お役立ちコラム お墓の色々

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宝篋印塔の歴史と特徴をわかりやすく解説します

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宝篋印塔の歴史と特徴をわかりやすく解説します

日本のお墓には、多くの人が思い浮かべる縦長の石を積み上げたお墓の他にも、様々な形のお墓があります。
昔から親しまれている形としては五輪塔が有名ですが、今回は、五輪塔に比べると角張った複雑な形をしていて、四方に飾りの着いた階段状の笠、頂上には細長い柱のような飾りが乗っている、宝篋印塔(ほうきょういんとう)という形のお墓についてご紹介します。

宝篋印塔とは

宝篋印塔は、供養塔や墓碑塔などに使われる仏塔の一種で、中国からの伝来後日本で独自の発展をしてきた塔です。五輪塔とともに平安時代以降多く造られ、石造の遺品が多く残されています。
一般的に上から「相輪(そうりん)」「笠」「塔身(とうしん)」「基礎」「基壇」で構成され、笠の四隅には「隅飾(すみかざり)」と呼ばれる突起があるのが特徴です。

「100年以上前の先祖を供養するためのお墓」とも言われ、現代でも、特に先祖代々の家系図が残る名家や旧家のお墓、寺院の歴代墓などで、遠いご先祖様の供養のために建てられることがあります。

宝篋印塔に込められた意味

宝篋印塔は、「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経(宝篋印陀羅尼/ほうきょういんだらに)」という経典を納めるための経塔が元になっており、「宝篋印塔」という名称もここからきています。後に供養塔や墓碑塔として建てられるようになりました。

宝篋印塔を礼拝供養することによって、亡くなられた方が現世で犯した罪を消し、極楽浄土へ往生できるとされています。また、宝篋印塔は多数の如来が集っているとも考えられており、ご先祖様の供養だけでなく、子孫を守り、一族を繁栄へ導くともいわれています。

参拝では「宝篋印陀羅尼」を唱え、塔の周りを右繞三匝(うにょうさんそう/仏に対して右回りに3回まわる参拝の作法)することで効力を発揮すると伝えられています。

宝篋印塔のルーツ・歴史

宝篋印塔の歴史を遡ると、「インドのアショーカ王(阿育王)が、犠牲となった人々の供養と自らの滅罪のために8万4千基のもの仏舎利塔(阿育王塔)を各地に建立した」という故事(「阿育王伝」「阿育王経」)に基づき、中国呉越の王であった銭弘俶(せんこうしゅく)が延命を願い、宝篋印陀羅尼を納めて諸国に祀った8万4千塔(金塗塔・銭弘俶塔)が起源とされています。

この金塗塔が日本にも伝来した際、これに習った籾塔(もみとう/宝篋印陀羅尼を墨書した紙で仏舎利に見立てた籾一粒を包んだものを納めた高さ数cmの木製の小塔)が作成されるようになり、これが宝篋印塔の原型になったと言われています。
その後、鎌倉時代ごろには密教の影響を受け大きな石塔が造られるようになり、その形状も時代とともに少しずつ変化してきました。

現在、多数の歴史的、文化的価値の高い宝篋印塔が、国や自治体によって保護・管理されていると同時に、先祖を供養する塔としても親しまれています。

最も古い様式とされる宝篋印塔についても紹介していますので、ぜひご覧ください。
一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・京都の旅編・その2

宝篋印塔の形

宝篋印塔は、上から棒状の柱のような相輪(そうりん)・笠(蓋)・塔身・基礎・基壇で構成されています。方形(四角形)の塔身の上にのせられた笠が階段状になっており、その四隅に隅飾(すみかざり)と呼ばれる突起があるのが特徴です。

各部位の特徴

相輪

相輪は、は宝篋印塔以外にも、宝塔、多宝塔、層塔などにも見られ、お釈迦様のお骨を納め供養する建物である「ストゥーパ(仏塔)」に起源を発するものです。石塔の場合は上から宝珠(ほうじゅ)・請花(うけばな)・九輪(くりん)・請花(うけばな)・伏鉢(ふくばち)・露盤(ろばん)という部分から成ります

笠と隅飾

相輪の下には、相輪を支える露盤と上下に階段状の刻みを持つ笠があり、この笠の四隅には「隅飾(すみかざり)」または「耳」と呼ばれる突起があります。
隅飾は、内側の曲線が二弧または三弧になっているもの、その側面に輪郭や月輪に囲われた種子((しゅじ/仏尊を象徴する梵字))を刻むものもあります。

塔身

笠の下の四角柱の部分は塔身といい、側面には、仏坐像や月輪に囲われた種子、さらにそれを受ける蓮華座などが刻まれたものもあります。

基礎

塔身の下の部分は基礎と呼ばれ、上端が階段状になっています。
基礎の側面に輪郭や格狭間を刻むもの、基礎石の下に反花座(かえりばなざ/蓮華の花が開き外側の花弁が反り返った様子が彫られた台座)を置くものもあります。

基壇

塔の最下部で基礎を支えるのが基壇です。身分の高い人物の墓塔では、基壇の上に石段が積まれているものもあります。

宝篋印塔の形は、時代による違いも見られます。例えば、相輪頂上部の宝珠はだんだん丸みが失われ、室町・江戸時代を通して先端が尖っていきます。角飾りはだんだんと外へ張り出す傾向があり、江戸時代には極端に反り返るように造られるようになっています。

関西形式と関東形式〜時代や地域による形の違い

宝篋印塔には、さまざまな形式のものがあり、その中でも代表的な形式が「関西形式」と「関東形式」です。

国内に広く分布する基本の形とされているのが関西形式です。塔身部に輪郭がなく、基礎部も輪郭で区切られた区画がない、または一区のものを言います。

一方で、塔身に輪郭があり、基礎は側面が輪郭で二区に分けられ、この基礎を側面に輪郭や格狭間がある返花座で受ける形のものは、関東地方に多く分布することから関東形式と呼ばれています。
一説では、神奈川県箱根にある関西形式の「箱根山宝篋印塔」が、この関東形式が造られるきっかけとなったとされています。

箱根山宝篋印塔については、こちらの記事で詳しく紹介しています。
一度は見ておきたい重要文化財/石塔シリーズ・神奈川の旅編


そのほか、塔身や基礎部の大きさ、塔身や基礎・基壇に刻まれる種子や像など、時代や地域により様々な特徴や形式の違いが見られます。

まとめ

宝篋印塔を供養塔とする文化は日本で発展したものであり、中国に残されている大型宝篋印塔には、供養塔や墓碑塔として建てられたものは見つかっていないそうです。

今でも、ご先祖さまへの供養や一族の繁栄を願って建てられる宝篋印塔。
先人への敬意や冥福を祈る心を大切にしてきた日本の文化を象徴するお墓の形とも言えるのではないでしょうか。


宗派を問わず、「ありがたい最高のお墓」と親しまれてきた「五輪塔」についてもまとめていますので、合わせてお読みください。
五輪塔の歴史と特徴をわかりやすく解説します