お役立ちコラム お墓の色々
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【豊臣兄弟・黒牢城】信長に反旗を翻した男、荒木村重のお墓はどこにある?

大河ドラマ「豊臣兄弟」や、直木賞受賞の本格ミステリー作品を原作とした映画「黒牢城」で注目を集める荒木村重(あらき むらしげ)。
戦国時代、織田信長に重用されながらも、突如として反旗を翻した「裏切り者」として知られる武将です。信長に背いた武将といえば明智光秀が有名ですが、その数年前、まだ信長の勢いが絶頂へ向かう最中に謀反を起こした人物こそ村重でした。
しかし、村重は単なる「裏切り者」として語り切れる人物ではありません。大名まで登りつめ、摂津一国を任されるほどの実力者であり、城づくりなどにも優れた才覚を発揮した一方、茶人としても高い評価を受けた文化人でもありました。
そんな村重がなぜ信長に背いたのか。そして、謀反の結末は?
今回は、荒木村重の生涯と功績、そしてそのお墓がどこにあるのかをご紹介いたします。
信長に見出された豪傑
村重は天文4(1535)年頃、摂津国(現在の大阪府北中部~兵庫県南東部)に生まれました。若い頃は摂津国の有力勢力である池田氏に仕え、武勇に優れた武将として頭角を現していきました。
当時、畿内では室町幕府の権威が弱まり、三好氏や松永久秀らが争う混乱の時代が続いており、村重もまたその動乱の中で、池田氏の内紛を皮切りに功を積み上げ、三好氏の調略に内応し、池田氏を掌握するなど着々と勢力を伸ばしていきます。
やがて織田信長と接近した村重は、1571(元亀2)年の白井河原の戦いで功績を挙げ、仕官を許されます。信長は出自に関係なく有能な者を重用する一面を持っており、村重もまた、その実力を認められた武将の一人だったのです。
その後、先の戦いで摂津三守護の一角・和田氏と茨木氏の連合軍を討ち茨木城主となった村重は信長の命を受け残る摂津三守護を次々と降します。以前の主君・池田氏を降した勢いに乗って伊丹氏を破り伊丹城をも奪取します。
そして、この伊丹城を大規模に改修し、城下町を含めた巨大な城郭都市へと発展させました。後に「有岡城(ありおかじょう)」と呼ばれるこの城は、日本でも早い段階で総構えを採用した近世城郭の先駆けともいわれています。村重は武勇だけでなく、城づくりや城下町整備にも優れた才覚を発揮しました。信長はそんな村重を重臣として遇し、摂津国支配を任せるほど厚く信頼していました。
また村重は、自らと同じく織田信長に重用されながら、のちに反旗を翻した明智光秀とも深い縁を持っていました。村重の息子・荒木村次の正室は光秀の娘であり、両家は姻戚関係にもありました。ともに各地を転戦する遊軍として信長の畿内支配を支えながら、最終的には反旗を翻すに至った両者には、何かしらの共通点や相通じるものがあったのかもしれません。
突然の謀反
1578(天正6)年、主従関係は大きく崩れ去ります。村重は信長に反旗を翻し、有岡城へ籠城しました。その理由については、現在でもはっきりとはわかっていません。信長による苛烈な統治や処断に不安を抱いたという説や、毛利氏や石山本願寺との連携を図った政治的判断だったなど、という説もありますが、いずれも確証はなく、真相は不明です。
当時の信長は急速に勢力を拡大する一方、比叡山焼き討ちに象徴される苛烈にして強硬な姿勢でも知られており、危険視する声も多かったので村重もまた、その圧倒的な権力に危機感を抱いていたのかもしれません。
謀反の報を受けた信長でしたが、すぐには怒り狂うことはなく、懐柔策を提示し続けます。しかし、幾度提案しても従おうとしない村重にとうとう大激怒し、城攻めを開始します。
しかし、有岡城は堅城であり、容易に攻め落とせる城ではありませんでした。城下町ごと防御施設として利用する総構えの構造は攻略が難しく、信長軍は長期包囲戦を余儀なくされます。思案の末、信長は黒田官兵衛(くろだ かんべえ)を説得に向かわせました。官兵衛は荒木家と縁が深く、戦を避けるため村重に降伏を勧めます。しかし村重はこれを拒否し、逆に官兵衛を城内へ幽閉してしまいました。
有岡城の戦い
信長軍による包囲が続く中でも、有岡城は容易には落ちませんでした。
しかし、次第に村重側は追い詰められていきます。補給は断たれ、周辺の支城も次々と陥落。ついには側近であった中川清秀らも信長に降ります。さらに信長は、降伏すれば助命するという条件を示しながら、村重方への調略を進めます。
頼みとしていた毛利からの援軍も来ない中、10ヶ月にも及んで耐えしのいだ村重でしたが、ついに少数の家臣のみと有岡城を脱出して尼崎城へ移りました。当然、妻子や一族、数多くの家臣たちは有岡城に取り残される形となります。信長は尼崎城を開城し、村重本人が投降すれば有岡城に残された人々の命を保障するという提案をしましたが、村重はこれを拒否。
そして1579(天正7)年、有岡城は落城します。村重の実子の一部は助命されたとも伝えられていますが、信長は見せしめとして、村重の妻子や一族、さらには家臣の家族にまで苛烈な処罰が及び、多くが処刑されたといわれます。その凄惨さは『信長公記』にも記されており、戦国時代の中でも特に衝撃的な出来事の一つとして知られています。
一方、村重自身は毛利氏のもとへ逃れ、生き延びました。この行動については、家族や家臣を見捨てた卑怯者という評価もあれば、どれほど追い詰められても生存を選んだ戦国武将らしい判断だったという見方もあるなど、村重の評価が大きく分かれる理由の一つとなっています。
茶人・道薫としての晩年
その後の村重は出家し、「道薫(どうくん)」と名乗ります。
一説には、秀吉からこの名を与えられる以前、自らの非道を悔いるように「道糞(どうふん)」と名乗っていたともいわれています。村重の複雑な胸中をうかがわせる逸話です。
信長が本能寺の変で倒れた後は、豊臣秀吉に仕え、茶人として活動するようになりました。村重は千利休とも交流があり、後には利休門下の茶人として高く評価され、秀吉政権の文化サロンにも関わったとされています。
戦国武将として名を馳せた人物が、晩年には茶の湯の世界で生きたという点も、村重という人物の興味深いところです。かつて信長に反旗を翻した男は、武ではなく文化の世界へ身を置きながら余生を送りました。
そして1586(天正14)年、波乱に満ちた生涯を静かに閉じました。享年は52歳だったと言われています。
荒木村重のお墓はどこにある?
荒木村重の墓所として伝わるのが、大阪府堺市にある南宗寺(なんしゅうじ)です。戦国武将や茶人とも縁の深いこの寺は、茶の湯や堺の豪商文化と縁が深い寺院として知られています。村重は晩年を堺で過ごし、死後はここに葬られたと伝わっていますが、現在墓石そのものは残っていません。南宗寺自体も元の場所から移転しておりその所在は不明とされています。
【龍興山 南宗寺】大阪府堺市堺区南旅篭町東3丁目1−2
また、兵庫県伊丹市の墨染寺には、村重の供養塔と伝承される九層の石塔があります。一見すると九重塔のように見えますが、実際には異なる石材を組み合わせて造られた塔で、笠の軒下にも意匠の異なる部材が用いられています。
最下部の台石は、もとは十三重塔の基礎だったとされ、一面には「正和二年(1313年)」の紀年銘が刻まれています。伊丹市内に残る在銘石造物としては最古級のもので、高さ約39センチ、幅は上端約81センチ・下端約83センチあります。現在は風化が進んでいるものの、銘文の痕跡や紀年銘の一部を確認することができます。その上の基礎や塔身は後世に補われたもので、塔身四方には、四天王を表す種字(しゅじ/仏を象徴する梵字)である「ジリ(持国天)」「ビ(増長天)」「ビー(広目天)」「バイ(毘沙門天)」が刻まれています。
この石塔は、もともと伊丹六丁目の鵯塚(ひよどりづか)に建てられていたものを、江戸時代後期に現在の寺へ移したと考えられています。
【曹洞宗 墨染寺】兵庫県伊丹市中央6丁目3−3
さらに熊本市の安国寺にも、荒木村重の供養塔が残されています。碑面には「曽祖前摂州太守荒木村重之墓」と刻まれており、村重の末裔によって建立されたものと伝えられています。
【安国寺】熊本県熊本市中央区横手3丁目26−8
まとめ
荒木村重は、戦国時代の中でも特に評価の分かれる武将かもしれません。
次々と主君を変え、最終的には時の最大権力者・信長に重用されながら謀反を起こし、家族や家臣を見捨てた裏切り者。 あるいは、戦乱の続く時代に命がけで立身出世を目指した知略と武勇を併せ持つ野心家。そのどちらの側面も、確かに村重という人物の中に存在していたのでしょう。しかし、だからこそ村重は現代でも多くの人を惹きつけているのではないでしょうか。
映画黒牢城では、有岡城に籠もる村重の複雑な心理が描かれ、豊臣兄弟でも乱世を生きる一人の武将として注目を集めています。単なる善悪だけでは割り切れない、それこそが、戦国時代という混沌の時代を象徴する人物だったのでしょう。
荒木村重の墓前に立てば、主君に背き、家族を捨てながらも、乱世を懸命に生き抜いた一人の武将の苦悩や熱い想いを感じ取ることができるかもしれません。
お墓は、亡き人を悼む場であると同時に、その人物が生きた時代や想いを現代へ伝える場所でもあります。
歴史上の人物の墓を訪ねることは、その人の人生に触れ、自分自身の生き方や家族とのつながりを見つめ直すきっかけになるかもしれません。
お墓の継承や建て替え、墓じまいなどに迷った際は、石材店へ相談することも一つの方法です。
お付き合いのある石材店が特にない場合は、以下の記事を参考に、ご自身に合った石材店を探してみてはいかがでしょうか。
マナーに十分注意した上で、いろいろなお墓に参ってみてはいかがでしょう。
荒木村重が反旗を翻した織田信長や、大河ドラマ「豊臣兄弟」に登場する人物に関する記事もあります。あわせてお読みください。