お役立ちコラム お墓の色々

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ファンなら一度はお参りしたい偉人のお墓 幕末編

供養・埋葬・風習コラム

ファンなら一度はお参りしたい偉人のお墓 幕末編

本記事では、激動の時代・幕末を生き抜いた偉人の墓所を紹介いたします。ご先祖のお墓に誓いを立てるのも良いものですが、尊敬する偉人のお墓参りに出かけることで、より一層気が引き締まり、決意を固くすることができるでしょう。

戦国時代の偉人のお墓はこちらで紹介しています。
ファンなら一度はお参りしたい偉人のお墓 戦国編

木戸孝允

西郷隆盛・大久保利通と並ぶ「維新三傑」のひとり、木戸孝允。幕末期は「桂小五郎」の名で、坂本龍馬・中岡慎太郎と肩を並べて新時代に向けてまい進していました。倒幕後は、明治新政府の参議や岩倉使節団の副使を務め、幕末から明治の時代の転換に尽力し、明治10年(1877)5月26日に45歳の若さで病没しました。
彼のお墓は、京都府京都市東山区にある「京都霊山護国神社」にあります。この神社は維新の志士を祀るために明治元年(1868年)に創建されたものです。公のもと死者を祀った日本で最初の神社でもあり、他に坂本龍馬・中岡慎太郎の墓もあります。

『京都霊山護国神社』

高杉晋作

幕末期には、類まれな才能を持ちながら道半ばで早逝した偉人がたくさんいますが、その中でももっとも有名な人物の一人が高杉晋作でしょう。長州藩(現在の山口県)の上級武士の子として生まれた高杉は、長州きっての秀才と呼ばれた吉田松陰の「松下村塾」に通い、知識や人格を磨いていきます。のちに上海に渡った際には、海外の現状に日本の未来を憂い、これがきっかけで倒幕に傾倒していきます。帰国後は、身分を問わずに才能を優先して重用する「奇兵隊」を発足。幕府による2度の長州征伐を迎え撃ちます。
肺結核に冒されていた高杉は、慶應3年4月14日(西暦では1867年5月17日)、29歳という若さで亡くなりました。彼の残した辞世の句「おもしろき こともなきよを おもしろく」は、多くの人の胸を打つ、現代でも有名な一句です。ちなみに、この句は「すみなすものは 心なりけり」という下の句が続きますが、この下の句は看病にあたっていた野村望東尼(のむらともに)という女流歌人が即興で付け加えたという逸話があります。
彼のお墓は山口県下関市に「東行墓(とうぎょうぼ)」という名前で存在しています。東行とは、高杉の俳号、いわゆるペンネームです。一対の傘つきの灯篭が備えられており、風流な印象を受けます。

『東行墓』

西郷隆盛

西郷隆盛は、討幕の中心となった薩摩藩のリーダーとして有名な人物です。一方で、その特徴的な顔立ちや上野の銅像の犬を連れた姿が、キャラクターのように愛されています。外見からは「豪快」「のんき」な印象を受けますが、実際の功績から受ける印象は「苦労人」で「キレ者」です。主君・島津久光との意見の対立から2度も島流しの刑にあっています。また、もともとは対立関係にあった長州藩でも、互いの利益が合致すると「薩長同盟」で合意するなど、柔軟な思考も伺えます。西南戦争にて挙兵・戦死しましたが、これも地元の薩摩の若者に担ぎ上げられたとの説もありますので、何かと気を揉むことの多い人生だったのかもしれません。ちなみに、彼の座右の銘「敬天愛人(けいてんあいじん)」は、企業理念として掲げられることがあります。私欲ではなく、愛をもって世のため人のために働くという姿勢が、多くの経営者の模範となるからでしょう。
さて、銅像は上野にありますが、お墓はどこにあるのでしょうか?
彼のお墓は、鹿児島県鹿児島市の『南洲墓地』にあります。この墓地には、西南戦争で戦死した2千人以上の人々が埋葬されています。併設されている『西郷南洲顕彰館』は、西郷の生涯・業績をわかりやすく紹介した展示施設です。墓参りと合わせて、ファンならぜひ訪れてみたいスポットでしょう。

『西郷隆盛墓』

勝海舟

坂本龍馬の師匠にして江戸城無血開城の立役者、勝海舟は幕末において数々の功績を残した人物です。ペリー来航を目の当たりにした勝は、身分を問わない人材登用や軍艦の建造を進言した「海防意見書」を幕府に提出し、後に日本人初の太平洋横断となった咸臨丸の艦長として、サンフランシスコに向かいました。帰国後は坂本龍馬を門下生にしながら、海軍士官養成学校である「神戸海軍操縦所」を立ち上げます。
幕臣でありながら「日本」の未来を考えていた勝は、当時としては卓越して広い視野をもった数少ない人間でした。彼に影響を受けた坂本龍馬が結んだ薩長同盟が倒幕の決め手となり、その薩摩のリーダーであった西郷が後年、勝と江戸城無血開城の約束を結んだ経緯を鑑みると、時代を進めた人物の一人であることはあえて言うまでもありません。
彼のお墓は、東京都大田区にある洗足池公園の一画にあります。ここはもともと、洗足池の風景に心を打たれた勝が、別荘を構えた土地です。夫婦でお墓に入っている偉人は他にもいますが、このお墓は「勝海舟夫妻のお墓」という名前で呼ばれています。ただし、いつも仲睦まじかった訳ではないようです。ここでは割愛しますが、興味のある方は調べてみると面白いでしょう。

『勝海舟夫妻の墓』

密かなブーム「墓マイラー」。あなたも経験してみては?

有名人のお墓巡りを趣味にしている方々は「墓マイラー」と呼ばれ、実は秘かに流行しています。お墓参りは密集・密接・密閉の危険が比較的少なく、ウィルス感染拡大の危険が低いものです。この機会に経験してみるのも良いでしょう。ただし、移動中の電車などではお気をつけください。

坂本竜馬・大久保利通のお墓はこちらで紹介しています。
今こそお参りしたい偉人のお墓 京都編