お役立ちコラム お墓の色々
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大阪・関西万博でも開催?全国のお盆の行事を紹介〜盆踊り編〜

夏に、ご先祖さまの霊を迎え感謝とともに見送る、日本の伝統的な供養の行事であるお盆。この時期には、地域の祭りや行事が盛んに行われますが、中でも全国各地で多くの人々に親しまれているのが「盆踊り」です。毎年参加している、子どもの頃に参加したことがある、「ちょちょんがちょん」のリズムを聴くとワクワクする、ついつい踊りたくなるという方もいらっしゃるかもしれません。そんな盆踊りは、2025大阪・関西万博での開催も予定されており、日本の伝統文化として国内外に向けても注目を集めています。
にぎやかなお祭りのイメージが強い盆踊りですが、お盆に迎えたご先祖さまの霊を送り出すという意味が込められていることをご存知でしょうか?今回は、そんな盆踊りの起源や歴史に触れながら、各地の盆踊りの行事をご紹介します。
盆踊りのはじまりと意味
盆踊りとは
盆踊りは、歌や音頭、笛や太鼓といったお囃子(はやし)に合わせて踊りながら、ご先祖さまを迎え、感謝し見送る、お盆の供養行事のひとつです。
お盆の前後や、早いところでは6月14日ごろには、各地でやぐらを囲んで踊ったり、街を練り歩いたりと、地域ごとにさまざまな形で行われ、浴衣や伝統の衣装で踊る姿や、熱気あふれる祭りの雰囲気、地域の人たちが集う様子は、夏の風物詩として親しまれています。中には、昔ながらの風習を守り、初盆(故人が亡くなって初めてのお盆)を迎える家をまわって盆踊りで供養する地域もあります。
古くから、地域文化や風土と結びついて受け継がれてきた盆踊り。従来は、各地で伝承されてきた音頭や民謡に合わせて踊るのが主流でしたが、今ではJ-popやアニメソングを取り入れるなど、子どもや若者も楽しめるよう工夫され、外国人観光客にも人気が高まっています。
盆踊りの始まり
盆踊りのルーツは、平安時代に始まった「踊り念仏」にあると言われています。鉦(かね)や瓢箪、鉢を鳴らして踊り、節をつけた念仏を歌うように唱えることで、先祖供養や厄除けを願うものでした。また、“南無阿弥陀仏”の六字を唱えながら踊ることで、すべての人が阿弥陀仏に救われると信じられ、その感謝と喜びから、僧侶も民衆もともに輪になって踊ったと言われています。
この踊り念仏を始めたとされるのが、念仏によって極楽往生を願う「阿弥陀信仰」を広めたことで知られる、空也上人(くうやしょうにん)です。京都で疫病が流行した際、病魔退散を願って行ったと伝えられています。さらに鎌倉時代には、時宗の開祖・一遍上人(いっぺんしょうにん)が全国を行脚しながら踊り念仏を行い、その輪は各地へと広がっていきました。
仏教には、教えにふれて喜びのあまり踊り出すことを意味する「踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)」という言葉がありますが、盆踊りのはじまりは、その心に通じるものとも言えるでしょう。
盆踊りの歴史と変化
室町時代になると、全国に広まった踊り念仏は、地域それぞれの風習と融合しながら、娯楽や芸能として踊られる「念仏踊り」や、華やかで人の目を引く趣向を凝らした「風流踊り(ふりゅうおどり)」へと発展し、彩り豊かな衣装で、歌や、笛・太鼓などの囃子(はやし)に合わせて踊るものへと変化していきました。そして、成仏供養や疫病退散、雨乞い、虫送りなどの意味を持ちながら、各地のお盆行事とも結びつき、踊りを通して精霊(しょうりょう)を迎え死者を供養するという風習が生まれていったとされています。この時代、戦国武将として有名な織田信長や今川氏真も、仮装や女装をしてお盆の風流踊りに参加したという記録が残っているそうです。
江戸時代には、庶民の娯楽や文化の発展に合わせて踊りや衣装も多様化し、現代に通じる「盆踊り」として人々の間に定着していきます。人々の交流や男女の出会いの場としての機能も持つようになっていましたが、あまりの盛り上がりに一揆を警戒した幕府や藩が制限をかけたこともあったようです。
明治時代には風紀の乱れや近代化の妨げとして取り締まりを受け、戦時中も娯楽の制限で中止されるなど、盆踊りは何度も存続の危機に直面しました。それでも人々の心に根づいた文化として受け継がれ、地域のつながりや復興の象徴として大切にされてきました。
近年では、東日本大震災の後、盆踊りが年に1度の再会の場としての役割を果たしたり、コロナ禍ではオンラインで盆踊りが開催されたりと、時代の変化に応じて形を変えながらも、人と人をつなぐ役割を果たし続けています。
込められた想い〜供養と人々の結びつき〜
盆踊りは、先祖の霊や精霊を供養し、ともに踊りながら、または踊りに巻き込み、あの世へと送り出す意味合いを持つとも言われています。踊りの場に飾られる提灯は、迎え火や送り火の再現とも言われ、盆踊りの幻想的な表情を一層引き立てています。
また、古くから「足を踏み鳴らすことで霊を鎮め、あるいは悪霊を祓い、死者をあの世へ送る」という考えもあり、こうした信仰が踊りと供養を結びつけてきた背景にあるのかもしれません。
振り付けを知らなくても見よう見まねで参加できるのが、盆踊りの魅力の一つでもあります。言葉を介さない踊りだからこそ、自然と心が通い合い、地域の人々のつながりや信頼を育む場にもなっています。
亡き人を偲び、今を生きる私たちの命のつながりに思いを馳せる。盆踊りは、一見華やかに見えますが、その奥には供養の心と人々の絆を結び直す、静かで力強い営みが息づいているのです。
全国の盆踊りの行事〜日本三大盆踊り〜
ここからは、「日本三大盆踊り」と「その他の代表的な行事」に分けて、全国各地で発展し受け継がれてきた、代表的な盆踊りの行事を紹介していきます。
阿波おどり(徳島県徳島市・毎年8月11日〜15日)
徳島県内各地の市町村で開催され、踊り子や観客数において国内最大規模と言われる阿波踊り。国内外から100万人を超える観光客が訪れると言われ、「踊る阿呆(あほう)に、見る阿呆・・・」の囃子詞(はやしことば)と共に、徳島全体が熱気に包まれます。
一説には、天正14年(1586年)、徳島城の築城を記念して無礼講が許された際に踊られたものが始まりと言われています。日本三大流し踊り、四国三大祭りにも数えられる徳島の阿波踊りは、1970年の大阪万博に続き、2025年の大阪・関西万博でも披露され、話題になりました。
今では町おこしの一環として、全国各地で阿波踊りが開催されています。中でも有名なのが、高円寺(東京)の「東京高円寺阿波踊り」(8月下旬)です。徳島市の阿波踊りに次ぐ規模とも言われ、100万人の観客訪れる都内最大級の夏イベントとなっています。昭和32年(1957年)、地元商店街の青年部が中心となり、「高円寺ばか踊り」の名称でスタート。度重なる困難を乗り越えながら、商店街や市民が試行錯誤し作り上げてきた特色ある祭りで、現在でも時代に合わせた創意工夫を凝らしながらその歴史をつないでいます。
また、南越谷(埼玉)の「南越谷阿波踊り」(8月下旬)もよく知られており、徳島市阿波踊り、東京高円寺阿波踊りとともに、日本三大阿波踊りと言われています。
西馬音内盆踊り(秋田県雄勝郡羽後町・毎年8月16日〜18日)
西馬音内(にしもない)盆踊りは、亡き人を想う静かな祈りの雰囲気と優美な所作が、見る人の心を惹きつける伝統ある盆踊りです。
鎌倉時代、豊年祈願として踊られていたものが起源であり、城主一族を供養するためにお盆の時期に行われた亡者踊りと結びついたものと伝えられています。目だけを出した真っ黒な頭巾で顔を覆う衣装で亡者を表すなど、精霊とともに踊るという供養の意味合いを今に残しています。ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産にも登録されています。
郡上おどり(岐阜県郡上市・毎年7月中旬〜9月上旬)
郡上おどりは、延べ32夜にわたって開催される日本一長い盆踊りで、特に8月13日からの4日間で行われる「徹夜踊り」が有名です。
江戸時代、郡上八幡城主が領民の親睦を図るために、お盆の祭りとして催したのが始まりとされています。無礼講で踊った名残で、誰でも分け隔てなく踊る雰囲気が受け継がれています。日本三大民謡踊り、日本三大流し踊りにも数えられ、ユネスコ無形文化遺産にも登録されています。
その他、特色ある盆踊りの行事
黒石よされ(青森県黒石市・8月中旬のお盆の時期)
日本三大流し踊りの一つに数えられる「黒石よされ」。500~600年前(室町時代)に唄われた、男女の恋の掛け合い唄が起源とされる歴史ある盆踊りで、三千人余りの踊り子が市街地を流し踊ります。廻り踊り、組踊り、流し踊りの3つの踊りで構成され、廻り踊りは観客を巻き込んでの乱舞となる、熱気あふれる行事となっています。
山形花笠まつり(山形県山形市・毎年8月5日〜7日)
東北四大祭りの一つで、「ヤッショ、マカショ」の掛け声と勇壮な花笠太鼓に合わせ、一万人を超える踊り手が、県の花でもある紅花(べにばな)をあしらった「花笠」を手に踊りながらパレードします。
大正時代、尾花沢市(おばなざわし)の徳良湖(とくらこ)造成の工事において、地面を突き固める「土突(どんつき)作業」の息を合わせるため、そして重労働の辛さを忘れるためにうたわれた作業唄が起源と言われ、生活の中から生まれた唄が、踊り、祭りへと発展しました。1970年の大阪万博で披露したことがきっかけで、全国に知られるようになったと言われています。
すみだ輪おどり(東京都墨田区・1月〜2月頃)
国内のどこよりも早く、季節外れとも言える1月〜2月頃に開催される盆踊りの会が「すみだ輪おどり」です。誰でも参加することができ、区内各地で踊られている盆踊りや、地元で継承されているご当地音頭を取り上げ、地元の人にレクチャーしてもらうなどして踊ることから、盆踊り愛好家の間でも人気のイベントとなっています。
墨田区は、延べ3万人が訪れるという「すみだ錦糸町河内音頭大盆踊り」が開催されるなど、盆踊りが盛んな地域です。令和2年(2020年)、コロナ禍で各地の盆踊り大会の開催中止が相次ぐ中、安心安全な運動の機会、ささやかな娯楽の機会を作ろうということで、盆踊り愛好者の有志によりスタート。安心安全を確保するための様々な工夫を凝らし、盆踊りのトップシーズンである7月〜8月は外す形で年に数回行われてきましたが、自粛の必要がなくなってからも、参加者からの要望を受け、踊る機会がなくなる冬の時期に継続されています。
よさこい祭り(高知県高知市・毎年8月9日〜12日)
四国三大祭りの一つで、約200のチーム、18,000人の踊り手が参加する祭りです。
昭和29年(1954年)、商店街の振興、経済復興などを目的にスタートし、今では日本各地で開催されるようになっています。鳴子(なるこ)を鳴らして踊る、曲中に「よさこい鳴子踊り」のフレーズが入っているという2つのルールの他は、基本的に音楽、衣装、振り付けは多種多様で、伝統をベースにした、チームそれぞれの個性あふれるパフォーマンスが見どころとなっています。
沖縄のエイサー(沖縄県・旧暦の7月13日〜15日)
迫力のある太鼓の音や指笛など、独特のリズムと踊りで知られるエイサーは、沖縄本島周辺で先祖の霊を送る意味合いをもって踊られる、お盆の伝統芸能です。沖縄でのお盆の最終日にあたる旧暦の7月15日には、地域の家々を練り歩いて、先祖を送るためにエイサーを踊る風習があります。
琉球王国時代から受け継がれる独自の文化も多い沖縄県ですが、エイサーの起源について、一説には、1603年に浄土真宗の僧侶が、念仏踊りを伝えたことにあると言われています。現在では、もともとエイサーがなかった地域や県外にも広がり、お盆以外の行事やイベントでも披露されるようになっています。
受け継がれる、踊りに込められた繋がる心
盆踊りは、時代とともに姿を変えてきましたが、そこには、安寧の祈りや、ご先祖さまへの感謝と供養の心、そして、踊りを通して人と人とのつながりを大切にする気持ちなど、人々の変わらぬ想いや願いが込められてきました。
元の意味合いを受け継ぎつつ、つながり合うことを大切に、時代と融合させながら受け継がれてきた盆踊りの姿は、さまざまな文化と調和しながら発展してきた、日本らしい文化のあり方を映し出していると言えるでしょう。
2025年の大阪・関西万博では、大屋根リング・スカイウォークを舞台に、盆踊りが開催される予定となっています。また、コロナ禍を乗り越え、各地の盆踊りや夏祭りなどのイベントも、再び盛り上がりを見せています。
年に一度、ご先祖さまと過ごすひとときを彩る盆踊り。近くで開催されていたら、踊りに込められた祈りや感謝を肌で感じながら、参加してみてはいかがでしょうか。
お盆や、夏の行事について取り上げた記事もぜひ合わせてご覧ください。