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天台宗の宗祖、伝教大師・最澄は何をした人?誕生を祝う「御誕生会」を解説

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日本で天台宗を開き、比叡山に延暦寺を開山したことで知られる、伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)の誕生日を祝う行事があることをご存知でしょうか?

開祖や宗祖の誕生日を記念して行う法会を、「降誕会(ごうたんえ)」や「御誕生会(ごたんじょうえ)」といいます。毎年4月には、仏教の開祖であるお釈迦さまの降誕会が各地の寺院で開かれ、「花まつり」や「灌仏会(かんぶつえ)」と呼ばれて親しまれていますが、天台宗宗祖・最澄の誕生日にも、同様の行事が行われています。

今回は、最澄の生涯と残した功績を解説するとともに、8月18日を中心に行われる「伝教大師御誕生会」についてご紹介します。

天台宗の宗祖・最澄の御誕生会とは

「伝教大師御誕生会」は、「伝教大師(でんぎょうだいし)」として尊ばれている天台宗の宗祖・最澄の誕生を祝うとともに、その威徳を偲び、仏の教えに感謝するために営まれる法要です。

最澄の誕生日として伝わる旧暦8月18日の日付に合わせ、毎年、8月18日やその前日からの2日間に、最澄ゆかりの寺院において執り行われています。

法要では、読経や法話のほか、寺院によっては、普段は非公開となっているご本尊などの公開、和讃と呼ばれる讃歌の詠唱、子ども達による音楽や舞踊の奉納などが行われます。特に最澄が開いたことで知られる天台宗の総本山、比叡山延暦寺では、地域を挙げてのお祭りとして親しまれています。

最澄の生涯と功績

誕生と出家

最澄は、767年(神護景雲元年/766年とする説もある)8月18日(旧暦/新暦では9月下旬ごろ)、近江国滋賀郡(現在の滋賀県大津市辺り)にて誕生し、幼名を広野(ひろの)と名付けられました。のちに深く交流することになる真言宗の開祖・空海と同じく、幼い頃から聡明で、7歳の頃には自ら仏道を志したとも伝えられています。

その後、12歳で近江国の国分寺(国家の平安を祈って全国に建てられた寺院)に入門し、近江国師・行表(ぎょうひょう)の弟子になると、14歳で正式に出家し、「最澄」の名を授かりました。

この頃、行表から「心を一乗(いちじょう)に帰すべし」(一乗の教えを心の拠り所としなさい)との教えを授かります。「一乗」とは、仏となる道を一つの乗り物に例えたもので、「仏は人の能力に応じてさまざまな教えを説くことはあっても、行き着くところは一つ」「誰もが平等に悟りを開き、仏になれる」とする大乗仏教の教えです。この教えが、最澄の生涯を貫く思想となりました。

そして19歳で奈良の東大寺において正式な僧侶となる儀式を受け、本格的な修行の道へと歩みを進めたのです。

比叡山での修行と開山

僧侶となって間もなく故郷に帰った最澄は、比叡山に籠り、12年にも渡る修行の生活を送りました。修行の決意を綴った『願文(がんもん)』には、全ての人を救う仏の教えの体得を強く志していたことがわかる言葉が残されています。この頃、奈良時代に中国から来日したことで知られる僧侶・鑑真が残した経典などを通して、大乗仏教の経典の一つ「法華経」を中心とする、天台教学に触れたと考えられています。

修行に入った最澄は、788年(延暦7年)、比叡山の山中に薬師像を安置する小堂を建立し、一乗止観院(いちじょうしかんいん)と名付けました。これが後の延暦寺総本堂「根本中堂」の原型であり、比叡山延暦寺の起源として伝えられています。

遣唐使として唐へ渡る

日本ではまだ定着していなかった天台教学について深く学びたいと願った最澄は、804年(延暦23年)、桓武天皇の援助を受けて、遣唐使の一員として唐(中国)に渡りました。この時の一行に、空海もいたと伝えられています。

最澄は、唐で天台教学を大成させた高祖天台大師・智顗(ちぎ)が、その教えを確立したとされる天台山に赴き、天台教学と禅を学び、さらに天台山を降りた後も、密教や戒律(大乗菩薩戒)などを学びました。最澄はこれらの学びを統合し、日本で開く天台宗の基礎としていきます。

空海らのように長期滞在して学ぶ留学僧とは違い、短期間で帰国する還学生(げんがくしょう)という立場だった最澄は、1年ほど(約8〜9ヶ月など諸説あり)で帰国しましたが、その間に書写して持ち帰った経典類は、230部460巻に及ぶと言われています。

天台宗を開き、全国へ教えを広める

最澄は帰国すると、僧侶らに熱心に天台教学を伝えました。また、同じく持ち帰った密教も歓迎され、日本で初めて、灌頂(かんじょう/密教の教えを授ける儀式)を行ったと言われています。

そうした努力が実り、帰国の翌年には、桓武天皇の庇護を受けて天台宗の立教開宗が公に認められることとなりました。これが、日本における天台宗のはじまりです。

その後も、中部地方、関東地方、九州地方にまで足を運び、熱心に布教を行うと同時に、国の安寧のため、全国に『法華経』を安置した宝塔を建立する計画を進めるなど、人々の救いと国の安寧のために尽力したと伝えられています。

こうして天台宗の教えを広める一方で、同じく遣唐使として唐から帰国した空海とも交流を続け、経典の借用や手紙のやり取りを重ねながら密教への理解を深めました。しかし、教えに対する考え方の違いなどから、やがて交流は途絶えたと伝えられています。

悲願だった大乗戒壇の設立

南都仏教とも呼ばれる、それまで奈良の平城京を中心に栄えていた宗派では、自らの悟りを重視する小乗仏教の教えが主流でした。

そのような中、最澄は、すべての人々の救済を目指す大乗仏教の思想を広めるため、比叡山に大乗仏教の授戒(戒律を授ける儀式)を行う場である「大乗戒壇」の設立を目指すとともに、僧侶の育成制度も考案しました。

しかし、南都仏教の僧侶たちから強い反発を受け、生前にその願いが実現することはありませんでした。それでも最澄は、自身の主張を何度も文書にまとめて朝廷へ提出するなど、最後まで諦めることなく力を尽くしたと伝えられています。

最澄は、822年(弘仁13年)6月4日にその生涯を閉じましたが、そのわずか7日後、弟子たちの願いにより、悲願であった大乗戒壇の設立が認められました。

また、最澄が比叡山に築いた一乗止観院には「延暦寺」の寺号が与えられ、「天台宗総本山、比叡山延暦寺」として、今もその歴史と信仰を刻んでいます。

866年(貞観8年)、最澄は仏の教えを正しく伝え国家の安泰に貢献をした多大な功績が朝廷に認められ、「伝教大師」という謚号(しごう/死後に贈られる特別な称号)を賜りました。これは日本で僧侶に贈られた「大師号」の最初の事例と言われています。

最澄が開いた天台宗とそのお墓の特徴について詳しく知りたい方は、こちらも合わせてお読みください。

宗教による葬儀とお墓の違い・天台宗編

日本仏教の母山となった比叡山延暦寺

最澄の没後、比叡山延暦寺は弟子たちによって整備が進められ、日本有数の修行と学びの場へと発展しました。多くの僧侶が比叡山で修行を積み、浄土宗の法然上人、浄土真宗の親鸞聖人、日蓮宗の日蓮上人、臨済宗の栄西禅師、曹洞宗の道元禅師など、日本仏教を代表する各宗派の開祖たちもここで天台教学を学んだと伝えられています。

このように、比叡山延暦寺は新たな仏教の思想を育む場となったことから、「日本仏教の母山」と呼ばれています。

長い歴史の中では、戦国時代に織田信長による焼き討ちという大きな試練にも見舞われた比叡山延暦寺ですが、その後再興され、現在も天台宗の総本山として多くの人々の信仰を集め続けています。

最澄の御誕生会では何をする?〜代表的な寺院を紹介〜

伝教大師御誕生会は、天台宗の寺院の中でも特に最澄と縁の深い寺院で営まれています。法要では、読経や法話を基本として、寺院によっては地域のお祭りも合わせて盛大に開催されるところもあります。代表的なものをいくつか紹介します。

比叡山 生源寺(滋賀県大津市)

比叡山の山麓寺院の一つで、滋賀県大津市坂本にある「生源寺(しょうげんじ)」は、最澄が生まれたと伝わる父親の屋敷跡に建てられた寺院です。

毎年8月17日・18日の2日間にわたり、最澄やその両親への報恩法要をはじめとしたさまざまな法要が営まれ、読経や法話、ご和讃を詠唱する音楽法要、子どもたちによるご詠歌や舞踊の奉納なども行われます。夕方からは「坂本ふれあい夏祭り」が開催され、盆踊りや夜店など、地域をあげて最澄の誕生を祝う行事となっています。

期間中は、普段は非公開となっているご本尊が特別に御開扉されます。ご本尊の手に結ばれた「結縁綱(けちえんづな)」と呼ばれる五色の綱に触れることで、仏様と直接ご縁を結ぶことができると言われており、天台宗の伝統的な儀式として受け継がれています。

ご詠歌やご和讃についてはこちらの記事でも詳しく解説しています。

御詠歌(ごえいか)とは〜起源や葬儀との関係を紹介〜

三千院(京都府京都市)

京都市左京区大原にある「三千院」は、最澄が比叡山を開いた際に建てた草庵を起源とする寺院です。平安時代後期には、皇子皇族が出家したのちに住持する「宮門跡(みやもんぜき)」となり、天台宗を代表する寺院の一つとして長い歴史を歩んできました。

毎年8月18日には、ここでも伝教大師御誕生会が営まれます。一般の参拝者も法要に参加でき、大原の美しい自然の中で、最澄の教えに触れられる機会となっています。

孝道山(神奈川県横浜市)

御誕生会ではありませんが、神奈川県横浜市の「孝道山(こうどうさん)」では、最澄ゆかりの行事として、毎年8月18日に「舎利供大法要(しゃりくだいほうよう)」が営まれています。

孝道山は1936年(昭和11年)に開かれた比較的新しい寺院ですが、1952年(昭和27年)8月18日、比叡山延暦寺から、最澄が唐から持ち帰ったと伝わる仏舎利(お釈迦さまのご遺骨)の分骨を受けました。

「舎利供大法要」では、普段は公開されていない仏舎利が特別にご開帳されます。一般の参拝者も参拝することができ、最澄が大切にした「すべての人々を救いたい」という願いや教えに触れられる機会となっています。

まとめ

伝教大師御誕生会は、ただ誕生日をお祝いするだけではなく、最澄が説いた教えや、仏教の広がりの礎を築いた功績に思いを寄せる法要でもあります。

 最澄が生涯大切にした「生きとし生けるものすべてが平等に悟りを開き、仏になれる」という教えは、多くの人々に受け入れられ、日本仏教がより開かれたものへと発展する大きな転換点となりました。

天台宗の教えがこれだけ長く受け継がれてきたのは、自分中心ではなく、人々と共に救われることを目指すという考え方が、家族や地域とのつながりを大切にしてきた日本の暮らしや文化にも、通じるものがあったからなのかもしれません。

世界遺産にも登録されている比叡山延暦寺をはじめ、その周辺には日本仏教の歴史を感じられる史跡が数多く残されています。機会があれば足を運び、最澄の教えやその生涯に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

 また、8月はお盆を迎える時期でもあります。ご先祖さまを供養する大切なこの季節に、お墓参りをしながら、家族やご先祖さまとの命のつながりに静かに思いを巡らせてみるのもよいでしょう。

仏教の開祖であるお釈迦さまや、他宗派の開祖の降誕会・御誕生会についても紹介しています。また、8月のお墓参りに良いタイミングなどを紹介している記事もありますので、合わせてご覧ください。