お役立ちコラム お墓の色々

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一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・奈良の旅編・その6

供養・埋葬・風習コラム

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・奈良の旅編・その6

日本では、国内にある建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財の中で、歴史上・芸術上の価値が高いもの、または学術的に価値の高いものを、文化財保護法に基づき重要文化財として指定、保護しています。

全国各地にある石仏や石塔の中にも、重要文化財や自治体の指定を受けているものがいくつもあり、その所有者や地域の人々によって、石仏や石塔に込められた想いや由来が語り継がれてきたことで、今もなお私たちに歴史や文化の息吹を感じさせてくれます。

今回は「一度は見ておきたい重要文化財シリーズ」と題し、歴史的価値、学術的価値の高い石仏や石塔をご紹介し、その魅力に迫っていきます。

観光情報も添えていますので、ぜひ実際に足を運んでいただき、その雰囲気を肌で感じ、目で愉しみ、心で歴史に触れてみてはいかがでしょうか?

来迎寺(奈良県奈良市来迎寺町)

来迎寺(らいこうじ)は、奈良県奈良市来迎寺町にある寺院で、奈良時代に日本最初の大僧正の位を授けられた僧・行基(ぎょうき)が開いたと伝わっています。
本尊は、奈良県の指定文化財でもある阿弥陀如来(あみだにょらい)坐像で、その他、本堂には、快慶作と伝えられる国の重要文化財でもある善導大師坐像もあります。
江戸時代の建物である現在の本堂も奈良県の文化財に指定されています。
その本堂の裏手には、膨大な数の五輪塔群があり、さらにその中に建っているのが、大和地方最大級といわれる石造宝塔です。

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・奈良の旅編・その6

来迎寺 石造宝塔

宝塔とは

宝塔は、大日如来や法華経の安置を目的として建てられた仏塔です。筒型もしくは瓶や壺型の柱(塔身)の上に一重の笠(屋根)が乗り、笠の上に相輪(仏塔の頂上の飾り)を立てたものです。なお、石でつくられた宝塔は平安時代から江戸時代に数多く作られています。塔そのものが崇拝の対象となっており、現代でも供養塔として用いられています。

来迎寺 石造宝塔の特徴

来迎寺石造宝塔は花崗岩製で、高さは2.24m。大和地方最大級といわれています。鎌倉時代後期の延慶(えんきょう)3年(1310年)に建てられました。そのことを示す「延慶三年、庚戌四月、上旬拍手、造立畢矣」の刻銘が基礎の正面に残っています。

屋根と露盤は1つの石で作られ、露盤の側面は2つに区切られ、それぞれに格狭間が入っています。また、屋根の四隅には降棟(くだりむね/屋根の端から斜め方向に向かって降りている部分)が作られ、その先端に稚児棟(ちごむね/軒の先端部分の短い棟)が作られています。力強い軒反も特徴的です。

笠の軒裏には二重の垂木型、中心部に首部を受ける円座を設け、低い一段の段型の上に、高欄と低い首部が作られています。

塔身の軸部は、四隅に柱を作り、上下の長押(なげし)を一周させ、四方に竪連子(たてれんじ/)入りの桟唐戸(さんからど/扉)が彫られています。

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・奈良の旅編・その6

来迎寺 五輪塔群

五輪塔とは

五輪塔は平安時代に誕生したといわれる墓石デザインです。
上段から「空輪」「風輪」「火輪」「水輪」「地輪」と呼ばれる墓石があり、それぞれ自然の五大元素を表しています。

五輪塔を建てると亡くなった人はみな、最高の位と最高の世界へゆけるとされ、今日もなお宗派を問わず「ありがたい最高のお墓」とされています。

五輪塔について詳しくはこちらの記事をお読みください。

五輪塔の歴史と特徴をわかりやすく解説します

来迎寺 五輪塔群の特徴

石造宝塔周りに広がるのは五輪塔群。その総数は約100基です。

それらの中で最大の大きさを誇る五輪塔は、花崗岩製で高さは2.4mあり、鎌倉時代後期の作といわれております。
空輪と風輪は1つの石で作られ、空輪は宝珠(下が球形、上が円錐形にとがった玉ねぎのようなもの)の形をしています。火輪の軒口は厚く、鎌倉時代後期のものによく見られる力強い軒反です。水輪は少し横長の楕円形、地輪は四面とも素面で刻銘は入っていません。五輪塔自体は、切石の基壇上に作られています。

その他にも、「貞治四秊、乙巳四月六日、英実聖霊」や、「貞治四口月、尼善妙、二十八日」との刻銘の入った五輪塔があります。共に、南北朝時代の貞治4年(1365年)に建てられたことを示しています。そして、どちらも大和形式の複弁反花座の上に建てられています。

約100基ある五輪塔群ですが、南北朝時代までのものは大型塔が多く、室町時代に入ると小型化するといった特徴をもっています。


なお、五輪塔や宝篋印塔以外にも様々なお墓の形がございます。詳しくは下記の記事をご覧ください。

お墓のデザインはどんなものがある?

歴史

南都七大寺(なんとしちだいじ)に数えられた法相宗(ほっそうしゅう)の大本山・奈良興福寺(こうふくじ)と関係が深かったとされる来迎寺。
平安時代後期の永久2年(1114年)には、この地を治めていた豪族・多田満仲(ただのみつなか)/源満仲(みなもとのみつなか)の一族であった僧・顕鏡(けんきょう)が寺境を定めました。鎌倉時代前期の承応2年(1223年)には、伊勢神宮内宮の権禰宜(ごんのねぎ)をつとめた蓮阿(れんあ)が本堂を建立しています。
また来迎寺は、豪族・多田氏や、高原武士団であった東山内衆(ひがしやまうちしゅう)の菩提寺として栄え、別名「多田来迎寺」とも呼ばれています。

なお、来迎寺石造宝塔は昭和29年(1954年)3月20日に国の重要文化財に指定されました。

周辺の観光情報

来迎寺から車で約15分のところにある龍王ヶ渕(龍王ヶ淵/りゅうおうがぶち)は、大和富士と呼ばれる「額井岳(ぬかいだけ)」の山腹、標高530mのところにある、天然の凹地に水がたまった神秘的な自然池です。見所は、風のない晴れた日に見ることができる、湖面に周囲の木々が映り込んだ「水鏡」の景色。
初夏には池の水面に、周囲の木々の緑が映り込む様子が、また冬には、一面銀世界となった龍王ヶ渕を見ることができるため、四季を通じて多くのカメラマンが訪れるスポットとなっています。

来迎寺への交通アクセス

<鉄道&バス>
近鉄榛原駅から針インター行きバスに乗車、約22分
「来迎寺停留所」下車、徒歩2分

<自動車>
名阪国道 一本松ICから都祁山道/国道25号 経由、約8分
名阪国道 針ICから県道38号 経由、約6分

まとめ

大和地方最大級といわれる来迎寺石造宝塔は、一見の価値があります。
また、約100基の五輪塔群は、年代によって大きさも異なり、時代の変遷を一気に確認することができます。
なかなか他所では見ることのできない壮観かつ神秘的な風景が広がっています。

ぜひ直接現地でご覧になって、当時の様子に想いを馳せ、長年受け継がれてきた“供養の心”
に触れてみてはいかがでしょうか。


なお、奈良県内には他にも歴史的価値、学術的価値の高い石塔があり、過去の記事では下記の石塔をご紹介しています。こちらもあわせてお読みください。

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・奈良の旅編

・当麻北墓五輪塔
・東大寺 伴墓三角五輪塔

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・奈良の旅編・その2

・西大寺奥の院五輪塔
・長岳寺五輪塔

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・奈良の旅編・その3

・西方院五輪塔
・室生寺五輪塔

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・奈良の旅編・その4

・不動院五輪塔
・不動院宝篋印塔

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・奈良の旅編・その5
・額安寺五輪塔群
・額安寺宝篋印塔