お役立ちコラム お墓の色々
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『どうする家康』関ヶ原に遅参?江戸幕府の礎を築いた2代将軍・徳川秀忠のお墓
2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、松本潤さん演じる徳川家康が、駿河国・遠江国(現在の静岡県)の守護大名・今川義元(演:野村萬斎さん)のもとで人質としての幼少時代を過ごし、弱小国と言われた三河国(現在の愛知県東半部)の主となったのち、天下統一を成し遂げていくまでの波乱の生涯が描かれます。
江戸幕府を開いた家康の跡を継ぎ、第二代将軍となったのが、家康の三男・徳川秀忠(演:森崎ウィンさん)です。ドラマでも「偉大なる凡庸」と評価されるシーンがあるなど、カリスマ的な存在である家康の陰で目立たないと思われがちですが、約270年も続く江戸幕府の基礎を確立させた優れた為政者(いせいしゃ)として、高い評価を得ている人物です。
徳川秀忠の生涯
家康の三男として生まれるも、家督継承者となる
徳川秀忠は、天正7年(1579年)、家康と、側室・於愛の方(西郷局/演:広瀬アリスさん)の子として、遠江国(現在の静岡県)浜松城にて生まれました。幼名を長丸(または長松、竹千代)と言います。家康の三男でしたが、長兄の松平信康(演:細田佳央太さん)が、その母・瀬名姫(築山殿/演:有村架純さん)とともに武田家との内通を疑われたことで自害、更に次兄の秀康は、羽柴(豊臣)秀吉(演:ムロツヨシさん)の養子となったのち結城氏を継いだため、秀忠が家督継承者となりました。
天正18年(1590年)、京にいる秀吉の元へ上洛した際に11歳で元服し、秀吉から「秀」の一字をもらう形で「秀忠」と名乗ったとされています。
文禄4年(1595年)に、織田信長(演:岡田准一さん)の妹・お市の方(演:北川景子さん)の三女で、秀吉の養女となっていた江(ごう/演:マイコさん)と結婚し。この時、秀吉より「羽柴」の姓もあたえられています。長女の千姫(演:原菜乃華さん)は、後に秀吉の子である秀頼(演:作間龍斗さん)のもとに嫁いでいます。
関ヶ原の戦いでの失態
秀吉が亡くなり、慶長5年(1600年)に豊臣家と徳川家との間に起こった天下分け目の大戦・関ヶ原の戦いが起こると、秀忠は、家康の本陣とは別れて進軍することを命じられます。しかし、途中の信濃国(現在の長野県)上田城にて真田昌幸(演:佐藤浩一さん)に苦戦を強いられた結果、戦が終わった後に到着するという失態を犯してしまいます。このことに家康は激怒し、しばらく面会を拒絶するほどだったと言われています。
江戸幕府第二代将軍となる
慶長8年(1603年)に征夷大将軍となり江戸幕府を開いた家康は、そのわずか2年後の慶長10年(1605年)、将軍職を秀忠に譲り、秀忠が江戸幕府第二代将軍となります。
しかし、依然として政情が不安定だったため、家康が大御所という立場で実権を握り続けました。家康と秀忠との二元政治体制の元、秀忠は領地や譜代大名に対して家康の意を汲んだ政治を進めていきました。
秀忠は、慶長19年(1614年)に起こった大坂の陣にも参戦していますが、関ヶ原の失敗を繰り返すまいと行軍を急いだ結果、兵を疲弊させてしまい、再び家康を怒らせたと伝えられています。
このように、秀忠は戦では大きな活躍をすることができませんでしたが、豊臣家が滅亡したことで、政権運営に力を注いでいくこととなります。
家康の死後の活躍
元和2年(1616年)に家康が亡くなると、秀忠は優れたリーダーシップを発揮していきます。
まず、「武家諸法度」の実行を徹底し、幕府を脅かす外様大名らの改易(かいえき/領地の没収)、諸大名に命じての江戸城・大阪城の整備といった大規模工事を進めるなど、中央集権化に貢献。
また、朝廷に対しても、娘の和子を入内させその娘を明正天皇として即位させるなど、関係を深めるとともに、「禁中並公家諸法度」の実行などでその力を示しました。
更に、キリシタン禁令の強化、南蛮貿易の整備など、外交に対する政策にも力を注ぎました。
息子家光に将軍職を譲り大御所となる
元和9年(1623年)になると将軍職を息子の家光に譲り、父・家康と同様、大御所として実権を握りました。特に朝廷との関係において活躍し、寛永3年(1626年)には太政大臣(朝廷で政務を総括する最高位の役職)に任じられています。
晩年は体調を崩すようになったとされ、寛永9年(1632年)江戸城にて、54歳で生涯を終えました。
秀忠のお墓がある増上寺(東京都港区芝公園)
増上寺(ぞうじょうじ)
増上寺は、明徳四年(1393年)に開かれた浄土宗の寺院で、徳川家の菩提寺として秀忠を含む6人の将軍の墓所が設けられています。家康が関東を治めるようになった後の天正18年(1590年)に、徳川家の菩提寺として選ばれたとされ、家康が亡くなった際には、「増上寺で葬儀を行うように」という遺言によって、ここで葬儀が行われました。
かつては徳川家歴代将軍の霊を祀る霊廟も建立されていましたが、戦災により、国宝に指定されていたものを含むほとんどの建物が消失。昭和49(1974)年以降、次々と境内諸堂宇が整えられ、復興を成しました。
台徳院霊廟(だいとくいん れいびょう)
増上寺には、秀忠を含む歴代将軍ら7人の霊を祀る、霊廟や宝塔が建てられていました。秀忠が死去した寛永9年(1632年)に、院号を「台徳院」とし、三代将軍家光によって造営されたのが台徳院霊廟(だいとくいん れいびょう)です。徳川家霊廟の中でもとくに壮大であったようです。
しかし、1945年(昭和20年)の東京大空襲により、その大部分が焼失。土葬されていた遺体は、1958年(昭和33年)の調査発掘後に火葬され、秀忠のものを含む徳川家の墓所は、増上寺安国殿の裏手に移されました。
霊廟の中で惣門・勅額門・御成門・丁字門は焼け残り、このうち惣門は現地に保存され、今は芝公園内のザ・プリンスパークタワー東京の入口に建っています。他の3棟は埼玉県所沢市上山口のユネスコ村(現在は狭山不動尊)に移築されました。また、台徳院霊廟の主要部分を10分の1のサイズにした模型が作成され、1910年(明治43年)ロンドンで開催された日英博覧会に出品されたものが、増上寺宝物展示室に展示されています。
秀忠と、同夫人の宝塔
前述のように、徳川家の墓所は、増上寺の安国殿裏の「徳川家墓所」に移されました。その中に、秀忠とその妻・江(崇源院/すうげんいん)の供養塔である石造宝塔が建てられています。
これは、江の供養塔として建てられたものでした。しかし、秀忠の供養塔が木造で戦災により焼失したため、墓所をここに移す際、江とともに埋葬されました。
宝塔とは、円筒形の塔身に方形の屋根をのせ、その上に相輪を立てたものを言いますが、秀忠と江の宝塔は、塔身も屋根も八角形をしている八角宝塔です。
その他の秀忠の墓所
位牌が祀られている徳川家霊台(和歌山県伊都郡高野町)
徳川家霊台(とくがわけれいだい)は、和歌山県の高野山にある、家康と秀忠の位牌が祀られた霊屋(たまや)です。3代将軍家光が、秀忠の死の翌年に当たる寛永10年(1633年)から10年かけて造営したと伝えられています。かつては、徳川家の菩提寺・宿坊でもあった大徳院の境内にありましたが、明治時代に他寺院と合併して廃寺となり、霊台のみが残されました。
向かって右に家康霊屋、向かって左に秀忠霊屋の2棟が並び、どちらも造りはほぼ同じですが、家康霊屋には虎、秀忠霊屋には兎と、それぞれの生まれ年の干支にちなんだ彫刻が施されています。
極楽寺(島根県浜田市元浜町)
極楽寺は、1576年(天正4年)に創建された浄土宗の寺院で、境内に、三つ葉葵の紋と秀忠の院号が刻まれた墓碑が建てられています。
江戸幕府成立後に浜田藩初代藩主となった古田重治が、浜田城築城の宿陣にしたとされ、秀忠の死去に際し、重治の甥で2代藩主となった古田重恒が、墓碑を建立したと伝えられています。
位牌などが安置されている寺院
この他、知恩院(京都市東山区林下町)、大樹寺(愛知県岡崎市鴨田町)、養源院(京都市東山区三十三間堂廻り町)、源空寺(東京都台東区東上野)など、全国の、徳川家にゆかりのある多くの寺院に、秀忠の位牌や、その院号が刻まれた銅鐘(どうしょう)が納められています。
まとめ
政治力を生かし、270年に渡り戦乱がなく平和で安定した時代であったと言われる江戸時代の基礎を固めた秀忠。カリスマ的な存在感を発揮し、天下統一を成し遂げた父・家康の遺志を引き継ぎ、政治を行うのは、並大抵のことではなかったでしょう。
武功を立てることが手柄とされる戦国時代において、凡庸であったとも言われますが、将軍の中でも一番と言われる壮大な霊廟が建てられ、家康とともに手厚い供養がなされていることからも、その功績の大きさが感じられます。
家康の目指した戦乱のない世の中を実現させ、今の平和な時代にもつながる大きな礎を築いた秀忠の人生を、ぜひ現地で感じてみてはいかがでしょうか。
秀忠と関わりのある人物のお墓についても紹介していますので、併せてご覧ください。
◆偉人のお墓が複数あるのはなぜ?〜徳川家康編
◆『どうする家康』でも注目!家康の苦難の時代を支えた側室・於愛(おあい)の方のお墓
◆『どうする家康』でも注目!瀬名姫(築山殿)の墓がある八柱神社
◆『どうする家康』でも注目!徳川軍を2度も退けた真田昌幸のお墓
増上寺への交通アクセス
自動車
首都高速都心環状線 「芝公園IC」より約3分
鉄道
JR線・東京モノレール 浜松町駅より徒歩10分
都営地下鉄三田線 御成門駅より徒歩3分、芝公園より徒歩3分
都営地下鉄浅草線・大江戸線 大門駅より徒歩5分
都営地下鉄大江戸線 赤羽橋駅より徒歩7分
東京メトロ日比谷線 神谷町駅より徒歩10分