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最古のお墓は約7万8000年前!?お墓の起源に迫ります

墓地・墓石コラム

最古のお墓は約7万8000年前!?お墓の起源に迫ります

お墓参りは、今でこそ当たり前の行事として行われていますが、そもそもお墓が存在しなければありえないものです。では、亡くなった方の遺骨をモニュメントと共に残す概念は一体いつから、どのように生まれたのでしょうか?
仏教の教えでしょうか?それともキリスト教の教えでしょうか?いいえ、実はこうした宗教の誕生よりも遥か昔から、お墓は存在していたのです。本記事では、「仏教」「考古学」「日本」の3つの観点から、お墓の起源を解説します。

お墓の起源【仏教編】

仏教に伝わるお墓の起源を語るには、やはりお釈迦様の存在は欠かせません。
仏教の開祖・ゴーダマ・シッダールダは、紀元前566年頃に生まれ、紀元前486年頃亡くなったとされています。生誕の地は、現在のネパール南部に位置する「ルンビニ」という村です。29歳で出家した後、数々の修行を経て悟りを開き、亡くなるまでの45年間、その教えを人々に伝え広めていきました。その後、80歳で入滅(亡くなる、という意味)されます。お釈迦様の遺骨は「仏舎利(ぶっしゃり)」と呼ばれ、「仏舎利塔(ぶっしゃりとう)」という塔が建てられて、丁重に弔われました。
この仏舎利塔こそが、仏教におけるお墓の起源と考えられています。
その後、仏舎利塔を巡り、入滅の地にあたる国と周辺国では争いが起きました。しかし、約200年後に古代インドのアショーカ王によって全国8カ所の仏舎利がさらに細かく粉砕され、約8万の膨大な寺院に配りなおされることとなりました。
以上が、仏教に伝わるお墓の起源です。ちなみに仏舎利塔はインドの言葉で「ストゥーパ」と呼びます。日本の卒塔婆の起源であり、語源であると言われています。

こちらの記事では卒塔婆について詳しく解説しています。
お墓の後ろにある卒塔婆、卒塔婆供養の意味

お墓の起源【考古学編】

前項では、仏教に伝わるお墓の起源を紹介しましたが、実はお釈迦様が生きた時代よりも遥かに前のお墓の痕跡が発見されています。ケニアで、およそ7万8000年前の子供の遺体の埋葬跡が見つかっているのです。
人類最古と考えられているこの埋葬跡は、『パンガヤサイディ洞窟』という、ケニアの湿潤な沿岸森林地帯の洞窟で発見されました。現地に住む人間にとって神聖な土地とされてきたこの洞窟には、これまでの調査のでも、大量の石器や動物の骨など、人が生活してきた痕跡が見つかっています。
埋葬跡には、2・3歳と推定される子供の遺体が、足を折って胸に抱えた屈曲姿勢で、体の右側を下にして埋められていました。また、体は動物の皮のような布で丁寧に包まれていました。その様子からは、幼くして亡くなった我が子を偲ぶ親心が伝わってくるようです。お墓の形は異なりますが、供養の心を感じさせるこの遺体は、お墓と言っても差し支えないでしょう。7万8000年前の太古の昔の人類にも、死者を想う心があったのです。

お墓の起源【日本編】

日本の最古のお墓は、北海道上磯郡知内町で発見された『湯の里4遺跡』とされています。昭和58年の調査の結果、旧石器時代の墓と考えられる日本最古の土壙(土を掘って作った縦穴)が発見されました。その他にも、石製の小玉・垂飾・石刃・石刃核・細石刃など14点が出土し、平成3年に国の重要文化財に指定されています。
日本での旧石器時代とは、人類が日本列島へ移住してきた時(見つかっている痕跡から推察されているのは12万年前)から1万6500年前を指します。想像もつかないほど長い期間です。もちろん、文献などは残っているはずもありませんし、日本は酸性土壌のため、こうした埋没された痕跡が残りにくいという特徴があるので、お墓の起源について研究が難しい面もあるようです。
そのため一般的には、縄文時代の「屈葬」が最初のお墓の痕跡とされています。遺体を埋葬するというのは、他の動物にはない人間独特の習慣です。その背景には死者を偲(しの)び、遺体を大切に扱うという思考があったことが伺えます。
次の弥生時代になると、遺体を甕などの物に納めるようになり、手の込んだ埋葬が行われていきます。古墳時代になると、世界三大墳墓のひとつ、「仁徳天皇陵」も造られていますので、死者を偲ぶだけでなく、権力の誇示などの意味合いがお墓に備わるようになります。
現代のようにそれぞれの家がお墓を持つようになるのは、まだまだ先の江戸時代になってからです。つまり、日本の場合、お墓の起源は旧石器時代から確認できるものの詳しくは不明、今のようなお墓が定着するのは江戸時代以降ということになります。

日本のお墓の歴史はこちらで解説しています。
いつからある?日本のお墓、墓石の歴史とは

お墓とは、供養の気持ちが形になったもの

こうしてお墓の起源を振り返ってみると、お墓とは「供養の気持ちの表れ」であることがよくわかります。7万8000年前のケニアでも、お釈迦様が入滅したときにも、日本の縄文時代でも、「ご遺体でも大切に守りたい」という気持ちが、お墓になったのではないでしょうか。別れの悲しみを乗り越えようとする一方で、故人を偲び、忘れないようにするために、お墓という形でその痕跡を残したのだと想像できます。私たちがお墓を建てる理由と、それほど変わらないようです。
そう考えると、立派なお墓を代々受け継ぎ、守っていくことができる私たちは、幸せなことかもしれません。家のお墓を大切にしていきたいものです。