お役立ちコラム お墓の色々

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- 供養をきわめる -

関東と関西とでここが違う、葬儀・供養・お墓

葬祭基礎知識

関東と関西とでここが違う、葬儀・供養・お墓

関東と関西には不思議な違いがたくさんあります。例えば「うどんのつゆの色」「エスカレーターで立つ位置」といったようなこと。旅行や出張、転勤などで行き来し、その違いに戸惑ったことがある方はきっといらっしゃると思います。

実は葬儀や供養、お墓に関することにも関東・関西で違いがあります。
葬儀や供養、お墓に関する違いは、宗派や宗旨によるところが大きいのですが、今回は「関東と関西」という分け方で、その違いを見ていきます。
この先、転勤や結婚で住む場所が変わったとしても困らずに済むかもしれませんので、ぜひ最後までお読みください。

葬儀の際に並べるのは花輪? 樒(しきみ)?

関東と関西とでは葬儀の際、式場の入口に飾られるものに違いがあります。

関東では花輪を置きます。もともと花は古来より動物除けとして供えられていました。
現代の「供養のために花を使う習慣」は、お釈迦様が修業時代に出会った仏様に花を供えた逸話が由来と言われています。

一方、関西では樒(しきみ)を置く場合があります。
樒とは、主に関東以西の本州、四国、九州などで育つ常緑樹で、葬儀の際に入口に飾るのは、その葉と実の部分です。

花と同じように、魔除けや悪霊退散の意味を持つものですが、関西では供花や花輪よりも格が高いという考えから樒を昔から用いていて、その名残が現在も残っています。

ただ、最近では式場の入り口を飾る習慣自体が薄れてきているようで、代わりに祭壇にお花を供えたり、会場に一対だけ花輪、樒を置いたりするケースもあるようです。

水引の色

不祝儀袋に用いられる飾り紐・水引。ここにも関東と関西の違いがあります。

<関東>
黒と白、双銀

<関西>
黄と白、双銀

日本において喪を表す色は元来「白」でした。しかし、明治以降に外国の習慣に合わせて「黒」に変わります。そのため、水引にも黒を用いるようになりました。

その一方で、もともと黒は宮中で使用する「玉虫色」に色が近かったため、京都では黒を用いず別の色を「喪を表す色」として使用しました。それが黒の次に高貴な色である
「黄」です。この習慣が関西圏に広まって、今日にも残っています。

なお、近年増加傾向にある家族葬ならではの香典マナーについて解説した記事もございます。興味のある方はご覧ください。

◆家族葬ならではの香典のマナーを解説します

「通夜振る舞い」の有無

関東ではお通夜の後、参列者全員に食事を振る舞います。
これを「通夜振る舞い」と呼び、多くの人に料理をお出しするため、オードブルやお寿司などを大皿で用意することが一般的です。参列者は一口でも飲み物や食べ物に手を付けるのがマナーとされています。

一方、関西では、参列者はお焼香などを済ませ、お通夜が終わると、そのまま帰るのが一般的です。食事は親しい知人や親せきのみで行うことが多く、関東のような通夜振る舞いはありません。

骨壷・収骨・納骨室(カロート)の比較

骨壺や収骨、納骨室(カロート)にも関東と関西の違いはあります。

<関東>
関東では骨壷が7~8寸(直径約21〜24cm)と大きめの骨壷を使用します。
なぜなら、関東では拾うことのできるお骨全てを骨壷に入れる「全骨集骨」が一般的であるからです。

職員の方の指示により、お骨の足から順に腰、腹、胸と収骨し、最後に喉仏、頭蓋骨を入れます。最後には刷毛と塵取りでお骨の粉まで全部集めて入れるため、お骨の乗っていた台車には、ほとんど何も残っていない状態となります。

お墓に中にあるカロートも大きめの作りとなっていて、骨壷のままカロートに納めます。 「地上カロート」とも呼ばれ、地面より上に設置されていることも特徴です。

<関西>
関西では3~5寸(約9〜15cm)と小さめの骨壷を使用します。
「お骨が全て入らないのでは?」と思われる方もいるかもしれませんが、関西では、喉仏を中心に骨壷に入れる「部分集骨」が一般的です。

関東の場合と同じように、職員の方の指示により、お骨の足から順に腰、腹、胸の一部を収骨し、最後に喉仏、頭蓋骨と入れていきます。収骨を終えても、台車の上にはお骨がほとんど残ったような状態になり、残りのお骨は火葬場で供養してもらうことになります。

関西もカロートに骨壷を納めることになりますが、カロートの大きさは関東の約3分の1程度。地面より下にカロートを設置する「地下カロート」の地域が多いのも特徴です。

なお、関西では分骨したお骨をお寺の本山に納めるということもよく行います。

収骨のやり方に、関東と関西で違いがある理由

なぜ関東と関西で収骨のやり方に違いがあるのか?
その理由は、明治時代の神仏分離令にあります。

明治政府は明治元年に神仏分離令を出し、祭政一致(祭祀と政治とが一元化、一体化していること)の理念の下に、千年以上にわたって習合されてきた神と仏を分離して、神道国家の道を歩み始めました。

そして、明治6年になると「火葬禁止令」が出されます。
「火葬は仏教思想に基づくもの」と思っていた神道派の意見によもので、これにより埋葬方法は全て土葬になりました。

しかし、土葬の衛生面の問題などから「火葬禁止令」は2年後に廃止されます。
この時に火葬が再開されますが、同時に「火葬された遺骨は全て持ち帰るように」との通達が出されます。

通達は関東には行き渡り、その結果、お骨の全てを収骨する風習が定着し、現在に至ります。

一方、関西には通達が行き渡らなかったようです。また関西では火葬場の立地が、墓地の敷地内や墓地に隣接することが多かったため、火葬後そのまま埋葬することが多く、お骨は一部しか持って帰らなくなったと言われています。

もともと関西では、宗派の本山に納める分骨用に、喉仏部分を「本骨」として重要視する文化がありました。 明治以前から本骨を中心に拾い終わると、後を火葬場に任せるやり方が主流だったようです。

こうして、関東と関西で収骨の習慣に違いができていきました。

お墓の違い

関東と関西の違いは、和型のお墓にもあります。

<関東>
○水鉢と香炉が別になっている。
○水鉢と同じほどの高さに、花を生ける場所がある。
○黒い御影石のお墓が多い

<関西>
○水鉢と香炉が同じ場合が多い。
○花を生ける場所が高い。
○白い御影石のお墓が多い

以前は地元の石材を使って墓石を建てていたことが、墓石の色の傾向に表れています。
また、明確な根拠はありませんが関西では「黒い石材を使用すると家が途絶える」と言われたこともあったようで、その理由で白い御影石が選ばれたこともあったようです。

まとめ

今回は、葬儀や供養、お墓に関する関東と関西の違いを見てまいりました。
なお、葬儀や供養、お墓に関する違いは、宗旨・宗派によるものも存在し、むしろそちらの方が多くあります。違いをまとめた記事がございますので、この機会にぜひご覧ください。

◆宗派によるお墓の違い一覧