お役立ちコラム お墓の色々
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【キングダム】趙の救世主・藺相如のお墓はどこにある?

アニメ第6期の放送が決定し、ますます注目を集めている「キングダム」。紀元前の中国を舞台にした歴史物語で、そのスケールの大きさや物語の重厚さからファンも多い作品です。戦乱の時代に生きた主人公、秦将・李信(りしん)の姿を通して、のちに始皇帝となる秦王・嬴政(えいせい)が中華統一へと歩む過程を描いています。壮大な戦いの描写や群雄たちの知略、国家の興亡といった史実を背景にした物語は、歴史作品としても高く評価されています。
嬴政の曽祖父で、戦神とも称された昭襄王(しょうじょうおう)の時代、中華統一の道を歩み始めた秦の前に立ちはだかった藺相如(りんしょうじょ)という武将をご存知でしょうか。藺相如とは、趙に仕えた名臣であり、その智謀と外交手腕によって国を救った人物として知られています。嬴政や李信が生きた時代ではすでに故人ですが、アニメキングダム第6期「鄴攻略編」に回想としてその名が出てくるほど有名な武将であった、と描かれています。
今回はその活躍と、藺相如のお墓がどこにあるのかも交えご紹介していきます。
※今回の記事は「史記」または「廉頗藺相如列伝」に基づいたもので、キングダムと異なる見解が含まれる点もございます。ご了承ください。
「完璧」の故事成語を生み出した命懸けの外交
藺相如の生まれや戦歴など、詳しい情報は残されていませんが、趙の恵文王(けいぶんおう)の時代、もともとは趙の重鎮の食客だった藺相如が如何にして国を救ったのかという逸話が、現代でも使われる数々の故事成語とともに残されています。
藺相如の逸話に、「完璧」や「怒髪天を衝く」という故事成語を生んだ、「完璧帰趙(かんぺききちょう)」というものがあります。
昭襄王の時代、秦は強大な軍事力を背景に周辺の国へ圧力をかけていました。
その頃、天下に名高い「和氏の璧(かしのへき)」という宝玉を所有していた趙王・恵文王は昭襄王から「和氏の璧と城15を交換しよう」との申し出を受けます。当時の城というのは外壁に覆われた都市を意味するので十分その価値に値するものではあります。
しかし、恵文王や廉頗(れんぱ)将軍、趙の重鎮たちは「約束を違えることで有名な秦の昭襄王が、本当に15城を差し出すはずがない。だがこの申し出を断れば秦の怒りを買い、国を滅ぼされるやもしれぬ」と大いに悩み、議論を繰り返すばかりでした。そんな時一人の重鎮が、過去に自分が如何にして窮地を助けられたのかという逸話を語り、昭襄王との交渉役に自らの食客である藺相如を推挙します。
この大任を引き受けた藺相如は、国の命運をかけ決死の覚悟で秦へと赴きます。昭襄王と面会した藺相如は宝玉を献上しましたが、予想通り城と交換する気配などまったくありませんでした。このままでは趙の大切な宝玉だけを奪われてしまうと考えた藺相如は、「この宝玉には欠けがあるので、その場所を王にお示ししたい」と言うと、昭襄王の手から宝玉を取り戻し、そのまま柱の近くへ歩み寄り、「無礼にも、もし15城を渡すという約束を違えこの宝玉を奪うつもりなら、私はここで宝玉を柱に打ちつけて砕き、自らも命を絶ってやる!」と、怒髪天を衝くような表情で昭襄王に迫ります。その鬼気迫る態度に、昭襄王は何も言い返せなくなりました。しかし、依然として約束を果たす様子のないことを悟った藺相如は「宝玉を受け取るために必要な儀式がある。その為には王も5日間身を清めねばならない」と偽り、機を見て趙に宝玉を送り返しました。その5日後、宝玉の所在を問われた藺相如は「王が約束を守る気がないとみて、宝玉はすでに持ち帰らせました。約束を違えることは死罪にあたります、煮るなり焼くなり、どうぞ好きにしてください」と言い切ります。昭襄王はその言葉で、自らの行いを鑑みたうえで「殺すには惜しい、殺したところで宝玉は手に入らない」として、藺相如を客人待遇でもてなし殺さず送り返すことになりました。
藺相如の命懸けの交渉により、趙は国宝を守り抜き秦の強引な交渉をはねのけることに成功し、藺相如はこの功績によって大いに評価され、高官に登用されることとなります。
この「璧を守って趙に帰した」ことから、「完璧帰趙(かんぺききちょう)」という故事が生まれ、この話が元になり完璧という故事成語になっていきます。今日では完璧という言葉は「一つも欠点がなく、完全なこと」という意味で使われています。またこの故事から、「怒髪天を衝く」という故事成語も生まれました。藺相如が昭襄王に迫った際の、激昂して髪の毛が逆立ち、まるで天を突きさすかのような状態に由来し、今日では激しい憤怒や激高するさまを表す意味で使われています。
澠池の会
完璧帰趙の後、両国の関係を改善する名目で、昭襄王は恵文王に西河の澠池(べんち)城で会合を開きたいと申し出ました。秦に赴くことを恐れ、ためらっていた恵文王に、藺相如と廉頗将軍は「出席しなければ趙が臆病と見られ、かえって国を危うくする」と進言しました。その言葉で覚悟を決めた恵文王は、澠池城へ赴きます。
酒宴の席で昭襄王は、恵文王に対して瑟(しつ:日本の琴のような楽器)の演奏を強要し、秦の史官に記録させます。弾けない楽器を演奏させることで、恵文王に屈辱を与えようとしたのです。その場に同席していた藺相如はおもむろに立ち上がると、昭襄王に盆缻(ぼんぷ:酒を入れる小さな瓶。秦にはこれを叩いて調子を取る風習があった)を演奏するよう求めます。昭襄王は拒みましたが、藺相如は昭襄王の下に瓶を持って歩み寄り、ひざまずくと「王と私の距離は五歩程度。私の首を切り落とし、その血をあなたに注がせてください」と、申し出を断れば自分の身を犠牲にしても昭襄王を殺すと宣言したのです。その言葉を聞いた秦の側近が藺相如を斬り殺すため動こうとしますが、藺相如の眼力に気圧されて動けなくなります。その様子を見た昭襄王は、一度だけ瓶を叩くのでした。さらに藺相如は、その事実を趙の史官に記録させ、秦の面目を保てないように仕向けました。
会談の席上、秦の臣下は「趙は15の城を割譲せよ」と迫りましたが、藺相如は「それなら秦も首都・咸陽を趙に差し出すべきだ」と切り返し、場を収めます。こうして恵文王は一方的に辱めを受けることなく無事に帰国しました。
これにより趙の威信は守られ藺相如はさらに出世、趙の宰相に抜擢されるに至りました。
また同僚の将軍・廉頗に「口八丁で出世する輩」と蔑まれても「国家のために内輪揉めはすべきではない」として身を退き、後に廉頗を感服させて「刎頸(ふんけい)の交わり」と呼ばれる固い絆を結びました。刎頸の交わりを結んだ廉頗将軍と藺相如が趙に健在な間、二人で国を支え、強大な秦から国を守り抜いたと記録されています。
「刎頸の交わり」もまた、廉頗将軍と藺相如の固い友情を結んだ故事に由来して生まれた故事成語で、今日では生死を共にするほどの深い友情の結びつきを表す意味で使われています。
キングダムでは趙奢(ちょうしゃ)を加えた「三大天」として描かれていますが、歴史書「史記」においては、廉頗と藺相如の活躍がとりわけ顕著に書かれているため、廉頗将軍と藺相如が趙国を支える中心人物として位置付けられています。
ちなみにキングダムでは若くして病死したとされている藺相如ですが、いつどのようにして亡くなったのかという記録は残されていないため詳細は不明です。
藺相如のお墓はどこにある?
藺相如のお墓ですが、河北省邯鄲市磁県の20kmほど北東にある、南城郷の羌村にあります。かつては三室からなる古寺と一体の像が建てられ、その背後に藺相如の墓がありました。長い歴史の中で戦乱により荒廃しましたが、1997年3月に改修工事が始まり、2000年8月に整備が完了しています。現在の墓域は約6.5ヘクタールに及び、正面には石碑が立ち、三つの正殿が並んでいます。内部には藺相如の像が安置され、さらに「完璧帰趙(玉を趙に返す場面)」「秦王が鼓を打つ場面」「藺相如が茨を背負って謝罪する場面」「車が裏道を通る場面」など、彼の生涯を象徴する壁画が描かれています。
他にも、山西省古県の北東約50km、臨子坪村の南約200mの地点にも藺相如のお墓があります。高さはおよそ8m、周囲は50mを超える規模で、墓前には石碑が建てられています。碑文は長い歳月の風化により判読困難となっていますが、「趙尚慶藺相如墓」という大きな文字は今も確認できます。墓は古木に囲まれ、静かな環境の中に位置しており、その前には案内板や藺相如の墓碑銘が残されています。
また、陝西省西安市臨潼区の15kmほど東、黄河支流の西手にも藺相如のお墓があるとされ、さらに清代の「臨潼県志」という書物には「馬崖道上」に墓があると記録されています。現在伝わる墓地は方形の古墳風の形をしており、高さはおよそ15m、広さは約6600㎡に及ぶといわれています。
【南城郷】中華人民共和国 河北省 邯鄲市 復興区
【藺相如墓】中国 山西省晋城市沢州県
まとめ
藺相如は本来無位無官の身でしたが、秦に奪われかけた宝玉「和氏の璧」を命がけで守り抜き、無事に趙へ持ち帰ったことで一躍名を上げます。「完璧帰趙」と呼ばれるこの出来事が、藺相如を一躍歴史の表舞台へと押し上げたのです。
さらに「澠池の会」では、文官でありながら秦王と堂々と渡り合い、趙の威信を守り通しました。時には武将さながらの気迫を見せながら、廉頗将軍とともに知恵と胆力で国を支え続けたのです。
武ではなく知と度量で国を守り抜いたその姿は、今も「智勇兼備の忠臣」として語り継がれています。
藺相如のお墓は遠く離れた中国にあって、さらに複数存在するため、なかなか気軽に訪れることはできませんが、実際に足を運んでお参りをすると、藺相如の「趙を守る」という確固たる想いや、武力ではなく知略で国を救ったその力を感じ取ることができるかもしれません。
お墓は受け継がれる想いや絆があふれ、過去の偉人が遺したその功績までをも感じ取れる場所。そして、一緒に訪れた人との語らいの時間をもたらしてくれるのがお墓参りです。教科書や作品でしか知らない有名人・著名人ですが、お墓を巡ることで、実際にその人が生きていた時代を感じることができるのではないでしょうか。
マナーに十分に注意した上で、いろいろなお墓に参ってみてはいかがでしょう。
キングダムに関連する記事もございますので、合わせてご覧ください。