お役立ちコラム お墓の色々
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鎌倉を3度奪還した男・【逃げ上手の若君】北条時行のお墓はどこにある?

週刊少年ジャンプに連載され、2024年7月期のアニメで放送された「逃げ上手の若君」。主人公は、足利尊氏率いる反乱軍に追われながらも、奪われた鎌倉の地を3度も奪還した鎌倉幕府第14代執権である北条高時の次男、北条時行。作品のように逃げることが得意だったかはわかりませんが、武士として潔く死ぬことが美徳とされた時代に逃げ延び、戦い、一時的とはいえ鎌倉の支配者となった北条時行。その足跡はどんなものだったのか、そしてその最後はどうだったのかを追っていこうと思います。
元弘の乱(鎌倉幕府滅亡)
そもそも北条家は平家の出身だったため、鎌倉幕府の中でも大きな権力は持っていませんでした。「逃げ上手の若君」でも、北条高時は鎌倉幕府の内管領(執事)である長崎円喜の傀儡(かいらい)として描かれています。
1185年に始まり140年以上続いた鎌倉幕府ですが、北条家の権力は必ずしも盤石とは言えませんでした。
当時は「持明院統」と「大覚寺統」の両派が交代で天皇に即位することになっていましたが、そのことに不満を持っていた後醍醐天皇は、鎌倉幕府を倒し、政権を大覚寺統に一本化することを画策します。しかしこの計画は幕府側にばれてしまい、後醍醐天皇は隠岐(島根県の離島)へと島流しに遭います。頓挫したと思われた計画ですが、再び源氏のもとに権力をとり戻したいと考えていた足利尊氏(当時は高氏)が北条家を裏切り、鎌倉幕府を滅亡させます(理由については諸説あります)。
その後、後醍醐天皇が島流しから帰京すると、天皇を中心とする新しい政治「建武の新政」を始めます。
しかし建武の新政はうまくは行きませんでした。大規模な政治改革が混乱を招いたことや、公家中心で武士が軽んじられる政策であったことが原因であったと言われています。
1度目の奪還・中先代の乱
最初の奪還は、諏訪頼重によって信濃(長野県)にひそかに匿われていた北条時行が保科弥三郎ら郎党を集め挙兵します。立ちふさがる官軍を次々と破り、1ヶ月後に鎌倉を取り戻します。
この反乱軍に時行がいると知らなかった後醍醐天皇は「政府のある京都に攻めてくる」と勘違いし、鎌倉への連絡が遅れ、鎌倉陥落へとつながります。
この時、時行は10歳だったと言われています。鎌倉を奪還しておよそ20日後、時行の軍は攻めてきた足利尊氏に破れ、かつて源頼朝が建立した大御堂で反乱の中心人物とされる頼重ら43名が自害し戦いは終結、足利尊氏が勝利します。
2度目の奪還・南北朝の内乱
足利尊氏に敗れはしたものの、ひそかに鎌倉を脱出した時行は北畠顕家や新田義貞の子である新田義興と共に2度目となる鎌倉奪還に成功します。しかし遠征軍は和泉国(大阪府)で行われた石津の戦いで高階師直に敗北します。北畠顕家は戦死しますが、時行は再び逃げ延びます。
3度目の奪還・武蔵野合戦
それから15年もの間逃げ回り、1352年に新田義興と共に3度目の奪還を果たします。しかしまたも奪い返され、1年間逃亡しますがついに捕えられてしまいます。
鎌倉幕府滅亡から20年後の1353年に時行は現在の神奈川県藤沢市にて処刑されます。
実は他にも北条与党が決起し鎌倉幕府の奪還を目論んだのですが、成功したのは時行だけと言われています。
ちなみに1度目の奪還のあと、わずか20日ほどですが鎌倉を支配します。これをきっかけとして、鎌倉を奪還された足利氏と朝廷との間に亀裂が入り、南北朝の内乱が始まります。
わずか20日ですが、鎌倉幕府を復活させた北条時行。敗者が世代を超えて再び政権を取り戻すというのは珍しくありませんが、滅亡後すぐの復活というのは世界的に見てもほとんど例のない事です。
北条時行のお墓はどこにある?
そんな時行のお墓ですが、長野県大鹿村で発見されました。なぜ鎌倉で処刑された時行のお墓が長野県にあるのか。ただ単に諏訪の関係者が時行を忍び建立したと考えられますが、「実は処刑されたのは影武者で本人は生き延びていて、伊勢に落ち延びた」という逸話もあります。お墓と言うにはあまりに簡素で、両脇に文字が彫ってある石があり、中央に傘のある小さい墓石のようなものがあるだけです。花や線香などをお供えすることもできないほどに小さいです。
ちなみにアニメのエンディングで1番最初に映し出されるものが、時行のお墓です。
※この墓碑は私有地内の山中に位置していることに加え、クマの出没情報もあるため、一般の方がお参りすることはできなくなっていますので、立ち入らないようにお願いします。
◆長野県大鹿村
まとめ
本来であれば歴史に名を残すほどの偉業を達成した時行ですが、新王朝を築いた足利尊氏や後醍醐天皇から見ればあくまで敗者であるため、ほとんど教科書などに乗ることはありません。「逃げ上手の若君」で時行を知ったという方も多いのではないでしょうか。
北条家の御旗を掲げるにはあまりにも幼かった時行ですが、その責務を全うし3度も鎌倉を奪還した時行。勝者の陰にある敗者もまた、さまざまなドラマを持ち生きていたのだと感じさせられます。
残念ながらお墓参りをすることはできませんが、時行が潜伏していたといわれる場所が長野県の各地に伝承として残されています。
アニメ第2期の放送も決定し、ますます話題の「逃げ上手の若君」。その歴史と足跡をたどり、時行がどう逃げ延びたのかを思い描いてみるのも良いかもしれません。
なお、本サイトでは鎌倉幕府にまつわる武将のお墓も紹介しております。そちらも併せてご覧ください。