お役立ちコラム お墓の色々
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地蔵盆とは何をする行事?その由来や、いつ・どこで・どのように行われるのかを紹介します

夏の終わりに、子どもたちの笑い声と共に行われる地蔵盆。近畿地方を中心に伝わる伝統行事で、縁日や盆踊りが開催されることも多い、子どもが主役の地域のお祭りです。
子どもの頃に、または子どもと一緒に参加したことがあるという方がいらっしゃる一方で、一部の地域に伝わる行事であることから、「初めて聞いた」「地蔵盆という名前は聞いたことがあるけれど実際には参加したことがない」という方も多いかもしれません。
地蔵盆とはどのような行事なのでしょうか?今回は、地域に根ざし、古くから子ども達に親しまれてきた地蔵盆の成り立ちや、由来となっている言い伝え、行事の内容をご紹介していきます。
子どもが主役の行事「地蔵盆」
地蔵盆とは?
寺院や墓地、街角や道端など、さまざまな場所で見かけるお地蔵様は、正式には「地蔵菩薩(じぞうぼさつ)」と呼ばれる仏様で、古くから地域や子どもの守り神として親しまれてきました。
地蔵盆とは、このお地蔵様にお供え物をして供養し、子ども達の健やかな成長を祈る、子どもが主役の地域や町内の行事です。「地蔵祭り」や「地蔵会(じぞうえ)」とも呼ばれ、地蔵菩薩の縁日とされる8月24日や、前日でお逮夜(たいや)にあたる8月23日に、近畿地方を中心として、中部地方・四国地方・九州地方の一部地域などで、古くから開催されています。(旧暦の7月に行われたことから、7月24日または23日に行う地域もある)
どんなふうに行われるの?
地蔵盆は、町々にある、お地蔵様を祀った祠(ほこら)やお堂の前にテントを建てて開催されるほか、集会所や公園、駐車場、空き地、個人宅などで行われる地域もあります。
規模やかたちは様々ですが、お地蔵様に新しい前掛けをつけたり、お化粧(彩色)を施したりしてきれいに整え、お供えやお参りをしたあと、子ども向けの催しを行うのが一般的です。子ども達に「お接待」や「おさがり」としてお菓子が配られたり、縁日やゲーム大会、福引などが開かれたりと、「町内のお地蔵様を囲んで行う小さなお祭り」と言った雰囲気で開催されるところも多く、子ども達が心待ちにする夏の風物詩として、大切に受け継がれています。
お地蔵様とは?
前述でも紹介しましたが、お地蔵様は、正式には「地蔵菩薩」と呼ばれ、仏教における菩薩の一尊(お一人)です。お釈迦様が入滅された(亡くなられた)後、弥勒菩薩が現れるまでの間、生きとし生けるものを救う役割を担うとされ、子どもをはじめ、すべての人々を見守り救ってくれる仏様として親しまれています。
子どもの守り神
仏教が中国から日本に伝わると、地蔵菩薩は、地獄における人々の苦しみを代わりに受け、救ってくださる存在として信仰されるようになります。その教えが広がるとともに、その仏像であるお地蔵様も各地に建てられ、特に、「子どもの守り神」として広く知られるようになりました。子どもが生まれることなく亡くなってしまった際の水子供養にも、お地蔵様を建てることがあります。
水子供養については、こちらで詳しく解説しています。
土地(地域)の守り神
また、日本で古くから信仰されてきた道祖神(どうそじん、どうそしん)とも習合し「土地の守り神」としても大切にされてきました。旅の安全や道の安全を祈願するだけではなく、外から災いが入り込まないようにという願いを込め、集落や村の境界となる場所や道端に置かれるようになったと言われています。また、墓地の入り口などに建てられた6体のお地蔵様(六地蔵)にも、あの世とこの世の境界を守っていただくという意味が込められています。
お地蔵様とはどういう存在なのか?詳しくはこちらの記事で解説しています。
地蔵盆の起源と歴史
諸説ありますが、地蔵盆は、京都が発祥という説が有力です。地蔵菩薩の縁日である24日に毎月行われていた「地蔵講」と呼ばれる地蔵菩薩を供養するための集まりが、時代と共に変化・発展してきたもので、お盆の時期に開かれたものが「地蔵盆」と呼ばれ受け継がれてきたとも言われています。
信者を疫病から守るために始まった地蔵講
古い記録では、平安時代末期の説話集『今昔物語集』に、京都にあった祇陀林寺(ぎんだりんじ)(現在の権現寺/京都市下京区)の僧侶・仁康(にんこう)が、疫病が流行った折、夢のお告げに従って地蔵菩薩の像を作り地蔵講を行うと、信者が疫病から守られたという逸話が残されており、これが地蔵菩薩を供養する行事の始まりではないかと言われています。
小野篁(おののたかむら)と閻魔大王の話
もう一つの逸話として伝えられているのが、こちらも『今昔物語集』に納められている、閻魔大王にまつわる物語です。
平安時代に活躍した歌人で官僚でもあった小野篁(おののたかむら)は、昼間は官僚として朝廷に仕え、夜は地獄に降りて閻魔大王の補佐をしていたという、不思議な言い伝えを持つ人物です。ご存知ない方もおられるかもしれませんが、閻魔大王は地蔵菩薩の化身とも言われており、地獄で罪のない人を救ってくれるという説があります。
ある夜、篁は、苦しむ人々を救うために自らが身代わりとなって地獄の炎に焼かれていた閻魔大王の姿を目にします。その慈悲深い姿に感動した篁は、閻魔大王を救うために供養を行いました。
この逸話が人々の間に広まり、地蔵菩薩への感謝と供養の行事が行われるようになったとも言われています。
地蔵講から、地蔵盆へ
今昔物語集には、こうした地蔵菩薩にまつわる逸話が多く残されており、平安時代末期以降、京都を中心に地蔵菩薩への信仰が民衆の間に広がっていったと考えられています。この頃から、お地蔵様も各地に増えていったようです。
また、江戸時代には、子どもたちが集まってお供え物や飾りをする、現在の地蔵盆の形に近い行事が行われていたとも言われています。
明治時代に入ると、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)という、仏教を廃そうとする動きの中で、多くのお地蔵様が撤去されたり埋められたりした時期もあったようですが、明治中期ごろからは再興が進み、地蔵盆は、住民同士のつながりを深める役割も担いながら、地域の行事として積極的に行われるようになっていきました。
地蔵盆が子ども主役の行事になったのはなぜ?
地蔵盆で子ども達が主役となるのは、前述で紹介したように、地蔵菩薩が子ども達を守ってくださる存在だと考えられているためです。その由来となった、有名な言い伝えをご紹介します。
「賽(さい)の河原」の話
仏教には、人が亡くなると、あの世とこの世の境にある三途の川を渡るとの言い伝えがあります。ただ、親に先立って亡くなった子どもは、三途の川を渡ることができず、「賽の河原」と呼ばれる川辺で、両親のために石の塔を作り続けるという苦行にさらされると言われています。しかし、どれだけ積み上げても鬼に崩され、永遠に終わることがありません。それを憐れんだ地蔵菩薩は、その河原へ赴いて子ども達を守り、成仏に導くと伝えられています。
このような言い伝えにより、子ども達がその加護を受けられるようにと、町や村にお地蔵様を建てて地蔵菩薩をお祀りするようになり、更に子どもの幸せや健康を願う、子どものための行事が行われるようになったと考えられています。
地蔵盆では何をする?
お地蔵様を洗い清める
地蔵盆は、子どもが主役の楽しいお祭りとしての側面もありますが、本来は地蔵菩薩を供養する地域や町内の行事です。
まずは、お地蔵様を水や布などで丁寧に洗い清めて、頭巾や前掛けを新しいものに取り替え、お地蔵様が安置されている祠やその周辺もきれいに掃除して整えます。京都府の北部や福井県の若狭地域など、お地蔵様に化粧を施す地域も見られます。お地蔵様を寺院から借りてきたり、仏画を飾ったりしてお祀りするところもあるようです。
なお、赤い頭巾や前掛けには、「赤ちゃん」の赤、生命の起源である太陽、厄除け、「子どもが無事に天国へ導かれるように」といった意味が込められていると言われています。
お供えや飾り付けをする
お地蔵様の前には祭壇を設け、花やお供え物を並べます。地域の風習によって違いもありますが、仏教のお供えである五供(香、花、灯明、浄水、飲食)を基本に、飲食は、お餅や落雁(らくがん)、果物、「お接待」や「おさがり」として参加者で分け合えるお菓子やジュース、精進料理のお膳などがお供えされます。
兵庫県神崎郡の川上地区では、花を形作った餅を籠花(かごばな)のように飾る「花だんご」をお供えする風習があり、国の無形民俗文化財に指定されています。
提灯や旗を飾る
お地蔵様の周りには、提灯を飾るのが一般的です。地域の習わしによりますが、地蔵菩薩の敬称である「地蔵尊」や、子どもの名前を書き入れる地域も多く、地蔵菩薩と子どもの縁を結ぶという意味が込められていると言われています。
また、緑、黄、赤、白、紫の五色の旗を飾る地域もあります。
僧侶による読経や法話を行う
行事のはじめには、お地蔵様の前に集まり、僧侶の読経に合わせて手を合わせます。それぞれにお賽銭を入れてお参りする姿も見られます。
地域によっては、僧侶による法話(仏教のお話)を聞くところもあるようです。
数珠回し(数珠繰り)
京都を中心に地蔵盆の伝統行事として行われているのが「数珠回し(数珠繰り)」です。
何メートルもある大きな数珠を囲んで輪になって座り、僧侶の読経に合わせて、一つ一つの珠を隣に送って回していきます。邪気を祓い、心身を清める行いとされています。
数珠の意味については、こちらの記事をご覧ください。
お菓子配りやゲーム大会、福引き〜子どもが楽しめる催し〜
地蔵盆では、お参りした子どもにお菓子の詰め合わせを配る風景がよく見られます。
また、昼食や夕食として手料理が振る舞われたり、地域の大人が縁日を開き、たこ焼き、焼きそば、綿菓子、金魚すくいなどの屋台を設けたりする地域もあります。スイカ割りやゲーム大会など、子どもが楽しめる催しが行われることも多く、大人も子どもも交流しながら夜まで過ごすことも少なくありません。
行事の締めくくりとして、福引きや花火などを楽しむ地域もあります。
京都の地蔵盆では、かつて、福引きの番号を「畚(ふご)」と呼ばれるカゴに入れ、紐で2階まで引き上げ、景品を入れて降ろす「ふごおろし」という風習もありましたが、近年ではほとんど見られなくなっているようです。
まとめ
今回は、近畿地方を中心に受け継がれてきた、子どもが主役の行事「地蔵盆」についてご紹介してきました。
近年では、少子化などの影響から、地蔵盆の開催が難しくなったり、二日間行なっていたところを一日にしたりする地域もある一方、地域のつながりを育む場としての価値が見直され、復活させたり、他県から移り住んだ人たちも巻き込み新しい形で開催したりする地域も出てきているようです。
地蔵盆は、子どもの健やかな成長を祈るだけでなく、地蔵菩薩との縁を繋いでその慈悲に触れ、地域の人が集う中で共に暮らす人たちの関係を育み、そして、子どもを大切に思う地域の大人の想いや、神仏への感謝の心、手を合わせて祈る文化を次世代に伝えていく行事と言えるのではないでしょうか。
もし、地蔵盆が行われている地域にお住まいであれば、ぜひ一度足を運んでみてください。お地蔵様で結ばれた「縁」を通して、地域の温かな空気を感じる、貴重な機会になるかもしれません。
地蔵菩薩のように私たちを守護してくださる仏様や、地蔵盆と同じ頃に行われるお盆の行事について解説している記事もありますので、あわせてご覧ください。