お役立ちコラム お墓の色々

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『どうする家康』でも注目!本能寺の変で討たれた信長の墓について

墓地・墓石コラム

『どうする家康』でも注目!本能寺の変で討たれた信長の墓について

2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、駿河国・遠江国(現在の静岡県)の守護大名・今川義元(演:野村萬斎さん)のもとで、のどかな人質生活を送っていた松平元信(後の徳川家康、演:松本潤さん)が、天下を治めるまでの波乱の生涯が描かれます。

永禄3年(1560年)の「桶狭間の戦い」で今川義元が討死したことを機に、元信は今川氏から独立します。その後同盟を結んだのが、織田信長(演:岡田准一さん)です。

信長・天下統一への道〜本能寺の変

桶狭間の戦い〜美濃平定〜足利義昭を奉じて上洛へ

「桶狭間の戦い」で勝利を収めた信長はその後、永禄10年(1567年)に美濃(現在の岐阜県)を平定すると、「天下布武(てんかふぶ/武をもって天下を統一する)」を掲げ、いよいよ天下統一を視野に入れるようになります。その翌年の永禄11年(1568)、足利義昭(演:古田新太さん)を奉じて上洛し、義昭を室町幕府15代将軍の座につけたことで、信長の名が全国へとどろくようになったのです。

第一次信長包囲網

将軍の後見人として権勢を振るうことになった信長に対し、畿内(京都に近い5カ国の総称)の諸大名や本願寺・延暦寺は反発します。第一次信長包囲網です。越前朝倉家や妹・お市(演:北川景子さん)の方の嫁ぎ先である浅井家もこれに加担しますが、信長はこれらの勢力を退け、元亀元年(1570年)の「姉川の戦い」で勝利を収めます。

第二次信長包囲網〜将軍追放

元亀2年(1571年)には延暦寺を焼き討ちするなど、その勢いを増す信長に対し、将軍・義昭は自身の待遇に不満を持ちはじめます。義昭は、密かに周辺勢力との結びつきを強め、甲斐(現在の山梨県)の武田信玄(演:阿部寛)をも加えた大包囲網を信長に対し形成しますが、天正元年(1573年)、信長により義昭は京から追放されます。

そして、本能寺の変へ

信玄を病で失った武田の騎馬隊を、天正3年(1575年)の「長篠の戦い」にて討ち破り、天正10年(1582年)には東国のほとんどをその手中に収めることになった信長は、西国を平定するため、兵を送ります。信長の天下統一はこのまま達成されるかに思われた天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝。京の本能寺にいた信長は、家臣の明智光秀(演:酒向芳さん)に攻められ、寺に火を放ち自害したといわれています。世に言う「本能寺の変」です。

「本能寺の変」で本能寺は焼け落ち、そのほとんどは灰となってしまいましたが、信長の遺体は見つかりませんでした。「本能寺の変」に至るまでの過程や、信長の最期には諸説があり、今でもその謎は解き明かされていません。

現在の本能寺は?

本能寺は法華宗本門流の大本山の寺院で、現在は京都市中京区下本能寺前町にあります。なお、現在の位置は豊臣秀吉(演:ムロツヨシさん)が移設したもので、「本能寺の変」が起きた当時、本能寺は別の場所にありました。

そのことを今に伝える石碑が、京都市中京区油小路通蛸薬師にあります。石碑には「本能寺跡」と書かれてあり、また、蛸薬師通小川の一角には「此附近 本能寺址」の石碑も残されています。

そして、現在の本能寺には信長の三男・信孝によって建てられた「信長公廟」があります。信長が所持していた太刀が納められており、また、境内には信長を供養するための宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建てられ、信長の側近達の供養塔も建てられています。

宝篋印塔とは?

宝篋印塔は、供養塔や墓碑塔などに使われる仏塔の一種で、中国からの伝来後日本で独自の発展をしてきた塔です。五輪塔とともに平安時代以降多く造られ、石造の遺品が多く残されています。

一般的に上から「相輪(そうりん)」「笠」「塔身(とうしん)」「基礎」「基壇」で構成され、笠の四隅には「隅飾(すみかざり)」と呼ばれる突起があるのが特徴です。

「100年以上前の先祖を供養するためのお墓」とも言われ、現代でも、特に先祖代々の家系図が残る名家や旧家のお墓、寺院の歴代墓などで、遠いご先祖様の供養のために建てられることもあります。

宝篋印塔についての詳しい解説記事もありますので、合わせてお読みください。
宝篋印塔の歴史と特徴をわかりやすく解説します

実は複数ある、信長の墓

本能寺にある「信長公廟」以外にも、“信長の墓”として伝えられるものは、実は全国に20ヵ所以上あります。以下は代表的なものです。


・阿弥陀寺(京都府)
・大徳寺総見院(京都府)
・大雲院(京都府)
・妙心寺玉鳳院(京都府)
・高野山奥之院(和歌山県)
・安土城跡(滋賀県)
・西光寺(滋賀県)
・南宋寺本源院(大阪府)
・瑞龍寺(富山県)
・崇福寺(岐阜県)
・西山本門寺(静岡県)

“お墓”という大きなくくりの中には、もっとも一般的な「遺体を埋葬したお墓」の他に、髪や爪、分骨といった遺体の一部や遺品等を埋めたお墓や、中に写経を納めるなどして死者を供養・慰霊するための目的で造立された供養塔などがあります。

そして、造立された石塔には、先ほどご紹介した宝篋印塔の他にも五輪塔(ごりんとう)や、無繕塔(むほうとう)、笠塔婆(かさとうば)等の多くの種類があります。同じ石塔で括られるものですが、地域や時代により、その形状には著しい差があります。

五輪塔や、お墓に関する語句の解説については、以下の記事をご覧ください。
五輪塔の歴史と特徴をわかりやすく解説します
お墓のデザインはどんなものがある?
墓標とは?墓石や墓碑など、似ている言葉との違いを解説します

信長ゆかりの地・本能寺

「本能寺の変」が起こった場所が当時とは違えども、本能寺には「信長公廟」以外にも、肖像画や禁制朱印状(信長が本能寺を宿舎にするにあたり本能寺と交わした約束状)などが残されており、信長と本能寺の関係を窺い知ることができます。

また、当時の天皇・正親町(おおぎまち)天皇を資金面でも援助した信長には“勤王家”の一面もあり、それは当時本能寺の住職だった日(にちじょう)上人の影響があったと言われています。

志半ばでその生涯を終えた信長。その在りし日を思い浮かべながら当地を訪れてみるのはいかがでしょうか。

「信長公廟」以外の信長の墓についてまとめた記事もございます。
偉人のお墓が複数あるのはなぜ?〜織田信長編

本能寺への交通アクセス

自動車

・東京方面から
 名神高速京都東I.C から国道1号線経由、河原町通方面へ 約25分

・大阪、神戸方面から
 名神高速京都南第2I.Cから国道1号線経由、河原町通方面へ 約25分

鉄道

・地下鉄東西線 「市役所前駅」すぐ
・JR京都駅 地下鉄烏丸線「烏丸御池駅」乗換東西線へ、市バス「市役所前駅」下車
・市バス・京都バス 「河原町三条停」下車すぐ
・京阪電車 「三条駅」下車 西へ徒歩5分
・阪急電車 「河原町駅」下車 北へ徒歩10分