お役立ちコラム お墓の色々
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一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・奈良の旅編・その5
日本では、国内にある建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財の中で、歴史上・芸術上の価値が高いもの、または学術的に価値の高いものを、文化財保護法に基づき重要文化財として指定、保護しています。
全国各地にある石仏や石塔の中にも、重要文化財や自治体の指定を受けているものがいくつもあり、その所有者や地域の人々によって、石仏や石塔に込められた想いや由来が語り継がれてきたことで、今もなお私たちに歴史や文化の息吹を感じさせてくれます。
今回は「一度は見ておきたい重要文化財シリーズ」と題し、歴史的価値、学術的価値の高い石仏や石塔をご紹介し、その魅力に迫っていきます。
観光情報も添えていますので、ぜひ実際に足を運んでいただき、その雰囲気を肌で感じ、目で愉しみ、心で歴史に触れてみてはいかがでしょうか?
額安寺(奈良県大和郡山市額田部寺町)
額安寺(かくあんじ)は、奈良県大和郡山市額田部寺町にある真言律宗の寺院です。推古天皇29年(621年)、聖徳太子が釈迦の祇園精舎にならって創建した仏教修行の道場・熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)の跡に創建されました。寺号である「額安」には、額安(ひたいやすらか)なる寺、との意味合いがあり、これは、推古天皇の額にできた傷の治癒を熊凝精舎に祈願したところ、傷跡も残らず回復したため、と伝えられています。
この額安寺から北へ約300m離れた場所に五輪塔群が、そして額安寺の境内には宝篋印塔があります。
額安寺 五輪塔群
五輪塔とは
五輪塔は平安時代に誕生したといわれる墓石デザインです。
上段から「空輪」「風輪」「火輪」「水輪」「地輪」と呼ばれる墓石があり、それぞれ自然の五大元素を表しています。
五輪塔を建てると亡くなった人はみな、最高の位と最高の世界へゆけるとされ、今日もなお宗派を問わず「ありがたい最高のお墓」とされています。
五輪塔について詳しくはこちらの記事をお読みください。
◆五輪塔の歴史と特徴をわかりやすく解説します
額安寺 五輪塔群の特徴
額安寺 五輪塔群は、額安寺から北へ300m、「鎌倉坂」と呼ばれる坂の西側広場に、L字型に並べられた8基の石造五輪塔を指し、通称「鎌倉墓」とも言われています。
8基のうち2基は、昭和57年(1982年)の解体修理の際に行われた、地下遺構の発掘調査にて、誰のお墓であるのか判明いたしました。
第一塔(鎌倉時代後期作、花崗岩製、高さ 2.81m、西側南端)
西大寺の僧・忍性菩薩(にんしょうぼさつ)の墓です。空輪は宝珠の形をしています。火輪の軒口は厚く、軒反は力強い作りです。水輪はやや押しつぶされたような横張りの球形をしています。
第二塔(鎌倉時代後期作、花崗岩製、高さ 2.09m、第一塔の北隣)
善願上人の供養塔です。繰形座(くりがたざ/傾斜面に蓮弁を刻まず、素面の台座)上に安置されています。
第三塔(鎌倉時代後期作、花崗岩製、火輪上までの高さ 1.42m、第二塔の北隣)
反花座(かえりばなざ/装飾である蓮の花弁が下向きの台座)、基壇を置かずに直接地上に安置されています。また、空・風輪は後年になって補われたものとされています。
第四塔(鎌倉時代後期作、花崗岩製、高さ1.97m、第三塔の北隣)
地輪の正面に永仁5年(1297年)の建立を示す「永仁五年、口実歳六十一、道乗年口、十月五日」という刻銘があります。また大和様式の複弁反花座も特徴です。
第五塔(鎌倉時代後期作、花崗岩製、火輪上までの高さ 1.33m、第四塔の北隣)
大和様式の複弁反花座上に安置され、地輪の正面には大きく胎蔵界大日如来の種子(しゅじ/梵字)「ア」が薬研彫りされています。
第六塔(鎌倉時代後期作、花崗岩製、火輪上までの高さ、1.34m、第五塔の東隣)
空・風輪は、他の輪に比べやや大きいため、後年補われたものとされています。また、火輪は一部欠損しています。なお、台座は繰形座です。
第七塔(鎌倉時代後期作、花崗岩製、火輪上までの高さ 1.11m、第六塔の東隣)
反花座、基壇を置かずに直接地上に安置されています。力強い軒反をみせている火輪は、鎌倉時代後期の特徴です。
第八塔(鎌倉時代後作、花崗岩製、高さ1.79m、第七塔の東隣)
地輪の正面に永仁5年(1297年)の建立を示す「従五位上丹波守平朝臣 盛房 六十歳、永仁五秊(1297)、七月八日」という刻銘が残っています。なお「盛房」というのは、六波羅探題南方の北条盛房のことです。第四塔と同じく、台座は大和様式の複弁反花座となっています。
額安寺 宝篋印塔
宝篋印塔とは
宝篋印塔は、墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種で、「宝篋印陀羅尼経(だらにきょう)」という経典を内部に納めたことが、その名の由来となっています。中国から伝来し、日本で独自の発展をしたといわれ、鎌倉時代から江戸時代頃に全国各地で信仰の塔や墓石としてさかんにつくられました。子孫が宝篋印塔を礼拝供養すれば、成仏し、極楽浄土へ往生できるとされています。
一般的に上から「相輪(そうりん)」「笠」「塔身(とうしん)」「基礎」の4つの部位で構成されます。
笠の四隅には隅飾(すみかざり)と呼ばれる突起があるのが特徴です。
また、基礎の上面には反花(かえりばな/下側へ反転するように開いた蓮弁)を据えたり、塔身を2〜3段の階段状に据えることもあります。
塔身の4面に四方仏を梵字で刻むことなどから、宝篋印塔は多数の如来が集っているとも考えられ、ご先祖様の供養はもちろんのこと、子孫を守り、一族の繁栄へと導くともいわれています。
額安寺 宝篋印塔の特徴
額安寺室篋印塔は花崗岩製で、高さ2.84m。鎌倉時代中期の文応元年(1260年)に建てられました。基礎に刻まれた「文応元年、十月十五日、願主永弘」「大工大蔵、安清」との銘文がそれを伝えています。「大工大蔵、安清」とは、大蔵派と呼ばれる石工集団の代表的人物「安清」です。
真言律宗の僧侶・慈真和尚(じしんわじょう)が、母の供養のために作った石塔であると伝えられ、記銘を持つものとしては、日本で2番目に古いものとされています。
笠は、下3段、上6段の段形。最上段を二区に分け、各々内に格狭間を入れ露盤としています。隅飾は 直立し やや小さく一弧で無地。塔身は二重輪郭を巻いており、月輪内に金剛界四仏の種子が刻まれています。
基礎は四石でつくられ、上端は別石で三段、側面は各面を二区に分け、内に格狭間を作っています。
もともとは、額安寺の前の鏡池(明星池)の中島に祀られていましたが、平成21(2009年)3月18日に、現在の場所へ移築されました。
なお、五輪塔や宝篋印塔以外にもお墓の形がございます。詳しくは下記の記事をご覧ください。
◆お墓のデザインはどんなものがある?
歴史
額安寺は、鎌倉時代に時運がやや衰えた時期を迎えましたが、当代の高僧・興正菩薩(こうしょうぼさつ)やその弟子の忍性菩薩等によって仏像処理などが行われました。特に忍性菩薩は額安時近くの生まれで、施薬・施食等を行い、貧民やハンセン病患者など社会的弱者の救済に尽力しました。
五輪塔第一塔から出土の骨臓器には銘文が刻まれていて、忍性菩薩の来歴と、その遺骨を鎌倉極楽寺・生駒竹林寺・額安寺の三寺に分骨したことを伝えています。
なお、額安寺五輪塔群は8基すべてが昭和36年(1961年)3月23日に国の重要文化財に指定されました。
また、額安寺宝篋印塔は、昭和53年(1978年)4月20日に奈良市の指定有形文化財に、平成24年(2012年)3月3日には、奈良県の指定文化財になっています。
周辺の観光情報
額安寺のある大和郡山市は、日本有数の金魚の生産地です。そのきっかけは今から約300年前、享保9年(1724年)に大和国郡山藩の初代藩主・柳澤吉里が甲斐の国(山梨県)から大和郡山へ移った際にもたらしたと伝えられています。現在は年間約5,800万尾を出荷。“金魚の街”として、街のいたる所に金魚をあしらったものやキャラクター、イラストなどがあふれています。また、大和郡山市新木町には「郡山金魚資料館」があり、金魚に関する古書、浮世絵、資料の展示がされています。
額安寺への交通アクセス
<鉄道>
近鉄橿原線「平端」駅下車 徒歩15分
<自動車>
西名阪自動車道 大和まほろばスマートICより 県道109号線経由 3分
額安寺
額安寺 五輪塔群(額安寺から北へ約300m)
まとめ
国の重要文化財である五輪塔が8基も揃う額安寺。しかも、鎌倉時代当時の姿が、完全な形で残っているものもあり、大変貴重な場所です。
特に、五輪塔第一塔は社会的弱者の救済に尽力した忍性菩薩の墓ということで、五輪塔の大きさや形、今も大切に受け継がれているその事実に、忍性菩薩を慕い、また偲ぶ人々の想いが表れているといえます。
ぜひ直接現地でご覧になって、当時の様子に想いを馳せ、受け継がれてきた人々の心に触れてみてはいかがでしょうか。
なお、奈良県内には他にも歴史的価値、学術的価値の高い石塔があり、過去の記事では下記の石塔をご紹介しています。こちらもあわせてお読みください。
◆一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・奈良の旅編
・当麻北墓五輪塔
・東大寺 伴墓三角五輪塔
◆一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・奈良の旅編・その2
・西大寺奥の院五輪塔
・長岳寺五輪塔
◆一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・奈良の旅編・その3
・西方院五輪塔
・室生寺五輪塔
◆一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・奈良の旅編・その4
・不動院五輪塔
・不動院宝篋印塔