お役立ちコラム お墓の色々

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【逆賊の幕臣】暗愚と呼ばれた将軍、徳川家定のお墓はどこにある?

墓地・墓石コラム

2027年放送予定の大河ドラマ「逆賊の幕臣」で幕末が描かれることから、幕府存亡の危機に直面した第13代将軍・徳川家定(とくがわ いえさだ)にも改めて注目が集まっています。

家定は、江戸幕府第13代将軍として黒船来航や開国問題、将軍の後継者問題など、日本の歴史を大きく変える転換点に直面した人物です。

その一方で、9代将軍・徳川家重と同じく幼い頃から病弱だったことから「暗愚の将軍」、突然かんしゃくを起こしたり、奇行を繰り返したりすることから「癇癖将軍」などと評されることも少なくありませんでした。

しかし近年では、5代将軍・徳川綱吉と同じように、その評価を見直す研究も進み、決して無能な将軍ではなく、激動の幕末を懸命に支えた人物だったと考えられるようになっています。また、NHK大河ドラマ「篤姫」で主人公・篤姫の夫として描かれたことから、ご存じの方も多いのではないでしょうか。

病と向き合いながら、日本が大きく変わろうとしていた時代を生きた徳川家定。そんな家定はどのような人生を歩み、最期はどこへ眠ったのでしょうか。

今回は、徳川家定の生涯を振り返るとともに、そのお墓についてもご紹介いたします。

病弱な御曹司として生まれる

徳川家定は文政7年(1824年)、江戸城で第12代将軍・徳川家慶の嫡男として生まれました。

幼名は政之助(まさのすけ)といいます。将来の将軍となることを期待されていましたが、幼い頃から病弱で、たびたび体調を崩していたと伝えられています。また、体が弱かったことから、思うように外へ出ることも少なく、江戸城の中で静かに成長しました。

天保8年(1837年)には元服して家定と名乗り、将軍後継者として本格的に教育を受けます。書画や能楽などの教養を身につけながら、将来の将軍となる日に備えていきました。

黒船来航間もなく、将軍就任

嘉永6年(1853年)6月、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリー率いる4隻の黒船が浦賀へ来航し、開国を求める国書を幕府へ突き付けます。圧倒的な軍事力を前に、日本は鎖国を続けるのか、それとも開国へ踏み切るのかという重大な決断を迫られました。

当時の幕府には、海外との本格的な外交を経験した前例はほとんどありませんでした。また将軍・家慶も病床にあり政治を動かせる状態ではなかったのです。そのため老中・阿部正弘を中心に諸大名や朝廷にも意見を求めながら対応を進めるという、それまでの幕府では異例の政策が取られます。

この対応は幕府の権威を弱めたともいわれますが、一方で未曾有の危機に対し、多くの意見を取り入れようとした結果でもありました。

幕府内部では、「開国すべき」と考える者と、「鎖国を守るべき」と主張する者が対立し、意見はまとまりませんでした。回答を引き延ばし親書を受け取るぐらいならいいだろうと考えた幕府側は親書を受け取り、一旦の目的を果たしたペリー率いる艦隊は再度の来日を言い残し引き上げていきます。

黒船の引き上げ後まもなく、心労が祟ったのか病床にあった将軍・家慶が死去。同年11月、家定は第13代将軍に就任します。しかし、家定を待ち受けていたのは、去ったと思われていた黒船の再来という未曽有の危機でした。

ペリーは翌年の嘉永7年(1854年)に約束通り来日し、日本へ開国を強く求めました。将軍になったばかりの家定は実際に病弱だった、暗殺を恐れてあえて暗愚を演じていたなどその理由は諸説ありますが、その判断を幕閣へ委ねました。しかし、それは単に政治を放棄したというよりも、経験豊富な家臣たちの意見を取り入れながら難局を乗り越えようとした結果だったとも考えられています。

約1か月に及ぶ交渉の結果、同年3月、幕府は日米和親条約を締結し、約220年続いた鎖国政策は大きな転換点を迎えます。

後継者争いと幕末への序章

家定には子どもがいなかったため、幕府では次の将軍を誰にするのかという後継者問題が大きな政治課題となります。

有力候補となったのは、一橋慶喜を推す「一橋派」と、紀州藩主・徳川慶福(後の第14代将軍・徳川家茂)を推す「南紀派」でした。一橋派は、政治手腕に優れた慶喜こそ次の将軍にふさわしいと主張したのに対し、南紀派は将軍家を輩出してきた御三家の血筋を重視し、慶福を擁立します。

病弱だった家定は、自らの後継者を早急に決めなければならない立場にありました。そして最終的に家定は、南紀派が推す慶福を後継者に指名します。この決定には、幕閣や大奥の意向、幕府内の勢力バランスなど、さまざまな事情が影響したと考えられています。家定の死後、大老・井伊直弼はこの決定をもとに将軍継嗣問題の決着を図ります。しかし、その過程で反対派を厳しく弾圧した「安政の大獄」が起こり、幕府への反発は一気に強まりました。

こうして家定の後継者選びは、幕府内部の対立を深めるだけでなく、幕末の政局を大きく動かす出来事となったのです。

篤姫との結婚

篤姫は薩摩藩島津家の一族に生まれ、後に近衛家の養女となって江戸城へ入りました。これは、将軍家との結び付きを強めたい薩摩藩の思惑や、朝廷との関係を重視した幕府の事情などが重なった縁談だったとされています。一説によると一橋を次の将軍として推すという密命を薩摩藩から受けていたとも言われています。

安政3年(1856年)、篤姫は江戸城大奥へ入り、不幸にも相次いで亡くなった二人の正室の後を継いで、第13代将軍・家定の3人目にして最後の正室となりました。

初めて対面した際、篤姫は病弱と聞いていた家定に対し、不安を抱いていたといわれています。しかし家定は、緊張した空気を和らげようとしたのか、扇子を顔に当てたり、おどけた仕草を見せたりして篤姫を驚かせたとされています。一見すると奇妙な振る舞いにも思えますが、家定なりの気遣いだったと伝えられています。結婚生活はわずか2年満たない短い期間でしたが、家定は篤姫を大切にし、夫婦仲は良好であったとされています。

ちなみに家定の死後、篤姫は落飾(らくしょく:高貴な身分の人が髪を剃り落として出家すること)して天璋院と名乗り、家定が指名した後継者と徳川家を支え続けました。

徳川家定の最期

安政5年(1858年)、家定は34歳という若さでこの世を去りました。死因については脚気(かっけ)や脳卒中、糖尿病説や中毒説など諸説あり、現在もはっきりとはわかっていません。

将軍在職中は黒船来航に始まり、開国問題や日米修好通商条約の締結、そして将軍後継者問題など、江戸幕府の命運を左右する出来事が相次ぎました。病や権力闘争による暗殺の危険と向き合いながらも、その激動の時代の舵取りを担い続けたのです。

家定の死後、後継者となった徳川家茂が第14代将軍に就任します。しかし幕府内部の対立は収まることなく、井伊直弼による安政の大獄、さらに桜田門外の変へと続き、幕末の動乱はますます激しさを増していきました。

将軍在職中は黒船来航に始まり、開国問題や日米修好通商条約の締結、そして将軍後継者問題など、江戸幕府の命運を左右する出来事が相次ぎました。病や権力闘争による暗殺の危険と向き合いながらも、その激動の時代の舵取りを担い続けたのです。

家定の死後、後継者となった徳川家茂が第14代将軍に就任します。しかし幕府内部の対立は収まることなく、井伊直弼による安政の大獄、さらに桜田門外の変へと続き、幕末の動乱はますます激しさを増していきました。

徳川家定のお墓はどこにある?

徳川家定の墓は、東京都台東区にある寛永寺の徳川歴代将軍霊廟にあります。

寛永寺は江戸時代初期に創建された天台宗のお寺で、徳川将軍家の菩提寺の一つです。家定のほか、四代将軍・家綱、五代将軍・綱吉、八代将軍・吉宗、十代将軍・家治、十一代将軍・家斉の計6人の将軍がこの地に眠っています。また、妻である篤姫もここに眠っています。

江戸幕府の将軍家では、正室であっても夫と同じ墓所に葬られないことが一般的でした。しかし篤姫は、家定の死後も徳川家を支え続けた功績が評価され、特別に家定の隣に葬られたとされています。

家定の墓は、背の高い木々に囲まれた静かな一角に建ち、周囲を柵で囲まれた厳かな雰囲気が印象的です。中央には将軍家の墓所らしい重厚な宝塔が据えられ、豊かな緑に包まれています。

霊廟は、寛永寺を開いた僧・天海の指導のもと、天台宗の根本経典である法華経の思想を取り入れて造営されたと伝えられています。江戸時代には壮麗な建築が建ち並び、将軍家の権威を象徴する場所でもありましたが、第二次世界大戦中の空襲によって霊廟の大半は焼失してしまいました。

現在は勅額門や水盤舎などが往時の姿を伝えるほか、歴代将軍の宝塔が残されており、当時の面影を今に伝えています。また、現在の位牌所は昭和38年(1963年)に再建されたものです。

【寛永寺】東京都台東区上野桜木1丁目14−11

まとめ

徳川家定は、江戸幕府第13代将軍として、日本が大きな転換期を迎えた幕末を生きた人物です。

黒船来航という未曾有の危機に際しての将軍就任、開国問題や将軍後継者問題など、江戸幕府の命運を左右する重要な局面に立ち会いました。その治世はわずか5年でしたが、家定が向き合った課題は、その後の幕府の行方、そして明治維新へとつながっていきます。

家定の墓前に立てば、病と向き合いながら激動の幕末を生き、260年以上続いた江戸幕府が終焉へ向かう歴史の転換点に立ち会った家定の思いを感じ取ることができるかもしれません。

お墓は、亡き人を悼む場であると同時に、その人物が生きた時代や想いを現代へ伝える場所でもあります。

歴史上の人物の墓を訪ねることは、その人の人生に触れ、自分自身の生き方や家族とのつながりを見つめ直すきっかけになるかもしれません。

お墓の継承や建て替え、墓じまいなどに迷った際は、石材店へ相談することも一つの方法です。

お付き合いのある石材店が特にない場合は、以下の記事を参考に、ご自身に合った石材店を探してみてはいかがでしょうか。

石材店はどう選ぶ? 注目すべき5つのポイント

マナーに十分注意した上で、いろいろなお墓に参ってみてはいかがでしょう。

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