お役立ちコラム お墓の色々

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一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・大分の旅編

供養・埋葬・風習コラム

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・大分の旅編

日本では、国内にある建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財の中で、歴史上・芸術上の価値が高いもの、または学術的に価値の高いものを、文化財保護法に基づき重要文化財として指定、保護しています。

全国各地にある石仏や石塔の中にも、重要文化財の指定を受けているものがいくつもあり、その所有者や地域の人々によって、石仏や石塔に込められた想いや由来が語り継がれてきたことで、今もなお私たちに歴史や文化の息吹を感じさせてくれます。

今回は「一度は見ておきたい重要文化財シリーズ」と題し、歴史的価値、学術的価値の高い石仏や石塔をご紹介し、その魅力に迫っていきます。

観光情報も添えていますので、ぜひ実際に足を運んでいただき、その雰囲気を肌で感じ、目で愉しみ、心で歴史に触れてみてはいかがでしょうか?

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・大分の旅編

深田宝篋印塔(大分県臼杵市深田)

深田宝篋印塔は、大分県臼杵市深谷ある満月寺(まんがつじ)の本堂裏手に安置されている、日本でも最大級の高さを誇る宝篋印塔です。
満月寺の近くにあり、その守護社である日吉社に因んで、「日吉塔(ひよしとう)」とも呼ばれています。

宝篋印塔とは

宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種です。
上から相輪(そうりん)・笠(蓋)・塔身・基礎・基壇で構成されています。
方形(四角形)の塔身の上にのせられた笠が階段状になっており、その四隅に隅飾(すみかざり)と呼ばれる馬耳形の突起があるのが特徴です。
本来は「宝篋印陀羅尼(だらに)」という経典を納めるための塔であったことから、この名前になりました。

相輪とは

五重の塔など仏塔の最上部にある部分のことを相輪(そうりん)といいます。インドの仏塔の傘蓋(さんがい) が発展したものです。
相輪は、上から宝珠(ほうじゅ)・竜舎(りゅうしゃ)・水煙(すいえん)・九輪(くりん)・請花(うけばな)・伏鉢(ふくばち)・露盤(ろばん)で構成されます。
また、九輪のみを指すこともあります。

特徴

堆積(たいせき)岩の一種である凝灰岩(ぎょうかいがん)製。高さは総高4.44m(地上部分約4.2m)あり、宝篋印塔としては日本最大級の高さを誇ります。また、建立以来この位置を動いていないことが発掘調査により分かっています。
上から、相輪は一石でつくられています。笠の階段状の部分は、下2段、上6段、の2つの石で作られており、輪郭線が刻まれた隅飾は別石です。
四角い塔身の正面は、深く抉られて厨子形(仏像や経巻などを納める扉がついた仏具のような形)となっており、朱や白に色が塗られていた様子や扉が取り付けられていた痕跡も見られます。基礎は、繰形座(くりがたざ)と呼ばれる傾斜面に蓮弁を刻まない様式となっています。大きくも均整のとれた塔です。

歴史

深田宝篋印塔が建つ満月寺は、真名野長者伝説(まなのちょうじゃでんせつ)という大分県に伝わる民話の中で、中国から渡来した蓮城法師(れんじょうほうし)により創建されたと伝えられていますが、はっきりとしたことは分かっていません。
この宝篋印塔についても何のために建てられたのかは定かではありませんが、寺の鎮護のために建てられたのではないかと考えられており、塔の特徴から、制作年代は鎌倉時代中期(13世紀後半)のものと言われています。

1954年9月17日に国の重要文化財に指定されました。

周辺の観光情報

満月寺の正面には、石仏公園が広がり、さらに向こうには国宝臼杵石仏(うすきせきぶつ)と言われる61体もの磨崖仏(まがいぶつ/自然の岩壁や巨石に彫刻した仏像)があります。深田宝篋印塔(日吉塔)は、これらの「臼杵磨崖仏」とともに国の特別史跡にも指定されており、石仏公園を中心に日本を代表する史跡に触れられるエリアとなっています。
春には、満月寺境内の桜や石仏公園の芝桜が美しく咲く様子も楽しむことができます。

交通アクセス

満月寺
住所:〒875-0064 大分県臼杵市深田963

<最寄り駅>
JR日豊本線「上臼杵駅」 から徒歩44分(3.5km)

<バス>
臼杵駅前のバス停から「大分県庁前行」または「三重行」に乗り約20分
「臼杵石仏」で下車し、南東に徒歩5分。

<自動車>
東九州自動車道「臼杵IC」より約22分

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・大分の旅編

岩戸寺宝塔(大分県国東市国東町岩戸寺)

岩戸寺宝塔は、大分県国東市にある岩戸寺にあります。「国東塔(くにさきとう)」と呼ばれる宝塔で、銘文のある国東塔としては最古のものです。
石塔は、石造仁王像が立つ参道を100m位行き、鳥居をくぐった先の大石の上に建っています。

宝塔とは

宝塔とは、仏塔の建築形式の1つで、円筒型または瓶や壺型の軸部(塔身)に方形の笠(五輪塔の火輪のように四角錐に近い形の屋根)が乗り、頂上に相輪(そうりん)と呼ばれる長い柱のような飾りがある形式の一重塔をいいます。

国東塔とは

国東塔は、大分県国東半島を中心に独自の発展を遂げた宝塔の一種です。一般の宝塔には台座がないのに対して、反花(かえりばな/蓮華の花が開き外側の花弁が反り返った様子が彫られた台座)または蓮華座(蓮華の花が開いた形に作られた台座)、もしくは両方からなる台座が備えられ、縦にすらりと長く美しい姿をしているのが特徴です。

特徴

岩戸寺宝塔は、火山岩の一種である安山岩製で総高3.29m、境内中腹にある大きな岩の上に立っており、まるで信者を迎えているように見えます。
基礎の側面は二区に分けた彫刻が入り格狭間(こうざま)と言われる刳り形(くりかた)の装飾が彫り込まれ、基礎の上には国東塔の特徴である反花・蓮華座を重ねた円形の台座が置かれています。
塔身は、頂部の笠と接する部分に細い首部があり、側面には造立年月日及び納経のために造立されたという七行の刻銘が入れられています。その上に置かれた笠は、傾斜が深く両端の反りは力強さを感じます。
相輪の宝珠・上下請花部・九輪の上に心柱頭(塔の中心を貫く柱の頭部分)を出しており、こちらも国東塔特有のデザインです。

歴史

岩戸寺は、正式には山号をつけて「石立山岩戸寺」と言い、養老3年(719)に仁聞菩薩(にもんぼさつ)により開山されたと伝えられている天台宗の由緒あるお寺です。
弘安6年(1283)の銘があり、前述の通り国東半島にある国東塔の中で最古と言われています。2011年2月に修理の為一旦解体された際、塔が建てられた13世紀頃のものと見られる3本の鉄製のノミの刃が発見されました。

なお、1933年1月23日に国の重要文化財に指定されています。

周辺の観光情報

国東半島は、神道と仏教とが融合する「神仏習合」発祥の地と言われており、国東半島一帯にある寺院郡の総称を「六郷満山」と呼びます。この地で受け継がれてきた神仏習合の文化「六郷満文化」に触れることができるのが、宇佐神宮六郷満山霊場の巡礼「31霊場巡り」で、岩戸寺も18番目の札所となっています。
31霊場の中には、全国に約44,000社ある八幡宮の総本社である宇佐神宮、日本三文殊の一つで「三人よれば文殊の知恵」の発祥地とされる文殊仙寺、国東といえば必ずと言って良いほど紹介される山門の仁王像が有名な両子寺などもあり、スケジュールに合わせて回ることも可能です。
旧正月に開催される国の重要無形民俗文化財指定の火祭り、「修正鬼会(しゅじょうおにえ)」も有名です。六郷満山に1000年以上前から伝わる伝統行事で、2体の鬼が松明(たいまつ)を振り回し暴れ踊る演舞が見どころです。国東市は岩戸寺と成仏寺の隔年交代で、豊後高田市は天念寺で開催され、時期が合えば見ることができます。

交通アクセス

岩戸寺
住所:大分県国東市国東町岩戸寺1232

<公共交通機関>
JR日豊本線「杵築」駅より
大分交通バス杵築バスターミナル行きで10分
終点下車、大分交通バス国東行きに乗り換え1時間、終点下車、車で20分

<自動車>
鹿児島・宮崎方面:東九州自動車道から大分空港道路「杵築IC」より約50分
福岡方面:東九州自動車道 福岡大分区間から、宇佐別府道路「宇佐IC」より約55分

まとめ

今回は、大分県にある深田宝篋印塔(日吉塔)と岩戸寺宝塔をご紹介いたしました。

細かなデザインにも意味が込められ、受け継がれてきた思いがあります。

また、石塔自体の形だけではなく、建てられた場所や土地に根付いていた神仏と人の文化に触れられることも、史跡を訪れる醍醐味ではないかと思います。

何百年も守り続けられてきた石塔。時代・文化を感じるその佇まいを、ぜひ現地に足を運んで体感してみてはいかがでしょうか。