お役立ちコラム お墓の色々
お役立ちコラム お墓の色々
- 供養をきわめる -
縄文時代のお墓から見る、お墓の存在理由
みなさんにとって、お墓とはどういった存在でしょうか?
お墓はご先祖さまや大切な人が眠る「かけがえのない存在」と捉える方がいる一方で、
「お墓は維持管理が大変だから必要ない」
「お墓のことで子供に迷惑をかけたくないからお墓はつくらない」
という意見の方や、
「お墓は不要」
とまで考えられる方がいらっしゃいます。
その背景には、家族のあり方や人生観、死生観の変化などがあるのかもしれません。
しかしながら、日本人には永らく続いてきた「お墓文化」があります。
大切な家族のお墓を守り、そして、お墓に手を合わせてきた歴史・・・
そこには明確な「お墓の存在理由」がありました。
では、その原点は一体どこにあるのか?
現代のように誰もがお墓を建てるようになった大正時代?
お墓を建てる文化が庶民にも根付いた江戸時代?
有力者のみが死後お墓へと納められた昔の日本?
実はそのどの時代でもなく、お墓文化の原点はそのさらに昔からあったと考えられています。
日本最古のお墓は?
現在、日本最古のお墓といわれているのは「湯の里4遺跡」です。
北海道上磯郡知内町にある「湯の里4遺跡」は、昭和58年に調査発掘され、約2万年前の旧石器時代の墓と考えられる日本最古の土坑(地面に掘られた穴)が発見されました。
土坑は1.1m×0.9mの楕円形。底には赤い土が敷かれ、2点の垂飾りと3つの玉、石核(打製石器の元となる石のかたまり)や石器の材料となる石が置かれており、副葬品を納めた墓であったと考えられています。
このようにお墓自体は2万年前から日本に存在したと考えられていますが、現代の「お墓文化」に通じる遺跡として挙げられるのが青森県青森市にある「三内丸山(さんないまるやま)遺跡」です。
現代の「お墓文化」に通じる遺跡…とはどういうことでしょうか。
三内丸山遺跡とは
三内丸山遺跡は今から約5900年前~4200年前の縄文時代の集落跡です。
平成4年から発掘調査が行われ、竪穴建物跡、大型竪穴建物跡、大人の墓、子どもの墓、盛土、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場、道路跡などが見つかりました。
それ以外にも、膨大な量の縄文土器、石器、土偶、土・石の装身具、木器(掘り棒、袋状編み物、編布、漆器など)、骨角器、他の地域から運ばれたヒスイや黒曜石なども出土した、日本最大級の遺跡です。
当時の集落全体の様子や自然環境などを今に伝えます。
三内丸山遺跡で見つかったお墓の特徴
縄文人は土地の使い分けをしていたと考えられています。三内丸山遺跡には、集落、まつりの場所、物をしまう場所、貯蔵する場所、ゴミ捨て場などがありました。
お墓も明確に分けられていましたが、そこにはある特徴があります。
大人の墓と子どもの墓は区別されていた
集落の東側から見つかったのは、大規模な大人の墓地群です。その数約500基。1つの大きさは1~2.5mの楕円形の穴で、ここに手足を伸ばして埋葬されたと考えられています。
一方子どもの場合、普段使っている土器の中に遺体を入れ埋葬していたようです。
土器の大きさから、1才前後の子どもと推測され、これまでに800基以上の子どもの墓が見つかりました。
道路に沿うようにお墓が配置されていた
集落には、海に向かって延びる幅約12m、長さ約420mの道路があり、お墓が並んでいたのはその両側です。その配置は、道路をはさんで東西2列、向かい合うようになっていました。
お墓の特徴から見えること
三内丸山遺跡が発掘されるまでは、お墓や埋葬に関する見解は、「遺体は集落から遠い場所でまとめて棄てていた」といったものでした。
しかしながら、三内丸山遺跡で見つかったお墓は、住居のある位置からほど近い、大きな道路に沿って並んでいたのです。
また、1体ずつ丁寧に埋葬していた跡も見つかり、その近辺では、花や木の実、魚の骨なども出土しています。
この状況から、下記のように現代の「お墓文化」と通じることが見えてきます。
・死者を大切に埋葬していたこと(大人も子どもも)
・死者に対しても生きている人と同様に親しみを持って大切にしていたこと
(住居の近くにお墓を作った理由)
・お墓にお供物をしていた可能性があること
あらためて考える、お墓参りの大切さ
医療が整った現代と比べ、縄文時代の暮らしはきっとリスクの多い時代で、「生きる」ことの大変さは、今よりももっと大きかったと想像します。そのため、三内丸山遺跡では子どもの墓が800基以上あったのでしょう。成人することが決して当たり前ではなかった時代です。
だからこそ、彼ら縄文人は、死者を身近なところで大切に埋葬し、親しみを持って接していたのではないかと思います。
先人たちへの感謝。
生きていることへの感謝。
子孫のしあわせ。
そういったことを、死者を埋葬した土坑、つまりはお墓を通して日々感じて生きていたのかもしれません。
お墓に向かって手を合わせる習慣こそなかったとは思いますが、きっと縄文人もお墓参りのようなことを行い、先人と子孫による“しあわせの交換”をしていたと想像します。
子孫が先人に“感謝の気持ち”を伝え、先人が“子孫のしあわせ”を守る…縄文時代から、お墓は“しあわせのシンボル”として、存在していたのかもしれませんね。
その縄文時代から時代は大きく進み、現在は「令和」です。
縄文時代から繋がってきた命は、この令和の世にも受け継がれ、そして今の私たち、さらには子孫へと繋がっていきます。
考え方によっては、受け継がれてきたバトンの数が多い現代の方が、縄文時代より「お墓の存在」は大きくなっているのかもしれません。
ぜひ、家族揃ってお墓の前で手を合わせ、お墓を介してはるか遠いご先祖さまとの“しあわせの交換”をしていただければと願います。
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◆【解説】お子さんと一緒に見てほしい動画「絵本・ゆらちゃんのおはかまいり」
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