お役立ちコラム お墓の色々
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- 供養をきわめる -
年忌法要の意味は?由来や歴史を紐解きます
一周忌・三回忌など、故人の冥福を祈り供養するため、葬儀後の定められた年に営まれる年忌法要ですが、そこに込められた意味について詳しく説明できるという方は少ないのではないでしょうか。
今回は、年忌法要の由来や歴史を紐解きながら、そこに込められた意味を解説していきます。
歴史や、大切にされてきた背景を知ることで、故人やご先祖さまをどのような形で供養していくのか、今一度考えてみるきっかけにしていただけたらと思います。
追善法要・年忌法要の由来と歴史
「法要」とは、僧侶が読経を行い、仏前で執り行われる儀式全般のことをいいます。特に、故人の冥福を祈る追善供養を目的とした儀式のことを指して使うことが多く、これは「追善法要」とも呼ばれます。追善法要が行われるようになった経緯には、インド仏教の考え方や、中国の儒教や道教が深く関わっています。
法要の起源
仏教はインドで生まれましたが、古代のインド仏教では、「人が亡くなると死後四十九日まで(中陰/ちゅういん)の間に別の世界で生まれ変わる」「四十九日まで七日ごとに裁判にかけられ、前世の罪の重さによって、次に何に生まれ変わるかが決まる」という「輪廻転生(りんねてんしょう)」の考え方が説かれていました。故人が幸せな場所に生まれ変われるようにと、残された人たちが供養し祈ったのが、初七日から四十九日まで行われる法要の起源と言われています。
しかしインド仏教では、出家主義といって、悟りを開くこと・修行をして解脱(げだつ)を目指すことが重要視されていたことから、四十九日を終えた後の供養の儀式というものはなかったようです。
中国に伝わってからの変化
仏教が中国に伝来すると、儒教における葬礼や、「孝」と言われる「親を敬う」という考え方と深く結びつき、更に、中国の漢民族固有の宗教「道教」に起源を持つ「十王信仰」とも融合したことで、初七日から四十九日まで七日毎に行われる7回の忌日法要(中陰法要)に、百か日、一周忌、三回忌を加えた、合計10回の追善法要が行われるようになりました。
十王とは、冥界で死者の前世の罪を裁く10人の王のことです。故人が亡くなると、10回に渡り十王の審判が行われ、現世に生きる者が祈ることで故人の罪が軽くなり極楽浄土へいけるとされています。
百か日、一周忌、三回忌については、儒教の経典に書かれた「3年の喪に服し、13ヶ月目と25ヶ月目に祭祀を行う」といった葬礼に由来し、また三と七の数字については、道教において人の霊魂には3つの魂(こん/精神を司る気)と7つの魄(はく/肉体を司る気)という二つの存在があるとする、「三魂七魄(さんこんななはく)」という考え方に基づいているとも言われています。
独自の進化を遂げた、日本の年忌法要
日本の年忌法要の歴史
日本では、仏教が伝来した後、平安時代に一周忌までの追善法要が行われていた記録があるようです。それ以降、前述した十王信仰が日本でも広まり、三回忌まで行われるようなりました。
更に鎌倉時代になると、日本独自の年忌法要が加えられるようになっていきます。
12〜13世紀ごろからは七回忌・十三回忌・三十三回忌の法要が行われるようになりました。更に、16世紀ごろには十七回忌・二十五回忌が加わり十五仏事と言われるようになります。江戸時代には二十三回忌、二十七回忌、五十回忌が加えられ、更に三十七回忌、四十三回忌、四十七回忌、そして百回忌、百五十回忌など、50年単位でも行われるようになり、現在の法要の形となりました。
「十三仏信仰」の誕生
日本の法要には、法要ごとに仏(菩薩や如来)が割り当てられており、それぞれの法要では、それぞれの仏を本尊として供養を行います。
これは、法要が日本独自の変化をしてきたために、生まれた風習です。
日本でも広まっていた十王信仰でしたが、鎌倉時代以降、十王は様々な仏の化身として現れたという日本独自の考え方が広がり、それぞれの王に本来の姿とされる本地仏が結び付けられるようになっていきます。江戸時代になると、「七回忌」「十三回忌」「三十三回忌」に合わせた新たな三王とその本地仏が加えられ、十三回の法要においてそれぞれの本地仏を本尊として祈りを捧げる「十三仏信仰」が生まれました。
「3」「7」がつく年が多い理由
年忌法要に「3」「7」がつく年忌が多い理由としては、四九日までの忌日法要にあるように、インドにおいて7日という区切りが大切にされていたことや、前述した中国の道教における「三魂七魄(さんこんななはく)」という考え方に由来するとも考えられますが、「3」「7」が仏教において大切にされているためという説もあります。
「3」は、「2」を超える数字です。仏教において「2」とは「有・無」「勝・負」「損・得」といった両極端な考え方を意味しており、「2」を超える「3」には、偏った考え方を離れるという意味があるとされています。
また「7」は、お釈迦様が生まれたときに七歩歩いたという伝説も有名ですが、「6」を超える数である「7」には、人の迷いの姿である「六道」の世界を超えて悟りに至ることを示す意味があるとされています。
このように「3」「7」が大切にされていることから、「3」「7」がつく回忌に法要を行うようになったとも言われています。
その他のタイミングでは、十三回忌、二十五回忌については、日本で大切にされてきた旧暦の考え方などに基づき、十二支が1巡・2巡するタイミングを区切りにしたとも考えられており、五十回忌については、神道において50年目に弔い上げをおこなうことに由来するとも言われています。
弔い上げ
年忌法要は、ある程度年月を重ねたのちに切り上げることが多く、最後の年忌法要のことを「弔い上げ」と呼びます。一般的には、三十三回忌や五十回忌が節目とされます。
これは、仏教において三十三回忌や五十回忌を迎えれば魂が浄化され、極楽浄土へ行けると考えられているためです。
五十回忌については、神道において50年目を弔い上げとすることと関係があるとも考えられています。
現代では、家族形態や生活様式の変化に合わせて、三十三回忌を待たずに弔い上げとするケースも増えています。
浄土真宗における年忌法要の意味
浄土真宗では、「往生即成仏(おうじょうそくじょうぶつ)」といって、「人は亡くなるとすぐに極楽浄土へ行き仏になる」と考えられているため、成仏を祈る追善供養という考え方がありませんが、年忌法要は他の宗派と同様に営まれます。
浄土真宗における法要は、故人を偲びつつ、阿弥陀如来への感謝を伝え、仏の教えに接するという意味をもって行われるようです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?元々伝わった仏教の教えだけではなく、親や先祖を敬い神仏を大切にする心や、より良い生き方を目指す考え方が、現在の「年忌法要」の形を作ってきました。
現代では、生活様式の変化から法要を行う回数が減ってきており、一周忌しか法要を行わない家庭もあります。しかし、法要を行うかどうかにかかわらず、大切なのは故人を思い供養する心です。お墓に手を合わせるだけでも故人の供養になりますし、同時にご自身の在り方に目を向けるよい機会にもなるでしょう。
法要に関わる歴史や意味を知っていただいたことをきっかけに、年忌法要という節目をどう過ごすか、ご家族で話題にしてみてはいかがでしょうか。
年忌法要・追善法要の数え方・行い方などについては、こちらの記事を合わせてご覧ください。
◆法事・年忌法要はいつ・どのように行う?数え方や行い方を解説します
◆追善供養とは?生者が故人のためにできる唯一のこと
◆命日とは?意味や過ごし方、お供えのマナーを解説
◆四十九日までの過ごし方 〜すべきこと、してはいけないこと〜