お役立ちコラム お墓の色々

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一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・滋賀の旅編・その5

供養・埋葬・風習コラム

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・滋賀の旅編・その5

日本では、国内にある建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財の中で、歴史上・芸術上の価値が高いもの、または学術的に価値の高いものを、文化財保護法に基づき重要文化財として指定、保護しています。

全国各地にある石仏や石塔の中にも、重要文化財や自治体の指定を受けているものがいくつもあり、その所有者や地域の人々によって、石仏や石塔に込められた想いや由来が語り継がれてきたことで、今もなお私たちに歴史や文化の息吹を感じさせてくれます。

今回は「一度は見ておきたい重要文化財シリーズ」と題し、歴史的価値、学術的価値の高い石仏や石塔をご紹介し、その魅力に迫っていきます。

観光情報も添えていますので、ぜひ実際に足を運んでいただき、その雰囲気を肌で感じ、目で愉しみ、心で歴史に触れてみてはいかがでしょうか?

石塔寺(滋賀県東近江市石塔町)

石塔寺(いしどうじ)は、滋賀県東近江市にある天台宗の寺院です。
山号は阿育王山(あしょかおうざん)で、開基は聖徳太子によると伝えられています。
山門の入口には「阿育王山」の額が掛かっており、赤松林の中の石段を登ると特異な形態をした三重石塔がそびえ立っています。
その三重石塔の東側には、五輪塔が2基、その横には宝塔も建てられています。

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・滋賀の旅編・その5

石塔寺 三重石塔

三重塔とは

三重塔(さんじゅうのとう)は、仏教の開祖であるお釈迦様の舎利(しゃり=遺骨)を納める仏塔の形式の一種です。仏教の世界観である涅槃(ねはん)の境地を象徴するストゥーパ(サンスクリット語: stūpa)に由来し、インドから中国に伝わって「卒塔婆」という字が当てられ、楼閣建築の形式が取り入れられて高層化しました。五重塔も同様のものです。

特徴

石塔寺 三重石塔は別名・阿育王塔(あしょかおうとう)とも呼ばれています。それは、この石塔が、インドの阿育大王(アショカ大王)が仏法の興隆を願ってその1つ1つに仏舎利を納め、世界中に放散した8万4000塔のうちのひとつと伝えられているためです。
花崗岩製で、最上部の装飾である相輪は江戸時代の作、それ以外は奈良時代前期の作とされ、三重石塔としては日本最古のものです。また、人の背丈ほどのものが一般的である中、石塔寺のものは7.44mもあり、日本最大の三重石塔となっています。

屋根は緩く膨れており、塔身は縦長、一番下の塔身は石を2枚合わせ、上部の安定をはかっているのが特徴です。そして、三重石塔を守るかのように、鎌倉時代に奉納された無数の小さな五輪塔がぐるりと囲んでいます。

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・滋賀の旅編・その5

石塔寺 五輪塔(二基)

五輪塔とは

五輪塔は平安時代に誕生したといわれる墓石デザインです。
上段から「空輪」「風輪」「火輪」「水輪」「地輪」と呼ばれる墓石があり、それぞれ自然の五大元素を表しています。

五輪塔を建てると亡くなった人はみな、最高の位と最高の世界へゆけるとされ、今日もなお宗派を問わず「ありがたい最高のお墓」とされています。

五輪塔について詳しくはこちらの記事をお読みください。

五輪塔の歴史と特徴をわかりやすく解説します

特徴

国の重要文化財に指定された五輪塔は二基あります。
正面向かって左側の北塔は花崗岩製で、高さは1.29m。西面の地輪には、鎌倉時代後期の作であることを示す、「嘉元二年(1304年)甲辰九月五日」の刻銘があります。

正面向かって右側の南塔も花崗岩製で、高さは1.38m。こちらは北面の地輪に「貞和五年(1349年)己丑八月廿九日、大森之廿五三昧一結之衆」と刻まれています。大森という地域の十五三昧会(平安時代に結成された念仏結社)が、南北朝時代に建立したことを示しています。

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・滋賀の旅編・その5

石塔寺 石造宝塔

宝塔とは

宝塔は、大日如来や法華経の安置を目的として建てられた仏塔です。筒型もしくは瓶や壺型の柱(塔身)の上に一重の笠(屋根)が乗り、笠の上に相輪(仏塔の頂上の飾り)を立てたものです。なお、石でつくられた宝塔は平安時代から江戸時代に数多く作られています。塔そのものが崇拝の対象となっており、現代でも供養塔として用いられています。

特徴

石造宝塔は、花崗岩製で高さは1.64mです。相輪は後世補修されたもので、上部が欠けています。笠は降棟(くだりむね=最も高い棟から屋根の流れに沿い、軒先に向かって降ろした棟)をつけ、軒裏は垂木型を刻み、塔身の四方には扉型が刻まれ、その上部には高欄型をつけています。
基礎は壇上積式です。4面のうち3面は格狭間のなかに開蓮華を刻み、造立年を示す「正安四年(1302年)壬寅十月日」の他「大願主」「阿闍梨□□」といった銘文が見られます。
また、滋賀県甲良町・西明寺の石造宝塔の作者でもある「大工平景吉」の名も刻まれています。

なお、西明寺の石造宝塔は、こちらの記事で詳しくご紹介しています。

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・滋賀の旅編・その3


五輪塔や宝塔以外にもお墓の形がございます。詳しくは下記の記事をご覧ください。

お墓のデザインはどんなものがある?

歴史

平安時代、一条天皇が治めていた頃に石塔が出土し、そこから石塔寺という名がつきました。一条天皇の勅願寺(国家鎮護・皇室繁栄などを祈願して創建された祈願寺のこと)となり、80余坊の大伽藍を擁する大寺院として隆盛を極めました。
しかし、戦国時代になると、織田信長による焼き討ちですべてを焼失。寺院は荒廃します。
その後、江戸時代の初期である寛永年中(1624年〜1644年)になり、天海僧正の指示により、弟子・行賢(ぎょうけん)が堂宇を再建。その後も徳川による庇護が続き、整備が進んでいきました。
なお、三重石塔は明治40年(190年)8月28日に、2基の五輪塔と石造宝塔は昭和35年(1960年)2月9日に国の重要文化財に指定されました。

周辺の観光情報

石塔寺のある東近江市には、「勝利と幸福を授ける神様」として信仰される太郎坊宮(太郎坊/阿賀神社)があります。古くから「神験即現(しんげんそくげん=神様のご利益がすぐに現れる)」の大神とたたえられ、聖徳太子、伝教大師最澄、源義経などの尊崇を集めました。
境内には「善良な人が通れば願いが叶い、悪心ある人が通れば挟まれる」との言い伝えが残る、全長12m、巾約80cmの「夫婦岩(めおといわ)」があり、最近ではフォトスポットとしても注目を集めています。

石塔寺への交通アクセス

<鉄道&バス>
・近江鉄道本線 桜川駅から日野町営バス桜川線乗車、石塔口停留所下車、徒歩20分

<自動車>
名神高速 蒲生スマートICより12分
名神高速 八日市ICより14分

まとめ

石塔寺は、三重石塔、五輪塔、石造宝塔という3種類の国の指定重要文化財が1箇所にあるという珍しい場所です。

またその周りを守るように、人々が追善供養を願い建てた、万を超える五輪塔や石仏が囲っています。

いずれも人々の想いが形となり、長い年月をかけて受け継がれてきた貴重な石塔です。

ぜひ直接現地でご覧になって、当時の様子に想いを馳せ、受け継がれてきた人々の心に触れてみてはいかがでしょうか。


なお、滋賀県内には他にも歴史的価値、学術的価値の高い石塔があり、過去の記事では下記の石塔をご紹介しています。こちらもあわせてお読みください。

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・滋賀の旅編
・正法寺石造宝塔
・少菩提寺跡 石造多宝塔

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・滋賀の旅編・その2
・比都佐神社 宝篋印塔
・梵釈寺 宝篋印塔

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・滋賀の旅編・その3
・西明寺 石造宝塔
・懸所宝塔

一度は見ておきたい重要文化財シリーズ・滋賀の旅編・その4
・鏡神社 宝篋印塔
・寂照寺 宝篋印塔