お役立ちコラム お墓の色々
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一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・京都の旅編・その6
日本では、国内にある建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財の中で、歴史上・芸術上の価値が高いもの、または学術的に価値の高いものを、文化財保護法に基づき重要文化財として指定、保護しています。
全国各地にある石仏や石塔の中にも、重要文化財や自治体の指定を受けているものがいくつもあり、その所有者や地域の人々によって、石仏や石塔に込められた想いや由来が語り継がれてきたことで、今もなお私たちに歴史や文化の息吹を感じさせてくれます。
今回は「一度は見ておきたい重要文化財シリーズ」と題し、歴史的価値、学術的価値の高い石仏や石塔をご紹介し、その魅力に迫っていきます。
観光情報も添えていますので、ぜひ実際に足を運んでいただき、その雰囲気を肌で感じ、目で愉しみ、心で歴史に触れてみてはいかがでしょうか?
宇治浮島層塔(宇治浮島十三重石塔)(京都府宇治市宇治塔ノ川)
宇治橋の南に位置する京都府立宇治川公園には、「中の島地区」と言われ、塔の島・橘島からなる人工島があります。その一つの塔の島にそびえるのが、現存する日本最大の古石塔と言われる、宇治浮島十三重石塔です。
塔の島と橘島は、宇治川の激流にさらわれることなく、頻発に起こる宇治川の氾濫にも耐えたことから「浮島」「浮舟ノ島」とも呼ばれてきました。これが「宇治浮島十三重石塔」と呼ばれる由来となったようです。
層塔・十三重石塔とは
「層塔」とは一般的に、屋根が幾重(層)にも重なった構造の仏塔を指します。相輪、いくつかの笠とその軸部(塔身)、基壇で成り立っており、層数は奇数が原則で、日本に残っている代表的なものとしては三重塔や五重塔、十三重塔があげられます。層塔は多層塔・多重塔・多簷(えん)塔ともいわれ、各層の軸部(塔身)に幅があるものや、第一層の塔身だけが高く作られたものなど、その姿は様々です。
仏塔は、仏教の開祖であるお釈迦様のお骨である舎利(しゃり)を納め供養する建物であるストゥーパ(サンスクリット語:stūpa)に由来し、仏教がインドから中国に伝わった際に「卒塔婆」という字が当てられ、「塔婆」や「塔」と略されるようになりました。
「十三重石塔」も層塔の1種類であり、石造りで十三重構造の仏塔のことを言います。同様の塔はアジア各地に存在し、日本だけでも数多くの十三重石塔が建てられています。
なお、傘の数が多いほど格式が高いように感じるかもしれませんが、傘の数については、その数によって単純に優劣が決まっているということはなく、宗派や時代背景、建立目的などによって形式の違いがあるようです。
特徴
宇治浮島十三重石塔は、花崗岩製で高さは15.2m、前述の通り、日本に残っている近世以前の石塔としては最大のものです。
相輪と九層目の屋根は、明治41年(1908)に再興した際、新しく補ったものです。
軒の厚い屋根は、美しい反りを見せており、第一重(一番下の屋根)の裏にのみ、薄く垂木型(屋根を支える部分の形)が刻まれています。
初層軸部(塔身)の4面それぞれには、金剛界四仏(密教で大日如来の四方に位置する仏)の種子(しゅじ/仏尊を象徴する梵字)が薬研彫りされており、東面はウーン(阿閦如来)、南面はタラーク(宝生如来)、西面はキリーク(阿弥陀如来)、北面はアク(不空成就)となっています。薬研彫りとは、お墓に文字を刻む時の手法の一つで文字の凹みをV字に彫る方法ですが、この塔の薬研彫りは大変美しく、雄大さが感じられます。
基礎北面には1000字を越える長文の刻銘があり、宇治橋再興に関わる建塔について、その歴史が記されています。
歴史
宇治浮島層塔の建立は宇治橋の歴史と深く関わりがあり、塔の特徴でご紹介した通り、塔の基礎にその詳細の刻銘があります。
鎌倉時代後期にあたる弘安7年(1284年)、奈良の西大寺再興などで知られる叡尊(えいそん)により行われたのが、宇治橋の架け替えです。叡尊は、度重なる宇治橋の流出の原因を魚霊の祟りと考え、弘安9年(1286年)に橋が完成する際、宇治川での漁業禁止と魚霊の供養、そして橋の安全の祈念のために、橋の南側に舟の形をした人工島を築きました。この中央に網代や漁具を埋め、その上に仏塔として建立したのが、宇治浮島の十三重石塔です。
しかし、宇治川の氾濫が頻発したことで、江戸時代後期の宝暦6年(1756年)に塔は川底に埋もれてしまいます。
その後、明治38年(1905年)以降に復興の声が上がり作業を進めたところ、一部を欠いてはいましたが埋もれていた塔が見つかり、明治41年(1908年)8月21日に、見つからなかった相輪と九層目の笠石を新たに補う形で再建されました。
昭和28年(1953)3月31日国の重要文化財として指定されました。
なお、後に相輪と九層目の笠石が発見されましたが、それらは興聖寺の庭園に移設されています。
周辺の観光情報
宇治公園は、堤防沿いが桜の名所として有名で、4月上旬には宇治川桜まつりが開かれます。また、塔の島・橘島からなる「中の島」は緑が多く、宇治川の川岸と塔の島、橘島はそれぞれ橋で結ばれ回遊できるようになっており、1年を通じて人々の憩いの場にもなっている場所です。
宇治は、平安貴族の別荘地や合戦の舞台となってきた歴史の面影が残る街です。紫式部の「源氏物語」では宇治が最後の十帖の舞台となっています。世界文化遺産の平等院や宇治上神社などの名勝・史跡も多く残されており、独特の風情を感じながら散策を楽しむことができます。
交通アクセス
<鉄道>
JRおよび京阪宇治駅から徒歩約15分
<自動車>
関東方面から:名神高速道路「瀬田東IC」から京滋バイパスへ。「宇治東IC」より約8分
神戸・大阪方面から:名神高速道路「大山崎IC」から京滋バイパス。「宇治西IC」より約13分
法泉寺十三重石塔(京都府京田辺市草内南垣内27-1)
京都府京田辺市にある法泉寺は、真言宗智山派に属する寺院です。
このお寺がいつ建てられたかは分かっていません。しかし言い伝えでは、ある時草むらから十一面観音の金像が現れたことが「草内」と言う地名の起源となったとされており、天長年間(824〜833年)にこの辺りが干ばつに見舞われた際、御本尊となっているその十一面観音に祈願したところ泉が湧いたことから、新たに寺を建て「法泉寺」と名付けたと伝えられています。
この法泉寺の入り口のすぐ左に高くその姿を見せているのが、鎌倉時代中期のものと言われ、国の重要文化財に指定されている十三重石塔です。
特徴
法泉寺十三重石塔は花崗岩製で、高さは約6mです。
相輪は、近年の解体修理の際に補われた新しいものとなっています。
笠も欠損が多いですが、軒口は厚く緩やかに反っており、軒裏には一重の垂木型が刻まれています。
初層軸部(塔身)の4面それぞれには、二重光背形(仏身から発する光明を象徴化したもの)を彫りくぼめ、顕教四仏が半肉彫りされています。西面は阿弥陀如来、南面は釈迦如来、東面は薬師如来、北面は弥勒仏です。
顕教とは、仏教の中で、非公開的な部分が多く秘密の教えである密教に対して、秘密にせず分かりやすい言葉で公然に、顕(あらわ)に説かれた教えのことです。
基礎の南側面には「弘安元季(1278)戌寅十一月廿六日、起立之、大工猪末行、勧進僧良印」と、伊派石大工の一人である猪末行(いのすえゆき)の作であることが刻銘されています。更に北側面には「元文四年(1739)七月廿三日」と再興の際の追刻がなされています。
基礎・初層軸部は幅が広く低く作られており、これは近畿では異例のようです。
塔を一番下で支える基壇は切石から成り、こちらも基礎・初層軸部と同様に低く広々としているため、全体的に安定感が感じられます。
歴史
法泉寺の十三重石塔も、上記で紹介した宇治浮島層塔と同様に、西大寺再興などで知られる叡尊により建立されたものと伝えられています。
叡尊は、社会事業として水害対策や渡しの整備に関わっており、近畿各地の水防の要所となる寺院を選び、放生池(ほうじょうち/中国や日本の仏教において捕らえた魚類などを放つために設けた池)や十三重石塔を造っていたようです。
その中で、宇治浮島層塔に先立ち建立されたものの一つが、法泉寺の十三重石塔であると伝えられています。
刻銘により、伊派の石大工である猪末行(いのすえゆき)の作品で、鎌倉時代中期 弘安元年(1278)に造立されたとされています。
猪末行は、中国明州(浙江省寧波)の出身で,東大寺の再興に当たって来日し優れた作品を残した石工です。「伊派」と言う日本を代表する石工集団の創始者でもあり、彼の家系の石工たちも、奈良文化圏を中心として日本各地にその足跡を残しています。
法泉寺の十三重石塔は、大正5年(1916)5月24日に、国の重要文化財として指定されました。
周辺の観光情報
法泉寺のある京田辺市は、とんち話で有名な「一休さん」のお寺として知られ一休禅師木像のある酬恩庵一休寺、国宝の十一面観音を安置する大御堂観音寺、十一面千手観音像を安置する寿宝寺など、貴重な文化財が残る寺社仏閣が点在しており、魅力ある歴史文化に触れることができます。
また、京田辺市は日本有数の玉露の産地となっており、市内ではお茶を楽しめるお店や、お茶の手揉み体験などができる施設もあります。
菜の花・新緑・紅葉など季節ごとの美しい風景も楽しむことができる街ですので、歴史に触れつつ、ゆったりと過ごすことができるのではないでしょうか。
交通アクセス
<鉄道>
近鉄京都線「興戸駅」から徒歩約12分
<自動車>
関東方面から:名神高速道路「瀬田東IC」から京滋バイパスへ。「南郷IC」より約35分
神戸・大阪方面から:第二京阪道路「枚方学研IC」より約17分
まとめ
今回は、叡尊により水防の事業の一環として建立された、2つの十三重石塔についてご紹介しました。
どちらも、生き物の冥福とともに人々の未来の安全を祈り建てられたものであり、修復されながら現代まで受け継がれてきました。人の暮らしを守りつつ、生きとし生けるもの全ての命を大切にしようとする仏教の心が感じられます。
ぜひ直接ご覧になり、当時の人々の思いに触れつつ、私たちの暮らしが大切に守られてきた歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
京都には他にも歴史的価値、学術的価値の高い石塔が多数あり、これまでにもいくつかの記事でご紹介しています。よろしければ合わせてお読みください。
◆一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・京都の旅編・その1
石清水八幡宮五輪塔/安養寺宝塔
◆一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・京都の旅編・その2
高山寺宝篋印塔/為因寺宝篋印塔
◆一度は見ておきたい重要文化財/美術品シリーズ・京都の旅編・その3
高山寺如法経塔/誠心院宝篋印塔
◆一度は見ておきたい重要文化財/美術品シリーズ・京都の旅編・その4
二尊院宝篋印塔/覚勝院宝篋印塔
◆一度は見ておきたい文化財シリーズ・京都の旅編・その5
清涼寺宝篋印塔(源融公の墓)/清涼寺両面石仏