お役立ちコラム お墓の色々

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一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・愛媛の旅編・その3

供養・埋葬・風習コラム

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・愛媛の旅編・その3

日本では、国内にある建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財の中で、歴史上・芸術上の価値が高いもの、または学術的に価値の高いものを、文化財保護法に基づき重要文化財として指定、保護しています。

全国各地にある石仏や石塔の中にも、重要文化財の指定を受けているものがいくつもあり、その所有者や地域の人々によって、石仏や石塔に込められた想いや由来が語り継がれてきたことで、今もなお私たちに歴史や文化の息吹を感じさせてくれます。

今回は「一度は見ておきたい重要文化財/石塔シリーズ」と題し、歴史的価値、学術的価値の高い石仏や石塔をご紹介し、その魅力に迫っていきます。

観光情報も添えていますので、ぜひ実際に足を運んでいただき、その雰囲気を肌で感じ、目で愉しみ、心で歴史に触れてみてはいかがでしょうか?

乗禅寺石塔群 (愛媛県今治市延喜甲600)

乗禅寺は、今治市の市街地から車で西へ10分ほど行った場所にある真言宗豊山派の寺院です。「延喜の観音さん」と呼ばれて親しまれており、本堂の裏手に、鎌倉末期から室町時代初期(南北朝時代)に造られたとされ、その全てが国の重要文化財に指定されている、11基の石塔群が保存されています。

乗禅寺がある延喜(えんぎ)、周辺の野間(のま)・神宮(かんのみや)地域は、かつて「乃万(のま)村」と呼ばれており、この旧乃万村地区には、国の重要文化財に指定されている16基を含む多数の石造文化財が残っています。その内五輪搭4基、宝篋印搭5基、宝搭2基、合計11基が乗禅寺境内に保存されているものです。
この石塔群は、日本最大の海賊と言われた「村上海賊」時代の石造文化を代表するものであるとして、日本遺産の一部にもなっています。

五輪塔・宝篋印塔・宝塔について

五輪塔とは

五輪塔は平安時代に誕生したといわれる墓石デザインです。
上段から「空輪」「風輪」「火輪」「水輪」「地輪」と呼ばれる墓石があり、それぞれ自然の五大元素を表しています。

五輪塔を建てると亡くなった人はみな、最高の位と最高の世界へゆけるとされ、今日もなお宗派を問わず「ありがたい最高のお墓」とされています。

五輪塔について詳しくはこちらの記事をお読みください。
五輪塔の歴史と特徴をわかりやすく解説します

宝篋印塔とは

宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、供養塔や墓碑塔などに使われる仏塔の一種です。
「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経(宝篋印陀羅尼/ほうきょういんだらに)」という経典を体現したもので、子孫が宝篋印塔を礼拝供養することによって、亡くなった人が現世で犯した罪を滅罪し極楽浄土へ往生できるとされています。

宝篋印塔の形は、上から、細長い柱のような相輪(そうりん)・笠(蓋)・塔身・基礎・基壇で構成されています。方形(四角形)の塔身の上にのせられた笠が階段状になっており、その四隅に隅飾(すみかざり)と呼ばれる馬耳形の突起があるのが特徴です。

相輪とは、お釈迦様のお骨を納め供養する建物である「ストゥーパ(仏塔)」に起源を発するもので、石塔の場合は宝珠(ほうじゅ)・請花(うけばな)・九輪(くりん)・請花(うけばな)・伏鉢(ふくばち)・露盤(ろばん)という部分から成ります。

宝篋印塔について詳しくはこちらの記事をお読みください。
宝篋印塔の歴史と特徴をわかりやすく解説します

宝塔とは

宝塔とは、墓石としても多く用いられる仏塔の建築形式の1つです。
宝篋印塔と同様、相輪・笠・塔身・基礎という構造で成り立っており、円筒形や八角形の塔身に宝形造の屋根を付け、頂上に相輪を載せた形をしているのが特徴です。

平安初期に空海が伝えたとされ、多宝如来と釈迦如来をご本尊とするといわれています。

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・愛媛の旅編・その3

特徴

乗禅寺の石塔群は、本堂裏手の墓地の一角、低い土塀に囲まれた場所にあります。
一番奥の一段高くなっている場所には、中央に五輪塔1基と、両脇に宝篋印塔が2基。
下の段右列には、奥(石塔に向かって左)から宝塔1基、宝篋印塔2基、五輪塔1基。
下の段左列には、奥(石塔に向かって右)から宝塔1基、宝篋印塔1基、五輪塔2基。
という順に11の石塔が置かれています。

奥の上段にある石塔から順に、特徴を紹介していきます。

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・愛媛の旅編・その3

<奥、上段の石塔(三基)>

奥上段 左端:宝篋印塔(南北朝時代)

花崗岩製で高さは1.94mです。
相輪は完存しており、手入れが行き届いているのが分かります。
笠は、下二段、上六段、隅飾は二弧輪郭付きで内は素地となっています。
塔身の4面それぞれには、金剛界四仏(密教の金剛界曼荼羅で大日如来の四方に位置する仏)の種子(しゅじ/仏尊を象徴する梵字)が刻まれています。
基礎は上端が二段の段状となっています。背面のみ無地で、他の3面には輪郭とその内に格狭間が彫られています

奥上段 中央:五輪塔(乗禅寺正中三年銘)

花崗岩製で高さは1.85mあり、乗禅寺の五輪塔4基の内、唯一完存する一番大きな五輪塔です。
火輪は、鎌倉時代後期風の形で軒反が美しく、水輪は、下がやや窄んだ球形に近い壷形です。
地輪の右面左下には小さく四角い納入孔が開いています。
基礎の右面に「奉造・・・、右志者・・・、為・・・乃至法界平等利益也、正中三(1326)丙刁二月廿五日、大願主・・・」と刻銘があり、鎌倉時代後期の正中三年(1326年)に造立されたと考えられます。

上段奥 右端:宝篋印塔

花崗岩勢で高さは2.0m。刻銘はありませんが、形式的に鎌倉時代後期のものとされています。
相輪の上部は後に補修されています。笠の段型は、下二段、上六段、隅飾は二弧で輪郭があり内側は素地です。塔身の4面それぞれには、胎蔵界四仏(密教の胎蔵界曼荼羅で大日如来の四方に位置する仏)の種子が刻まれています。基礎は上端が二段の段状、背面以外の3面には輪郭と格狭間が彫られており、背面は無地で中央下部に納入孔が開いています。
宝篋印塔の形は、この地方独特のものではなく通常の関西形式をしています。

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・愛媛の旅編・その3

<下段、右列の石塔(4基)>

下段右列 左端:石造宝塔

花崗岩製で高さは2.18mです。
相輪は完存しており、笠の頂部に露盤があります。笠には傾斜に沿った三筋の降棟(くだりむね/屋根の流れにそって軒先方向に降ろした棟)が、更に軒裏には2段の垂木型と隅木(それぞれ軒に向かって屋根を支える部分)が形作られています。
塔身首部は、円形縁板(えんいた)状の作り出し(上下を仕切るような板状の部分)の上に高欄状を細かく刻出し、塔身は四方に扉型を線刻しています。
基礎は、上端に極めて珍しい平面円形の複弁反花座があり、基礎側面は輪郭と格狭間が作られています。

下段右列 左から2基目:宝篋印塔

花崗岩製で、高さは2.11m、刻銘はありませんが、形式的に南北朝時代を表す宝篋印塔です。
相輪の上部は後に補修されています。
笠の段形は、下二段、上六段、隅飾は二弧輪郭付で内は素地、塔身の4面それぞれには、金剛界四仏の種子が刻まれています。
基礎上端は複弁の反花座となっており、背面以外の側面には輪郭と格狭間を刻出、背面は無地です。
基礎の下には繰形座(下に向けて緩やかに広がる反花を刻出しない台座)が据えられ、これはこの地方によく見られる形式です。

下段右列 左から3基目:宝篋印塔(正中三年銘)

花崗岩製で、高さは2.20m
相輪は九輪の上部で折れています。
笠の段形は、下二段、上六段、隅飾(すみかざり)は二弧輪郭付で内側は素地、塔身の4面それぞれには胎蔵界四仏の種子が刻まれています。
基礎上端は二段で、背面以外の側面には輪郭と格狭間がつくられています。背面は無地ですが、「正中三丙刁・・・・・大願主・・・・・」 との刻銘があり、正中三年(1326年)に造立されたものとされます。

下段右列 右端:五輪塔

花崗岩製で、高さは1.25m、南北朝時代のものとされる五輪塔です。
風・空輪は後に補修されたものですが、奥上段の五輪塔同様、火輪の軒反が美しく、水輪は球形に近い壷形をしています。
基礎は無地です。

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・愛媛の旅編・その3

<下段、左列の石塔(4基)>

下段左列 右端 石造宝塔

花崗岩製で、高さは2.19mです。
相輪は完存しており、笠の頂部に露盤があります。笠には傾斜に沿った三筋の降棟が、軒裏には2段の垂木型が刻出されています。
塔身は無地の筒型。首部には縁板状がつき、その上は高欄状を刻まない簡素なつくりです。
基礎上端は、十六弁を円形に配した単弁の反花座で極めて珍しい形、基礎側面には輪郭と格狭間が刻出されています。

下段左列、右から2基目:宝篋印塔(延文二年銘)

花崗岩製で、高さは1.96m。
相輪は上部で折れていますが、完存しています。
笠の段形は、下二段、上六段、隅飾は二弧輪郭付で内は素地、塔身の4面それぞれには金剛界四仏の種子が刻まれています。塔身東面、「ウーン」の種子の左側に「延文二(1357)十廿一」の刻銘があります。
基礎上端は二段の段型です。基礎側面には輪郭と格狭間がつくられ、背面のみ無地となっています。

下段左列 右から3基目:五輪塔

花崗岩製で、高さは1.40m、南北朝時代のものとされる五輪塔です。
風・空輪は別の石で作られています。
火・水輪は他の五輪塔と同様の形をしていて、地輪の側面には梵字が刻まれています。

下段左列 左端:五輪塔

花崗岩製で、高さは1.31m、南北朝時代のものとされる五輪塔です。
前述の右隣の五輪塔と同様、風・空輪は別の石で、全体の形も似ていますが、水輪が球形よりも横に幅が広い楕円の形です。

歴史

これらの石塔群は、周辺地域に別々に造られていたものを元禄17(1740)年に現在の位置に集めて保存したものだと言われています。このように各種の優れた価値のある石塔が一ヶ所に集められて保存されているのは全国的に見ても珍しく、また工法・様式からも、信仰や文化のレベルの高さが伺えます。

今治は、伊予国分寺が置かれるなど、奈良時代から伊予(愛媛県)の中心地であったと言われています。更に、しまなみ海道と通じ、村上海賊により交易の秩序が守られていたことで、人や物、文化の流通も盛んだったようです。そのような中で、優れた技術や仏教の教えが伝えられ、同時に価値の高い石塔についても数多く残されてきたのではないかと考えられます。

なお、昭和36年3月23日に、国の重要文化財として指定されました。

周辺の観光情報

愛媛県今治市は、日本最大の海賊と呼ばれた村上海賊(村上水軍)にゆかりのある地域でもあります。そして、愛媛県今治市と広島県尾道市に伝わる村上海賊のストーリーと、そのストーリーに関わりが深い愛媛県今治市と広島県尾道市に分布する、乗禅寺石塔郡を含む43の文化財が、「“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島-よみがえる村上海賊"Murakami KAIZOKU"の記憶-」という名称で文化庁の日本遺産に認定されています。
日本を代表する高級墓石材「大島石」の産出地としても有名な愛媛県の大島には「村上海賊ミュージアム」があり、村上海賊のストーリーを楽しく分かりやすく学ぶことができます。また、大島も通る瀬戸内しまなみ海道は、サイクリングやドライブでその地の風景や歴史を楽しむこともできます。今治に残る石塔や文化財とともに、この土地に根付く歴史に触れてみるのも良いのではないでしょうか。

交通アクセス

<公共交通機関>
瀬戸内バス
JR今治駅前バス停から菊間線で約11分、「延喜」下車 徒歩約15分

<自動車>
JR今治駅より松山方面へ約10分
松山市方面:松山市街より約55分
徳島・高知方面:今治小松自動車道「今治湯ノ浦IC」より約20分
広島・岡山方面:西瀬戸自動車道「今治IC」より約7分

まとめ

今回は、愛媛県今治市の乗禅寺に残る11基の石塔群についてご紹介しました。

時代や暮らしが変化する中でも、先人が大切にしてきた文化や教えを残し伝えようとする人々の心が感じられます。

優れた技術とともに刻まれた歴史や、人々が守ってきた供養の思いを直接感じることができる今治市にぜひ足を運んでみてください。

愛媛県には、歴史的・学術的価値の高い石塔が多数残されています。今回ご紹介した乗禅寺石塔群と同じ旧乃万村地区に立つ「野間・馬場・五輪塔」や「野間覚庵五輪塔」もご紹介している記事がありますので、是非合わせてお読みください。

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・愛媛の旅編・その1
石手寺五輪塔/野間・馬場(ばば)・五輪塔

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・愛媛の旅編・その2
野間覚庵五輪塔/善福寺宝篋印塔