お役立ちコラム お墓の色々
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【朝ドラ・ブラッサム】宇野千代のお墓はどこにある?

2026年9月末から放送されるNHKの朝ドラ「ブラッサム」は、明治・大正・昭和・平成という激動の時代を生き抜いた作家・宇野千代をモデルにした物語です。ヒロインの葉野 珠(はの たま)を石橋静河さんが演じ、宇野千代の生涯を大胆に再構成したフィクションとして描かれます。
宇野千代という名前や、代表作である『色ざんげ』や『おはん』、『生きて行く私』などの作品をご存知の方も多いのではないでしょうか?しかし、宇野千代がどのような人生を歩んだのか、詳しくご存知の方は意外と少ないかもしれません。
山口県岩国市に生まれた宇野千代は、作家として活躍するだけでなく、雑誌の編集者や出版人、着物デザイナーとしても活動しました。また、尾崎士郎、東郷青児、北原武夫ら文学・芸術の世界で活躍した人物たちとの交流でも知られています。
故郷・岩国を離れて東京へ向かった宇野千代は、どのようにして文学の世界へ入っていき、「幸福教の教祖」といわれるまでになるのでしょうか?そして、98歳まで生きた宇野千代のお墓は、いったいどこにあるのでしょうか?
今回は、朝ドラ「ブラッサム」の放送を前に、宇野千代の波乱に満ちた生涯と代表作、そのお墓についてご紹介します。
岩国で生まれた少女
宇野千代は1897(明治30)年11月28日、山口県玖珂郡横山村、現在の山口県岩国市川西に生まれました。岩国尋常小学校で学び、少女時代を故郷・岩国で過ごした千代。現在も岩国市川西には、生家や小学校時代にゆかりのある場所など、千代にまつわる場所が残されています。
しかし、千代はやがて故郷を離れ、文学の世界を目指して東京へ向かうことになります。
大正6(1917)年、20歳の千代は東京へ移り、本郷や湯島周辺で暮らし始めました。東京では料理店などで働きながら文学者たちと交流するようになり、小説家の芥川龍之介や菊池寛、洋画家の東郷青児らと知り合います。こうした出会いが、後の千代の人生に大きな影響を与えていきました。
文学の世界へ
東京で暮らし始めた千代ですが、1921(大正10)年、人生を大きく変える出来事がありました。
デビュー作である「脂粉の顔」が時事新報の懸賞小説で一等に入選したのです。
この作品をきっかけに文壇で知られるようになった千代は、作家として本格的に活動を始めます。その後、すでに夫がいる身ではありましたが、尾崎士郎や東郷青児、北原武夫など、文学や芸術の世界で活躍した男性たちとの恋愛や結婚、そして離婚を何度も繰り返した千代は「恋多き女性」としても知られるようになりました。
『色ざんげ』や『おはん』を執筆
1935(昭和10)年には、代表作の一つである『色ざんげ』を発表します。
男女の恋愛を描いたこの作品は、千代の初期を代表する作品として知られています。翌1936(昭和11)年には、千代自身がスタイル社を創設し、ファッション雑誌『スタイル』を創刊しました。千代は小説家としてだけでなく、雑誌の編集や出版にも携わるようになります。『スタイル』は日本初の女性のファッションや暮らしを扱う雑誌で、千代は編集者としても活躍しました。
さらに、着物のデザインにも取り組むなど、文学だけにとどまらない幅広い活動を続けています。戦後になると、再び小説家として大きな評価を得るようになりました。
その頃の代表作の一つが『おはん』です。
『おはん』は1957(昭和32)年に刊行され、第5回野間文芸賞や第9回女流文学者賞を受賞しました。そして1983(昭和58)年には、自らの人生を振り返った自伝的小説『生きて行く私』を発表。この作品は、100万部を超えるベストセラーとなり、晩年の千代を代表する作品の一つとなりました。
98歳まで生きた宇野千代
宇野千代は、明治・大正・昭和・平成という4つの時代を生きました。作家として小説を書き続ける一方、雑誌の編集や出版、着物のデザインなどにも取り組み、最晩年まで旺盛な活動を続けました。
特に着物の分野では、1967(昭和42)年に着物関連の事業をまとめた「株式会社宇野千代」を設立。自らデザインした着物は「宇野千代小紋」として知られ、大手百貨店などでも取り扱われました。こうした活動から、宇野千代は作家としてだけでなく、女性実業家の先駆者としても知られています。
その功績は文学の世界だけにとどまらず、故郷・岩国でも高く評価されました。1990(平成2)年には、岩国市の名誉市民に選ばれたほか、文化功労者にも選ばれています。長年にわたって文学や出版、着物などさまざまな分野で活動してきた宇野千代は、晩年になってもその功績を高く評価されていました。
また、千代には「家」に対する強いこだわりがあったことでも知られています。
結婚や離婚を繰り返すたびに自宅を建て替え、数えてみると11軒もの家を建てたといいます。そして「もう一度、家を建てたい」という思いを持ち、その家へのこだわりを「わたしの建てた家」や「夏と私の建てた家」などの随筆にも綴っています。
さらに、98歳という長寿を迎えてもなお、自分自身の人生を、ユーモアを交えて語ることを忘れませんでした。「私何だか死なないような気がするんですよ」というタイトルのエッセイを残していることからも、長寿を悲観するのではなく、どこか楽しむような千代の人柄がうかがえます。
1996(平成8)年6月10日、宇野千代は急性肺炎のため、東京都港区の虎の門病院で亡くなりました。満98歳、享年100でした(享年は数え年で表す場合があり、数え年では生まれた時を1歳とし、元日を迎えるたびに1歳加えるため、このような違いが生じます)。
長い人生の中で、文学だけでなく、出版やファッションなど、さまざまな分野で新しい道を切り開いていった千代。その生涯は、まさに「自由に生きる」という言葉が似合うものだったのかもしれません。
宇野千代のお墓はどこにある?
宇野千代のお墓は、山口県岩国市川西にある浄土真宗本願寺派「呑海山教蓮寺」にあります。教蓮寺は宇野家の菩提寺で、宇野千代の父母もここに眠っています。宇野千代の墓所は本堂の前にあり、生家からは徒歩5分ほど。
墓石は一般的な和墓で、正面の仏石には「宇野千代之墓」と刻まれています。幼少期を過ごした故郷のすぐ近くで、今も静かに眠っています。墓所のそばには淡墨の桜と紅葉が植えられており、四季の移ろいを感じられる落ち着いた場所です。
薄墨桜は、桜をこよなく愛した宇野千代と深いゆかりがあります。
薄墨桜とは、岐阜県本巣市にある樹齢1500年以上とされる桜で、国の天然記念物にも指定されています。宇野千代はこの桜を愛し、枯死の危機にあった薄墨桜の保護活動にも深く関わりました。こうした縁から、教蓮寺の墓所にも淡墨桜が植えられています。
宇野千代の命日である6月10日には、毎年「薄桜忌(はくおうき)」と呼ばれる法要が行われています。この「薄桜忌」という名前は、千代が愛した「薄墨桜」にちなんで名付けられたものです。法要には一般の方も参列することができます。
【教蓮寺】山口県岩国市川西2丁目1-10
また、千代のお墓は、東京都港区南青山にある「梅窓院」にもあります。
教蓮寺からの分骨または分墓によるものとされています。梅窓院は、1643(寛永20)年に建立された浄土宗の寺院で、現在も青山の地にあります。こちらのお墓は、自然石風の一枚板を使った印象的なお墓です。
一枚板の仏石には、「幸福は幸福を呼ぶ」という一文が刻まれています。
千代が残した「人間は、心の存在が、凡てである。心が、体を動かす。心が幸福を生む。幸福は幸福を呼ぶ。」という言葉の一節で、どんな苦境や山あり谷ありの出来事も前向きに捉え、自らのの体験をもとに明るく生きるすべを説き「幸福教の教祖」と言われるまでになった千代の人生観を表す印象的な言葉です。
【梅窓院】東京都港区南青山2丁目26-38
さらに岩国市には、宇野千代に関する資料を紹介する施設もあります。
岩国学校教育資料館では、令和8年(2026年)9月19日から令和9年(2027年)6月13日まで、「宇野千代~心に流れる故郷・岩国~」と題した特別展が開催されます。
この特別展は、朝ドラ「ブラッサム」と連動して開催されるもので、宇野千代の生涯や作品、故郷・岩国とのつながりなどを紹介する展覧会となっています。
【岩国学校教育資料館】山口県岩国市岩国三丁目1-8
宇野千代の墓前に立てば
数々の恋愛や結婚、引越しなど宇野千代の人生にはさまざまな出来事がありました。
時には世間の常識にとらわれることなく、自分の思いに正直に生きた千代。その生き方そのものが、多くの人を惹きつける魅力の一つだったのかもしれません。また、作家として小説を書くだけではなく、雑誌の編集や出版、着物のデザインなどにも挑戦し、その時々の流行を柔軟に取り入れていきました。
さまざまな自身の経験を作品へと昇華させながら、晩年まで創作への情熱を失わなかった千代の生涯は、「自分らしく生きる」ということを考えさせてくれます。
宇野千代の墓前に立てば、明治から平成まで波乱万丈の人生を自分らしく生き抜いた一人の女性作家の人生に、思いを馳せることができるかもしれません。
お墓は、亡き人を悼む場であると同時に、その人物が生きた時代や想いを現代へ伝える場所でもあります。
歴史上の人物の墓を訪ねることは、その人の人生に触れ、自分自身の生き方や家族とのつながりを見つめ直すきっかけになるかもしれません。
お墓の継承や建て替え、墓じまいなどに迷った際は、石材店へ相談することも一つの方法です。 地域の事情や墓地の規約に合わせて、最適な供養の形を提案してくれるため、初めての方でも安心して相談できます。
お付き合いのある石材店が特にない場合は、以下の記事を参考に、ご自身に合った石材店を探してみてはいかがでしょうか。
マナーに十分注意した上で、いろいろなお墓に参ってみてはいかがでしょう。
宇野千代と同じく文学の世界で活躍した芥川龍之介や、同じく朝ドラでモデルとなったやなせたかし、小泉八雲など、さまざまな偉人のお墓について紹介した記事もあります。あわせてお読みください。