お役立ちコラム お墓の色々
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一度は見ておきたい文化財シリーズ・京都の旅編・その5
日本では、国内にある建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財の中で、歴史上・芸術上の価値が高いもの、または学術的に価値の高いものを、文化財保護法に基づいて重要文化財として指定、保護しています。また、その他地域に残された価値の高い文化財についても、多くの地方公共団体が文化財保護条例を制定し、指定や保存、管理の補助などを行っています。
全国各地にある石仏や石塔の中にも、文化財の指定を受けるなど大切に残されてきたものがいくつもあり、その所有者や地域の人々によって、石仏や石塔に込められた想いや由来が語り継がれてきたことで、今もなお私たちに歴史や文化の息吹を感じさせてくれます。
今回は「一度は見ておきたい文化財/美術品シリーズ」と題し、歴史的価値、学術的価値の高い石仏や石塔をご紹介し、その魅力に迫っていきます。
観光情報も添えていますので、ぜひ実際に足を運んでいただき、その雰囲気を肌で感じ、目で愉しみ、心で歴史に触れてみてはいかがでしょうか?
清涼寺宝篋印塔(源融公の墓)(京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46)
清涼寺は通称「嵯峨釈迦堂」とも呼ばれ、御本尊であり国宝の釈迦如来立像が有名な、浄土宗の寺院です。釈迦如来立像は、清涼寺を開基した奝然(ちょうねん)が中国(宋)で拝した像を模して作らせ持ち帰ったものとされ、インド~中国~日本に伝わったことから「三国伝来の釈迦如来」として尊崇を集めてきました。
歴史ある建物や見所も多い清涼寺ですが、紫式部の小説『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルといわれている源融(みなもとのとおる)公が晩年隠棲した別荘を基にした寺院としても知られ、光源氏が造営し晩年を過ごした「嵯峨の御堂」であろうとも伝えられています。
境内には、鎌倉時代後期の宝篋印塔が二基ありますが、今回ご紹介するのは、清涼寺内に残されている二基の宝篋印塔のうち、「源融公の墓」と伝えられている宝篋印塔です。
山門である仁王門をくぐって左手、本堂に向かって西側に建つ木造多宝塔の裏手に大切に保存されています。
宝篋印塔とは
宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、供養塔や墓碑塔などに使われる仏塔の一種です。
「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経(宝篋印陀羅尼)」という経典を体現したもので、子孫が宝篋印塔を礼拝供養することによって、亡くなった人が現世で犯した罪を「滅罪」し極楽浄土へ往生できるとされています。礼拝の際は「宝篋印陀羅尼」を唱え、塔の周りを右繞三匝(うにょうさんそう/仏に対して右回りに3回まわる参拝の作法)することで効力を発揮すると伝えられています。
宝篋印塔の形は、上から、細長い柱のような相輪(そうりん)・笠(蓋)・塔身・基礎・基壇で構成されています。方形(四角形)の塔身の上にのせられた笠が階段状になっており、その四隅に隅飾(すみかざり)と呼ばれる馬耳形の突起があるのが特徴です。
相輪とは、お釈迦様のお骨を納め供養する建物である「ストゥーパ(仏塔)」に起源を発するもので、石塔の場合は宝珠(ほうじゅ)・請花(うけばな)・九輪(くりん)・請花(うけばな)・伏鉢(ふくばち)・露盤(ろばん)という部分から成ります
特徴
清涼寺宝篋印塔は花崗岩製。鎌倉時代後期のものですが相輪は後に補修されており、相輪を除く高さは1.63mです。
塔身の各面には、金剛界四仏(密教で大日如来の四方に位置する仏)の種子(しゅじ/仏尊を象徴する梵字)が刻まれており、正面は宝生如来(タラーク)、南面は阿弥陀如来(キリーク)、背面は不空成就(アク)、北面は阿閦如来(ウーン)となっていますが、磨滅が激しい為、北面の阿閦如来(ウーン)以外はほとんど読むことができません。
笠の段型は、下が珍しい3段、上は通常の6段です。
隅飾は別石で造られ、三弧で輪郭付き、八面全てに蓮華座付きの月輪が陽刻(浮彫り)されその内側に梵字「ア」が刻まれています。
基礎は無くなっており、切石の上に別石で作られた単弁反花座のみが残っています。
この、下3段の笠、隅飾の装飾、別石の単弁反花座という特徴が同様に見られ、姿がよく似た宝篋印塔が、奈良の壺阪寺にも残されています。
歴史
源融公は、平安初期に活躍した貴族で、嵯峨天皇の第十二皇子です。
小倉百人一首には「河原左大臣」として登場し、「みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに みだれそめにし われならなくに」の句が有名です。かつてはこの場所に、光源氏の「嵯峨の御堂」とされ源融公が隠棲していた別荘があったと伝えられています。源融公没後は寺に改められ、東大寺の三論宗の僧である奝然(ちょうねん)が宋から持ち帰った釈迦如来像を寺内の釈迦堂に安置。この釈迦堂が、のちに清涼寺となりました。
清涼寺両面石仏(京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46)
清涼寺といえば、京都府指定文化財の山門、嵯峨野の顔とも称される仁王門も有名です。幾度かの消失を繰り返した後、江戸時代後期再建されたこの山門は、幅は約10m、高さは約18m、両脇には室町時代後期の作と伝わる朱色に塗られた阿吽二体の仁王像が構えています。嵐山の渡月橋からまっすぐ北へ20分ほど歩くとこの大きな門に突き当たります。この仁王門を入ってすぐ右手前方に、あまり見かけない形をした大きな石仏が建っており、これが、「弥勒多宝石仏」とも呼ばれる清涼寺の両面石仏です。
特徴
清涼寺両面石仏は花崗岩製で、高さは2.1m、鎌倉時代のものと言われ、表裏それぞれに別の像が彫られています。
本堂側を正面として、表面は、舟形光背(ふながたこうはい/仏像から発する光を表す船首を上に舟を縦に立てた形)を背景に蓮華座に座す弥勒坐像を半肉彫りし、頭上には天蓋が彫られています。
裏面は、宝塔が半肉彫りされ、塔身部分には四角のくぼみで扉が開かれた様子が、さらにその中に半肉彫りの釈迦と多宝如来が並んでいます。宝塔は、屋根の瓦棒や軒下の垂木、相輪から屋根への宝鎖までが細かく刻み出されています。
宝塔塔身下の反花座は、当初のものとされています。
歴史
清涼寺両面仏は、平安時代の僧侶である空也(くうや)の作と言われており、江戸時代には「空也上人塔」とも呼ばれていたようです。空也は「南無阿弥陀仏」と口で称える称名念仏(口称念仏)を日本において初めて実践したとされていることから、日本における浄土教・念仏信仰の先駆者とも言われており、西光寺の本尊である十一面観音菩薩立像および梵天・帝釈天像、四天王像を造立したとも伝えられています。
周辺の観光情報
寺院内の観光情報
清涼寺に行った際のハイライトと言えば、本堂にある国宝指定の本尊釈迦如来像ではないでしょうか。また、山門の仁王門、釈迦堂とも呼ばれる本堂、ご紹介した宝篋印塔の前に建つ多宝塔は京都府指定文化財に指定された貴重な建物で、桜や紅葉の季節はより一層壮大に映ります。
清涼寺内には、清涼寺を開基した奝然の墓と呼ばれている八面石幢(はちめんせきどう/八角柱の幢身と笠や宝珠などから成る石塔)や、平安末期のものと言われる五重層塔、「嵯峨天皇の塔」との伝承もある宝篋印塔など、石造美術品も多く残されており、歴史ある建造物や美術品に多く触れることができる寺院です。
周辺の観光情報
清涼寺は、渡月橋からまっすぐの場所にあると書きましたが、渡月橋周辺、嵐山周辺は、京都の自然が感じられる人気のエリアです。
渡月橋は欄干部分がひのき製で、嵐山の自然美に溶け込むようデザインされているため、川と橋の写真はそれだけでも美しさを感じることができます。また、渡月橋が架かる大堰川(おおいがわ)ではボート遊びや屋形船での遊覧などが行われ、周辺には食事の美味しいお店も多く、様々な楽しみ方ができます。
川沿いの桜、背景の山々の紅葉はもちろん美しい日の出の風景など、季節、時間帯によって違った表情を見せてくれるところも、魅力の一つと言えるでしょう。
清涼寺周辺には大覚寺や天龍寺もあますので、嵐山の自然も楽しみつつ、合わせて訪れ流のも良いのではないでしょうか。
清涼寺への交通アクセス
<バス>
・京都バス
京都駅より大覚寺行・清滝行にて嵯峨釈迦堂前下車 徒歩約1分
・市バス
京都駅より28番嵐山大覚寺行 嵯峨釈迦堂前下車 徒歩約1分
四条烏丸より91番太秦映画村大覚寺行 嵯峨釈迦堂前下車 徒歩約1分
三条京阪より11番嵯峨山越行 嵯峨小学校前下車 徒歩約5分
<鉄道>
JR嵯峨嵐山駅下車 徒歩約11分
京福電鉄 京福嵐山駅下車 徒歩約12分
阪急電鉄 阪急嵐山駅下車 徒歩約22分
<自動車>
名神高速道路「京都南IC」より約30分
まとめ
今回は、清涼寺に残る貴重な石塔2基をご紹介しました。
どちらにも細かい加工が施され、石工達の技術の高さや、形に込めた供養の心が伝わってきます。
清涼寺は、仏様を大切にする心と共に、様々な建造物、美術品、歴史資料等が保存されている寺院です。ぜひ現地に足を運び、故人を思う気持ちや先祖への尊敬の念が受け継がれてきた歴史に触れてみてはいかがでしょうか。
京都には他にも歴史的価値、学術的価値の高い石塔が多数あり、これまでにもいくつかの記事でご紹介しています。よろしければ合わせてお読みください。
◆一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・京都の旅編・その1
石清水八幡宮五輪塔/安養寺宝塔
◆一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・京都の旅編・その2
高山寺宝篋印塔/為因寺宝篋印塔
◆一度は見ておきたい重要文化財/美術品シリーズ・京都の旅編・その3
高山寺如法経塔/誠心院宝篋印塔
◆一度は見ておきたい重要文化財/美術品シリーズ・京都の旅編・その4
二尊院宝篋印塔/覚勝院宝篋印塔