お役立ちコラム お墓の色々
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- 供養をきわめる -
【南総里見八犬伝】を執筆した作者、滝沢馬琴のお墓はどこにある?
2024年に公開された映画『八犬伝』。滝沢馬琴の生涯と『南総里見八犬伝』の映像を組み合わせた壮大な映画となっています。
『南総里見八犬伝』そのものは、 1983年の映画化をはじめ数多くの映像作品が制作されているのでご存知の方も多いのではないでしょうか。しかし、その作者である滝沢馬琴のことは、「教科書で名前だけは見たことがある」という程度のおぼろげな記憶で、詳しい方は少ないと思います。
そこで今回は、滝沢馬琴の生涯にスポットを当ててみたいと思います。
なお、人物名は映画『八犬伝』に準拠します。
10歳で家督を継ぐ
1767年、馬琴(本名:滝沢興邦/曲亭馬琴ともいわれる)は現在の江東区にあった旗本・松平信成の屋敷で滝沢家の5男、倉蔵(くらぞう)として生まれます。しかし兄2人が早世してしまっていたため、3男として育てられました。滝沢家は、松平信綱の流れを汲む旗本松平鍋五郎家で代々要職を務めた中流武士の家系でしたが、馬琴が9歳の時父が亡くなってしまいます。家督は長兄が継ぎましたが、俸禄(給料のようなもの)を半減させた松平家を見限り、戸田家に仕えるため、馬琴が10歳の時に家督を譲り出て行ってしまいました。
次兄は養子に、妹と母は長男を追って戸田家に行ってしまったため、松平家に残ったのは馬琴のみとなりました。馬琴は松平家で主君の孫・八十五郎の小姓(いわゆる雑用係)として仕えましたが、8歳の子どもであった八十五郎の「大癇癪」や周りへの暴力に耐えかね、1780年、馬琴は14歳で松平家を逃げ出します。
俳人から戯作家へ
1781年、15歳の時に叔父の下で元服(武家の成人)し、俳諧に親しんでいた長兄と共に俳人・越谷吾山に師事します。幼いときから絵草紙などの文芸に親しみ、7歳で発句を詠んだという馬琴はその才能を発揮。17歳の時に「馬琴」の俳号で3句を収録した吾山撰の句集『東海藻』を発刊、21歳の時には俳文集『俳諧古文庫』を編集するほどになります。
俳人として頭角を現していく一方で、馬琴は長兄の紹介で戸田家の下級武士として仕えますが長続きせず、その後も武家の「渡り奉公」を転々とする放浪生活を送っています。
その後は医師の山本宗洪らに医術を、儒者である黒沢右仲らに儒学を学びますが、こちらも長続きしませんでした。
1790年、馬琴は弟子入りを志願するために、浮世絵師で戯作家である山東 京伝(さんとう きょうでん)のもとを訪れます。弟子入りこそかなわなかったものの、自由に出入りすることを許されます。その後馬琴は、1791年に戯作家としてデビューします 。しかしこの頃、社会の引き締めをはかるため「寛政の改革」が施行され、京伝の書いた遊女と客の駆け引きを描いた本が規制にかかり、京伝は刑罰を受けしばらく執筆が出来なくなりました。
その間馬琴は、京伝の草双子本『実語教幼稚講釈』の代作を手がけ、江戸の本屋にも知られるようになります。
それから5年後の1796年、30歳の時に馬琴は本格的な執筆活動を始めます。出世作である『高尾船字文』をはじめ、実に470種類ほどの作品を残す大作家となります。
その中でもとくに有名なのが106巻にも及ぶ大作『南総里見八犬伝』です。『八犬伝』の執筆を始めたのは1814年、馬琴が48歳の時で、書き終えたのは1842年、76歳の時です。実に28年の年月をかけた馬琴のライフワークともいえる作品です。
しかしその物語も簡単には進みませんでした。馬琴が67歳の時右目に、間もなく左目にも違和感を覚え、73歳の時に失明してしまいます。書けなくなった馬琴は、息子の妻である「お路」に口述筆記を頼み、ようやく『八犬伝』は完結します。
その後もお路に代筆を頼み活動を続けますが、1848年に死去。82年の生涯を閉じます。
ちなみに、命日(忌日)である11/6は 馬琴忌 とも呼ばれています。
滝沢馬琴のお墓はどこにある?
激動の人生を生きた滝沢馬琴は、現在東京都文京区にある「深光寺」で静かに眠っています。
墓碑には馬琴の法名である「著作堂隠誉蓑笠居士」と、馬琴の妻・お百の法名「黙誉静舟到岸大姉」の文字が刻まれ、台石には、馬琴の蔵書印といわれる家型の模様が入っています。
また馬琴の墓の後側には、失明した馬琴を口述筆記でサポートし、『南総里見八犬伝』を完成させた長男の妻のお路(法名・操誉順節路霜大姉)のお墓もあります。
【深光寺】東京都文京区小日向4-9-5
まとめ
馬琴は亡くなる際「世の中の、役を逃れてもとのまま かへすぞあめと、つちの人形」という辞世の句を詠んで旅立ちました。現代語に訳せば「人間の役目を終えて、元のままに、魂は天へ、肉体は土へと還ろう」という意味になります。
里見家の呪いを解くため、八つの珠に引き寄せられた八人の剣士たちの運命を描いた『南総里見八犬伝』。実に28年もの歳月をかけ、失明して自分で書けなくなっても
完成させた、まさに馬琴の人生をかけた作品と言えます。
そんな馬琴の生涯を描いた映画『八犬伝』を観て馬琴のお墓を訪れると、馬琴の熱い想いや、長男の妻という立場でありながら、その想いに打たれ代筆をしたお路の献身的な想いなどを感じる事が出来るかもしれません。
今でも受け継がれる想いや絆があふれる場所、お墓。一緒に訪れた人やそこに眠る故人との語らいの時間にもなるのがお墓参りです。教科書や作品でしか知らない有名人・著名人ですが、そのお墓を巡ることで、実際にその人が生きていた時代に思いをはせ、その人を身近に感じることができるかもしれません。お墓参りのマナーを押さえた上で、偉人や著名人、ご先祖様のお墓と、いろいろなお墓に参ってみてはいかがでしょう。
◆【保存版】お墓参りのマナーや常識 5つのポイント
なお、本サイトでは「滝沢馬琴」や「十返舎一九」をプロデュースし、2025年の大河ドラマの主役である蔦屋重三郎の記事も紹介しております。併せてご覧ください。
◆2025年大河ドラマで横浜流星さんが演じる蔦屋重三郎の墓はどこにある?
また、偉人や著名人のお墓参りをする人「墓マイラー」と呼ばれる方の記事も紹介しています。併せてご覧ください。
◆古くて新しい?お墓を巡礼する墓マイラーとは