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【映画SUKIYAKI】「上を向いて歩こう」を生んだ作曲家・中村八大のお墓はどこにある?

2026年12月25日、名曲「上を向いて歩こう」の誕生秘話を描く映画『SUKIYAKI 上を向いて歩こう』が公開されます。この曲を作曲したのが、昭和を代表する作曲家の一人、中村八大(なかむら・はちだい)です。
歌手の坂本九さんの歌声によって世界各地で知られるようになった「上を向いて歩こう」。その誕生の背景には、優れた音楽の才能を持ち、ジャズピアニストとしても活躍した中村八大の存在がありました。
今回は映画の公開を前に、数々の名曲を生み出した作曲家・中村八大の歩みを振り返りながら、そのお墓についてご紹介します。
中村八大とはどんな人物だったのか
中村八大は、1931年(昭和6年)1月20日、中国・青島(チンタオ)に生まれました。父は日本人学校の校長を務めており、幼い頃から音楽の才能を見いだされた八大は、早くからピアノを習い始めます。小学生の頃には音楽を学ぶために単身帰国し、東京でクラシック音楽を学びながらピアノの腕を磨きました。また、休日には当時の喜劇や舞台に親しむなど、さまざまな芸能に触れて育ちます。やがて八大はジャズに魅了され、ジャズピアニストとして活動するようになりました。大学在学中からその才能を発揮し、ピアノ演奏家として注目を集めます。
当時の日本では、戦後の復興とともにジャズや洋楽が広がり、音楽の世界にも新しい風が吹き込んでいました。八大はその流れのなかで、確かな演奏技術と豊かな音楽性を身につけていきます。
しかし、彼の才能はピアノ演奏だけにとどまりませんでした。後に作曲家として数々のヒット曲を生み出し、日本の歌謡曲の歴史に大きな足跡を残すことになります。
ジャズピアニストから作曲家へ
中村八大が作曲家として広く知られるきっかけとなった曲の一つが、1959年に発表された「黒い花びら」です。水原弘が歌ったこの曲は、第1回日本レコード大賞を受賞しました。日本の音楽界に新たな歴史が刻まれたこの出来事は、作曲家・中村八大の名を広く知らしめるものとなりました。
「黒い花びら」は、従来の歌謡曲とは異なる雰囲気を持った楽曲としても注目されました。ジャズの世界で培った感覚を生かしながら、新しい時代の歌を生み出していった八大。その音楽は、多くの人々の心をつかんでいきます。そして、八大の音楽活動を語るうえで欠かせない人物が、作詞家の永六輔です。
二人は「六八コンビ」と呼ばれ、作詞と作曲で力を合わせながら、数々の名曲を世に送り出しました。テレビ番組『夢であいましょう』などを通じて活躍の場を広げ、音楽を家庭の茶の間へと届けていきます。
作詞家と作曲家、それぞれの個性が組み合わさることで生まれた楽曲は、時代を超えて歌い継がれる作品となりました。
「上を向いて歩こう」が世界へ
中村八大の代表作として、今も世界中で知られているのが「上を向いて歩こう」です。
作詞は永六輔、作曲は中村八大、歌唱は坂本九。1961年に発表されたこの曲は、日本国内で大きな人気を集めました。
印象的なメロディーと、悲しみを抱えながらも前を向こうとする歌詞が、多くの人々の心に響いたのでしょう。
その後、楽曲は海外でも発売され、「SUKIYAKI」というタイトルで知られるようになります。1963年にはアメリカの音楽チャート、Billboard Hot 100で1位を獲得。日本語の歌詞そのままで歌われた楽曲がアメリカで大ヒットするという、当時としては画期的な快挙を成し遂げました。
世界的な成功の陰には、坂本九の親しみやすい歌声だけでなく、永六輔の言葉と、中村八大が生み出したメロディーがありました。
国や言葉の違いを越えて、多くの人々に受け入れられた「上を向いて歩こう」。その音楽は、発表から半世紀以上が過ぎた現在も、さまざまな場面で親しまれています。
数々の名曲を生み出した中村八大
中村八大の生み出した名曲は、「上を向いて歩こう」だけではありません。「こんにちは赤ちゃん」「明日があるさ」「遠くへ行きたい」「夢であいましょう」など、現在も広く知られる楽曲を数多く手掛けました。
「こんにちは赤ちゃん」は、梓みちよが歌い、第5回日本レコード大賞を受賞した作品です。赤ちゃんの誕生を喜ぶ気持ちを表現したこの曲は、家庭の温かさを感じさせる歌として親しまれました。
一方、「遠くへ行きたい」は、旅への憧れを感じさせる楽曲として知られ、テレビ番組のテーマ曲としても長く愛されています。また、「明日があるさ」は、明るく前向きなメロディーで、多くの人々に親しまれてきました。
こうした楽曲に共通しているのは、聴く人の心に自然と入り込み、日常の喜びや悲しみ、希望を感じさせるところではないでしょうか。
ジャズピアニストとして培った確かな音楽的感性と表現力を持ちながら、幅広い世代に親しまれる歌を生み出した中村八大。彼は300曲を超える作品を手掛けたとされ、昭和の音楽文化を支えた作曲家の一人となりました。
61歳で迎えた最期
数々の名曲を生み出し、日本の音楽界に大きな功績を残した中村八大でしたが、1992年(平成4年)6月10日、61歳の時に心不全で亡くなりました。告別式では、一般的な「弔辞」は行われず、読経の声とともに彼の遺した名曲の数々が、ピアノ演奏によって流されました。八大の音楽は、テレビやラジオを通じて多くの人々に届けられ、時代の移り変わりとともに歌い継がれてきました。そのメロディーは、今もなお多くの人々の記憶に残っています。
中村八大のお墓はどこにある?
中村八大のお墓は、東京都大田区にある池上本門寺にあります。本門寺は日蓮宗の大本山です。境内には大堂(祖師堂)をはじめ、五重塔や墓地などがあり、広い敷地内にさまざまな堂宇や墓所が点在しています。大堂は境内の主要な建物の一つで、墓地には力道山や幸田露伴をはじめ数多くの著名人のお墓もあります。
八大が眠る墓石は、一般的なグレー系の御影石を用いた伝統的な和型で、下台の下に四ツ石と石組の納骨室が設けられています。一番上の竿石正面には「中村家之墓」の文字があり、中央の水鉢には家紋と思しき円形の意匠が、向かって右側の墓誌には戒名が刻まれています。また、墓石の背後には複数の木製の卒塔婆が立てられています。
【池上本門寺】東京都大田区池上1丁目1番1号
まとめ
中村八大が亡くなってから、30年以上の歳月が流れました。それでも、「上を向いて歩こう」をはじめとする八大の作品は、今もなお多くの人々に親しまれています。ジャズピアニストとして音楽の道を歩み始め、作曲家として数々の名曲を生み出した中村八大。その作品は、昭和という時代を彩っただけでなく、国境を越えて世界中の人々に届けられました。
2026年12月公開の映画『SUKIYAKI 上を向いて歩こう』では、中村八大、永六輔、坂本九の3人が名曲を生み出していく姿が描かれます。映画をきっかけに、楽曲の誕生秘話や、作り手たちの人生に関心を持つ人もいるのではないでしょうか。
中村八大のお墓を訪ねる際には、八大の音楽に触れたその気持ちのまま、お墓で静かに手を合わせてみてはいかがでしょうか。
お墓は、亡くなった人を悼む場所であると同時に、その人が生きた時代や功績を今に伝える場所でもあります。 著名人のお墓だけでなく、ご自身のご家族のお墓も同じように、その人が歩んだ人生や思いを静かに語りかけてくれる場所です。 お墓に向き合う時間は、故人を偲ぶだけでなく、自分自身の生き方や家族とのつながりを見つめ直すきっかけにもなるでしょう。
お墓の継承や建て替え、墓じまいなどで迷った際は、石材店に相談することで、状況に合った最適な方法を提案してもらえます。
お付き合いのある石材店がない場合は、以下の記事を参考に信頼できる石材店を選ぶことが、お墓の悩みを解決する第一歩です。
マナーに十分注意しながら、訪れることができるお墓を巡ってみてはいかがでしょう。
「上を向いて歩こう」を歌った坂本九や、同じ東京で眠る偉人、古典芸能にとどまらず映画音楽の作曲まで手掛けた人間国宝・野澤松之輔の記事もございます。あわせてご覧ください。