お役立ちコラム お墓の色々
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干支の意味と起源とは?神様が決めたわけではない?

年始に親戚や親しい人たちが集まると、「あの人は巳(み)年生まれだよ」「今年は午(うま)年だから、玄関に馬の置物を飾ろう」など、干支に関係する話をすることもあるかと思います。
普段何気なく接している干支ですが、いつ誰が決めたのか、どんな意味があるのかについて聞かれるとうまく答えられないという人もいるのではないでしょうか。
そこで今回は、干支が持つ本来の意味や歴史をわかりやすく解説していきます。
干支(えと)が持つ本来の意味とは
普段接する干支といえば、ね(ねずみ)、うし、とら、たつ、み……い(いのしし)と1年につき1種類、全部で12種類の動物が並ぶ十二支(じゅうにし)を指していることが多いでしょう。
しかし厳密には、干支と十二支は異なります。
干支は本来、十干(じっかん)と十二支を組み合わせたものを指します。年や方角など、さまざまなものを表す方法として使われてきました。そして、この十干十二支を省略したものが「干支」になります。
十干とは
十干とは古代中国で生まれた概念で、1から10までの数字や、日付などを数えるときに使用する呼び方です。日本では一般的に、甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)の10種類が使われています。
よく見ると、「の」の前の呼び名が同じで、末尾のみ「え」と「と」の2種類にわかれているペアが5組あることにお気づきでしょうか。実は、これにも意味があります。
十干が生まれた古代の中国には、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)という考え方がありました。この説は、陰陽説(いんようせつ)と五行説(ごぎょうせつ)の2つを組み合わせたものです。
陰陽説は、自然界のあらゆるものは「陰」と「陽」という反対の性質を持つ2つに分類されるという考え方です。「え」は兄を指し、陽の要素を持ちます。一方、「と」は弟を指し、陰の要素を持っているとされています。
五行説は、この世界のいろいろな物事は「木(き、もく)」、「火(ひ、か)」、「土(つち、ど)」、「金(か、こん)」、「水(みず、すい)」の5つに分類でき、それぞれに影響を与え合っているという考え方です。
五行と陰陽をセットにすると、木と兄で「きのえ」、木と弟で「きのと」という風に、10種類の組み合わせが出来上がります。これが十干です。ちなみに陰陽五行説の考え方は、十干だけでなく、漢方治療や占いなどでも使われています。
1から10までの数字を漢字で表すことに違和感がある人もいるかもしれませんが、戦前には、学校の成績表に数字ではなく、甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)と表記していた時期がありました。この場合、甲がもっともよい成績で、丁が一番下という意味になります。
現代でも、契約書を作る際には甲と乙がよく用いられます。
十二支とは
十二支は、十干と同様に古代中国で誕生した考え方です。当時は木星を基準に年を数えており、12年で公転する木星が今年どこにあるのかを把握するために、天を12分割してそれぞれに12種類の漢字を当てました。これがのちに十二支として、方角などを表す際に使用されるようになります。
十二支は多くの人になじみがある子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)、巳(み)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(い)の12種類から構成されています。
一般的な動物を表す漢字とは異なっている点が特徴です。
時代劇では、人々が時刻を示す際に十二支を使っている場面がよく登場します。「亥の刻にいつもの場所で会おう」と言っていたら、およそ21時から23時ごろに会うという意味です。
十二支は、節分などでおなじみの鬼のイメージにも影響を与えています。
方角を十二支で表すと、丑と寅は北東を表します。北東は、昔から鬼が出入りする不吉な方位「鬼門(きもん)」だと考えられてきました。そこから、鬼は牛のような角を持ち、虎柄のパンツを履いているというイメージが生まれたようです。
干支の表記方法や関連する風習
干支は、十干と十二支を組み合わせて表記します。
例えば、十干の「甲」と、十二支の「子」を合わせると「甲子(きのえね、こうし)」になります。
この文字を見て、甲子園を思い出す人も多いでしょう。
実は甲子園という名前は、甲子園球場が完成した年が「甲子」に当たる年だったことが由来です。ほかにも幕末に起きた戊辰(ぼしん)戦争など、干支は歴史上の物事の名前にも影響を与えています。
なお、十干と十二支のペアは全部で60種類あり、1年に1種類ずつ順番に使っていくため、60年で一回りしてもとに戻ることになります。60歳になった人に還暦のお祝いをする習慣も、60年で一巡する干支の考えにちなんだものです。還暦という言葉には、自分が生まれた年の暦に戻ってくるという意味があります。
干支に関する歴史
干支の始まりといえば、「昔、神様が1月1日に自分のもとにきた順番に応じて十二支を決めた」という言い伝えを聞いたことがある人も多いでしょう。日本ではこの話が有名ですが、国によってさまざまな言い伝えが語り継がれています。
しかし干支の本当の始まりは、日本で親しまれている言い伝えとは異なるものとなっています。
干支が持つ本当の起源
干支の正確な誕生時期はわからないものの、今から3000年以上前、中国の殷(いん)の時代には使われていたと考えられています。当時は占いのために干支が使われていたようです。その後、今から2000年ほど前、諸説ありますが後漢の時代に思想家の王充(おうじゅう)が、十二支をより使いやすくしようと、1つずつ12種類の動物を当てはめたと言われています。
動物を当てはめた十二支の概念は、日本には奈良時代より前に伝来したようです。
神様が決めたという言い伝えはあとから生まれた?
上記のような歴史を考慮すると、「神様が自分のもとに到着した順番で十二支を決めた」という説は、あとから生まれた言い伝えではないかと考えられます。
それでも「犬と猿が十二支の順番をめぐってけんかしたことから、犬猿の仲という言葉が生まれた」など、この言い伝えにちなんだエピソードは今も多くの人に親しまれています。
実際の起源とは異なっていても、伝統文化として未来に受け継いでいきたいと感じる人は多いのではないでしょうか。
干支に関する思い出を語り合ってみませんか
干支は十干と十二支を組み合わせたもので、昔から年や時間、方角などさまざまなものを表すために使用されてきました。
「神様が決めた」という説はあとから作られた可能性が高いと考えられますが、子供の頃に聞いた動物たちが必死に走る物語に思い入れがある人は多いでしょう。
年末年始に家族や親戚と集まると、亡くなった親戚の話をするときにも「あの人は寅年生まれだったね」「年男の年にはお寺で豆をまく役をやったらしいよ」など、干支に関係した話をすることもあるはずです。
懐かしい話で盛り上がったあとには、お墓参りに行って親戚やご先祖様に挨拶をしませんか。亡くなった親戚やご先祖様も、会いに来てくれたことをきっと喜んでくれるでしょう。