなお私たちに歴史や文化の息吹を感じさせてくれます。
今回は「一度は見ておきたい文化財シリーズ」と題し、歴史的価値、学術的価値の高い石仏や石塔をご紹介し、その魅力に迫っていきます。
観光情報も添えていますので、ぜひ実際に足を運んでいただき、その雰囲気を肌で感じ、目で愉しみ、心で歴史に触れてみてはいかがでしょうか?
広瀬一石彫成五輪塔/ヒイデ五輪塔(鳥取県倉吉市広瀬ヒイデ)
鳥取県倉吉市の市街地から離れ、県道38号線から山道を少し入った所にひっそりと佇むのがヒイデ五輪塔です。ヒイデという地区にあることからこの名称で呼ばれています。またこちらの五輪塔は「一石彫成五輪塔(いっせきちょうせいごりんとう)」と呼ばれる形式のため、広瀬一石彫成五輪塔とも呼ばれています。
全国にある石造五輪塔の中で、最も古い時期に建てられたものとして注目されています。
一石彫成五輪塔とは
五輪塔は、平安時代に誕生したといわれる墓石デザインです。
上段から「空輪」「風輪」「火輪」「水輪」「地輪」と呼ばれる墓石があり、それぞれ自然の五大元素を表しています。
五輪塔を建てると亡くなった人はみな、最高の位と最高の世界へゆけるとされ、今日もなお宗派を問わず「ありがたい最高のお墓」とされています。
多くの五輪塔は、地輪、水輪、火輪、空風輪(風輪と空輪が一体化したもの)という4つのパーツを作って組み立て完成させたものです。しかし五輪塔の中には、全てを一石から掘り出して作られたものがあり、これらの中で平安時代以降の小型のものを「一石五輪塔」と呼んでいます。これに対し、同じように一石から成るものの中で鎌倉時代以前の大型のものを「一石彫成五輪塔」と呼び、区別しています。
五輪塔について詳しくはこちらの記事をお読みください。
◆五輪塔の歴史と特徴をわかりやすく解説します
特徴
ヒイデ五輪塔は凝灰岩製で総高1.21m。前述した通り、多くの五輪塔と違い一石から掘り出されており、風輪の一部が欠けていいますが他は完全に残っています。
塔の形としてまず注目されるのは、空輪・風輪が他の部分に比べ大きく造られていることです。他で似たような形が見られない珍しい形状です。また、地輪は低く、水輪は細長く下部に行くほど膨れています。これらの特徴は、古式の塔に多いと言われています。
笠に当たる火輪は、「真反り」といい、全体的に反って直線部分がない形です。
地輪の上部には、水輪を受けるように蓮華文(蓮の花の模様)が彫刻されており、こちらも注目される特徴です。
歴史
築造年代は平安時代末期で、五輪塔が日本で大きく広まる前の時代のものだと考えられています。そのため、この地方で密教文化が高い水準で受け入れられていたことが推測されます。
1986年(昭和61年)8月1日に「一石彫成五輪塔」として倉吉市指定有形文化財に指定されました。
周辺の観光情報
一石彫成五輪塔のある鳥取県倉吉市は、赤瓦と白壁土蔵の残る美しい町並みが見られる場所です。打吹玉川地区が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、その町並みから山陰の「小京都」とも呼ばれています。
市役所の側にある打吹公園は山陰随一の桜の名所として知られており、春には多種多様の桜と4万本のつつじが咲き誇ります。山頂の展望台からは、日本名峰ランキングでベスト3に選ばれたこともある中国地方最高峰「大山」、市街地、日本海を眺めることができます。
温泉や日本海の幸を楽しめる場所も多くありますので、ゆっくり旅行をしながら歴史と文化に触れることもできるでしょう。
交通アクセス
<鉄道>
JR倉吉駅から
日本交通バス:広瀬行きにて約30分、「広瀬」下車、徒歩約6分
タクシー:約25分
<自動車>
倉吉市役所から約15分
京阪神・広島岡山方面から:中国横断自動車道「蒜山IC」より約35分
鳥取市方面から:山陰自動車道「はわいIC」より約25分
島根方面から:山陰自動車道「琴浦東IC」より約30分
花見潟墓地(はなみがたぼち)石造宝塔(赤碕塔)(鳥取県東伯郡琴浦町赤碕)
花見潟墓地は、鳥取県東伯郡琴浦町JR赤碕駅から徒歩約10分の海岸線に広がる墓地です。東西350mに渡って約2万基の墓石が立ち並び、海岸部にある自然発生墓地では日本最大級と言われています。
この広大な墓地の東寄りの一角に、「赤碕塔」と呼ばれる石像宝塔が二基立っています。宝塔と宝篋印塔が融合したような、この地方でしか見られない珍しい様式の宝塔です。二基のうち東側の塔は風化が進み過ぎて原型をとどめていません。今回は、西側にある一基について紹介していきます。
特徴
花見潟墓地石造宝塔(赤碕塔)は、安山岩製で高さ3.15m、宝塔と宝篋印塔(ほうきょういんとう)の様式を合わせもつ形をしています。
<宝塔と宝篋印塔の様式を合わせもつ形>
宝塔と宝篋印塔は、ともに相輪(そうりん)・笠(蓋)・塔身・基礎・基壇(台座)で構成された塔ですが、塔身と笠の部分にそれぞれ特徴があります。
宝塔は塔身が筒型もしくは瓶や壺型で、笠が一重となっている一方で、宝篋印塔は、方形(四角形)の塔身の上にのせられた笠が階段状になっており、その四隅に隅飾(すみかざり)と呼ばれる馬耳形の突起があるのが特徴です。
花見潟墓地石造宝塔の場合は、宝塔の特徴である筒型の塔身の上に、宝篋印塔の特徴である階段状で四隅に隅飾りのある笠が載せられており、宝塔と宝篋印塔両方の特徴を有しています。
相輪とは、塔の一番上の細長い部分です。お釈迦様のお骨を納め供養する建物である「ストゥーパ(仏塔)」に起源を発するもので、上から宝珠(ほうじゅ)・竜舎(りゅうしゃ)・水煙(すいえん)・九輪(くりん)・請花(うけばな)・伏鉢(ふくばち)・露盤(ろばん)という部分から成ります。
<細かな特徴>
基礎と基壇は一石で造られ、側面は、四角く二区に区切られた中それぞれに格狭間(こうざま)というくりかたの装飾が彫られています。基礎の上部は二段の段型となっています。
筒型の塔身は、頂部に丸みを持たせてあり首部は造られていません。側面には扉型、下部には単弁の反花座(かえりばなざ/蓮華の花が開き外側の花弁が反り返った様子が彫られた台座)を刻み出しています。塔身の南側である裏面は、風化が激しくかなり傷んだ状態です。
笠は宝篋印塔式で、下二段・上七段の段型、隅飾りは小さく、二弧で外に傾く形をしています。最上部は相輪の露盤となっています。
相輪は、伏鉢は八角、請花は花弁の間に猪ノ目(ハートに似た模様)、下に剣頭文(剣の先のような模様)が刻まれており、頂部の宝珠は欠損しています。
歴史
築造年代は鎌倉時代末期と言われています。花見潟墓地についても、発生起源は不明ですが、墓地内の石造物などから中世後半以降に成立したと推定されています。
この宝塔と同じ特徴を持つ石塔を総じて「赤碕塔」と呼びますが、これは、同じ特徴のものがこの地方にいくつか存在することから、京大教授の故川勝政太郎氏により命名されたものです。
残っている赤碕塔は、小型・中型といくつかありますが、大型のものはこの花見潟墓地に残された二基のみとなっています。
昭和31年5月30日に鳥取県指定保護文化財として指定されました。
周辺の観光情報
花見潟墓地には約2万基の墓があると書きましたが、お盆にはこの海岸沿いの墓地に灯籠が灯され、幻想的な風景を見せてくれます。
花見潟墓地がある花見海岸は「ごろた石」といわれる楕円形の石が集積し、丸石が波にもまれて「カラコロ」と音をたてる珍しい浜です。墓地から900mほどのところにある「鳴り石の浜」は夕日も大変美しく、「よく鳴る」浜であることから、「良くなる」浜とかけ、縁起の良いパワースポットとしても注目されているようです。
車で5分ほどのところにある、道の駅ポート赤碕には、地元の海産物、農産物、お土産品などが揃っています。大型の遊具がある公園もあり、お子様連れでも楽しめます。道の駅付近には、「ろくろ首」「雪女」「耳なし芳一」などの作者で有名な小泉八雲が新婚旅行の時に宿泊したと言われる旧中井旅館があり、偉人の歴史に触れることもできます。
交通アクセス
<鉄道>
JR赤碕駅から徒歩約10分。
<自動車>
山陰自動車道「琴浦船上山IC」より約5分
(墓地西端の高台に整備された駐車場がございます)
まとめ
今回は、鳥取県中部にある広瀬一石彫成五輪塔(ヒイデ五輪塔)、花見潟墓地石造宝塔(赤碕塔)をご紹介いたしました。
それぞれ、大切に保存・管理がされており、人々が供養の心を大切にしてきたことが伺えます。
現在は、供養の形もお墓の形も多種多様な時代になりました。古いものはだんだんと忘れられてしまいやすいものですが、このように古くから残る石塔に触れることで、日本人が先祖代々受け継いできた信仰や葬送の文化を改めて感じることができるのではないでしょうか。