お役立ちコラム お墓の色々

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ファンでなくとも一度はお参りしたい人間国宝のお墓~落語家・桂米朝編

墓地・墓石コラム

ファンでなくとも一度はお参りしたい人間国宝のお墓~落語家・桂米朝編

お墓参りの際、今後の抱負や約束事を墓前に誓う方は多いと思われます。お墓の厳かな雰囲気はこうした気持ちを引き締めるのにピッタリですし、約束事を破ると故人が見ているかのような感覚も覚悟を決めるのにはふさわしいものです。私たちは、神社やお寺にお参りするかのように、お墓参りをしている面もあるのです。

家のお墓の前で誓いを建てるのも良いですが、尊敬する偉人・生きざまに憧れる偉人のお墓に誓いを建てるのも、より一層気が引き締まって良いでしょう。なお、有名人のお墓巡りを趣味にしている方々は「墓マイラー」と呼ばれ、実は秘かなブームにもなっています。

人間国宝とは

日本では、重要無形文化財に指定された無形の「わざ」を高度に体得している個人を、通称「人間国宝」(厳密には「重要無形文化財の保持者」)として認定しています。

具体的には、雅楽・能楽・文楽・歌舞伎などの芸能関係者や、織物・染色・陶芸・蒔絵・金工などの工芸技術関係者に与えられるもので、その人数はのべ373人(令和元年12月1日時点)です。

人間国宝の認定は「生涯認定」であり、1人あたり年間200万円の「重要無形文化財保存特別助成金」が支給され、人間国宝が自らの芸を磨き伝承者を養成する活動を助成しています。

亡くなった場合はこの助成金の都合から人間国宝を「解除」されますが、その功績や評価が失われるわけではありません。

今回は、人間国宝として認められた偉大な人物の足跡とお墓を紹介いたします。

人間国宝・桂米朝

平成8年(1996年)に人間国宝となった、上方落語協会の三代目桂米朝(べいちょう)。落語界からは平成7年(1995年)に認定された五代目柳家小さんに続き2人目で、平成21年(2009年)には演芸界初の文化勲章受章者となりました。

上方落語は三味線・太鼓・鉦(かね)の“おはやし”を駆使した、派手で華やかな落語が特徴で、戦後、漫才が隆盛したことにより絶滅の危機に陥ります。その上方落語を復興させたのが桂米朝です。現代の落語界を代表する落語家の一人で「上方落語中興の祖」とも呼ばれています。

上方落語中興の祖

三代目桂米朝は大正14年(1925年)旧関東州(満州)大連市に生まれ、兵庫県姫路市で育ちました。小学生の頃に落語に出会い、演芸好きの父に連れられ寄席に通ううちに、落語をそらんじるほどの落語少年になったそうです。

昭和22年(1947年)に四代目桂米團治に入門。「三代目桂米朝」を名乗ります。

以降、60年間5300回もの高座で演じた演目は180以上。引退した噺家だけでなく、かつて聞いた人たちからも噺を集め、江戸時代の古文書や上方文化に関する文献なども調べ上げ、失われていた演目を次々に復活させました。

平成25年(2013年)1月の米朝一門会を最後に高座から遠のき、平成27年(2015年)3月19日19時41分、肺炎のため死去。多くの落語ファンに惜しまれながら89年の生涯を閉じました。

桂米朝の墓

三代目桂米朝のお墓は、兵庫県姫路市名古山町にあります。ユネスコ世界遺産にも登録されている国宝姫路城の西北約1kmに位置する名古山霊苑の中です。

名古山霊苑には姫路市名誉市民などを祀る「名誉塋地(えいち)」という区画があり、平成8年(1996年)8月2日に名誉市民となった米朝のお墓もそこに建てられています。

平成28年(2016年)に完成したお墓は、間口が約6m、奥行きが約5mの敷地となっており、中央にあるのは、一門の紋である「三つ柏(結び柏)」と「桂米朝」の寄席文字が刻まれた高さ約1.6mある庵治石(あじいし)の墓石です。

そして、墓を上から見ると米朝の「米」の字となるように、敷石と句碑が墓石の周囲に設けられています。

句碑に刻まれているのは、米朝が生前に詠んだ4つの句です。

  • 車など 要らぬ朧の ひがし山(春)
  • 建仁寺 ぬけてみようか 蝉しぐれ(夏)
  • 風呂敷の 柿としらるる みやげかな(秋)
  • 打ち水の 打ったるままに 凍りけり(冬)

米朝は俳句も得意であったことから、春夏秋冬の情景を詠んだ句も米朝の筆のまま彫られています。

庵治石の特徴

三代目桂米朝のお墓に使われている庵治石。この銘石は、香川県高松市東部の庵治町・牟礼町で採掘・加工される花崗岩です。

“御影石のダイヤモンド”と呼ばれる最高級の石・庵治石。その最大の特徴は「斑(ふ)が浮く」という現象で、具体的には、表面が二重のかすり模様のように見えることを指します。これは一部の庵治石だけに見られる希少な現象とされていて、この特質性と希少性から、庵治石は世界で最も高価な石という評価を受けています。

石肌は磨くほどに濃淡が浮き出し、平坦なはずの石の表面に奥行きを感じさせる二重のかすり模様が、「高い山々にかすみたなびく雲」「屋島から舞い落ちる桜の花びら」などにたとえられ、縁起物としても珍重されてきた石です。

また、庵治石は、鉱物の結晶が極めて緻密で、ガラスや鋼鉄なども傷つけられる水晶(石英)に匹敵する硬さを持ちます。その硬さゆえに、百年の単位で記憶を伝える墓石や石碑の素材として用いられてきました。

「職人泣かせの石」と言われるほどの加工の難しさはありますが、細かな彫刻を施すことができ、吸水性が低く風化・変質に強いため、庵治石でつくられたものの中には、五百年前の文字が残る例もあるほどです。

庵治石について詳しい記事がございます。ご興味のある方はお読みください。
日本の銘石をめぐる~香川県高松市・庵治石

名古山霊苑

三代目桂米朝のお墓のある名古山霊苑は、総面積294,000㎡と広大な敷地を誇る公営墓地です。「姫路市名古山斎場」に隣接しています。

中央の山頂にそびえるのは、仏舎利塔(高さ36.7メートル)です。鉄筋コンクリート造、白亜の連立ドームが目を惹く建物の中には、昭和29年(1954年)に、インドの故ネール首相から姫路市に贈られた仏舎利が納められています。

この仏舎利には人類永遠の平和の願いが込められ、これを中心に天蓋の周囲に浮かぶ鳳凰と雲中観音、さらには釈迦三尊と十大弟子の立像がならび、その下にモザイク仕上げによる釈尊一代図が壁面一帯に描かれています。

仏舎利塔の塔頂にはセイロン国(現在のスリランカ)より寄贈されたコタ(法輪)が据えられ、名古山霊苑のシンボル的存在となっています。

その周囲には噴水池や石仏堂が立ち並び、また、苑内は花と緑に包まれており、昭和61年8月には朝日新聞社による「ひょうご風景100選」にも選ばれるなど、散策スポットとしても多くの方に親しまれています。

なお、名古山霊苑の詳細は、下記のページをご覧ください。
姫路市営 名古山霊苑

まとめ

今回は、人間国宝・三代目桂米朝のお墓を紹介いたしました。お墓を上から見ると米朝の「米」の字となるような落語家ならではの遊び心があったり、故人の句も彫られるなど、ありし日の故人の面影を強く感じられるようなお墓となっています。

姫路城や好古園、太陽公園など、有名な観光名所の多い姫路ですが、当地を訪れた際は名古山にも足を運んでいただき、地域の方や、米朝一門の弟子たちの想いも詰まったお墓にお参りしてみるのはいかがでしょうか。

なお、本サイトでは、激動の時代・幕末を生き抜いた偉人の墓所も紹介しております。こちらの記事も併せてご覧ください。
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