お役立ちコラム お墓の色々

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- 供養をきわめる -

実は身近な仏教用語 / ことわざ・四字熟語に見るお釈迦さまの教えとその意味

供養・埋葬・風習コラム

4月になると、各地の寺院で「花祭り(灌仏会/かんぶつえ)」が行われます。これは、仏教の開祖であるお釈迦さまの誕生をお祝いする行事です。

お釈迦さまが説いた知恵や実践は、仏教の教えとして日本にも伝わり、長い年月をかけて、私たちの暮らしの中にも息づいてきました。実は、私たちが普段何気なく使っている言葉の中にも、こうした仏教の教えに由来するものが少なくありません。

今回は、ことわざや四字熟語として親しまれている言葉の中からいくつかを紹介し、仏教の教えにふれてみたいと思います。

*言葉の由来や成り立ちには諸説あります。ここではその代表的な説をご紹介します。

袖振り合うも多生(他生)の縁/袖すり合うも多生の縁

意味や成り立ち

「袖振り合うも多生(たしょう)の縁」とは、道ですれ違い、袖が触れ合うようなささいな出会いであっても、前世からの縁によるものだという意味のことわざです。京都や大阪に伝わる『いろはかるた』にも詠まれており、古くから親しまれてきました。

ここで言う「多生」とは、仏教の輪廻転生の考えに基づき、6つの迷いの世界「六道」を巡りながら何度も生まれ変わることを意味します。今世に対して前世や来世を表す「他生」を用いることもあり、前世から続くつながりの中で人は出会っているとされています。 この言葉の背景には、仏教の「縁起(えんぎ)」という教えがあります。縁起とは、「縁起が良い」「縁起を担ぐ」のように、良いことや悪いことの前兆という意味でよく使われますが、元は仏教の「因縁正起(いんねんしょうき)」という、すべての物事は偶然ではなく、原因(因)と、それを支えるさまざまな条件やつながり(縁)によって成り立つという考え方に由来します。

つまり、どんなに小さな出来事であっても、そこには意味のあるつながりがあるということです。「袖振り合うも多生の縁」という言葉には、人とのご縁を大切にし、どのような些細な出会いであっても、その出会いに感謝していこうという思いが込められています。

なお、「袖振り合う」は「袖すり合う(擦れ合う、触れ合う)」などと表現されることもあり、いずれも人と人がすれ違い、一時的に接触する様子を表しています。

また、同じように縁の大切さを表すことわざとして、「躓く石も縁の端」や「一樹の陰 一河の流れも他生の縁」などがあります。いずれも、何気ない出来事や出会いにも意味があるとする、仏教的な考え方を伝えています。

使い方の例

「袖振り合うも他生の縁と言いますし、今後ともよろしくお願いします。」

「お会いできてうれしかったです。袖振り合うも多生の縁ですね。」 「ご遠慮なさらずに何でも言ってくださいね。袖振り合うも多生の縁ですので。」

輪廻転生によって生まれ変わると言われる迷いの世界、「六道」について解説した記事はこちらです。

お地蔵様とは〜いまさら聞けない意味や由来を解説

因果応報

意味や成り立ち

「因果応報」とは、過去の善悪の行いに応じた報いが返ってくるという意味の四字熟語です。

この言葉の由来となっているのが、仏教の基本的な教えである「因果」の考え方です。「因果」とは原因と結果のことです。すべての出来事には原因があり、その結果として今の状態があるとされ、仏教の基本原理の一つとされています。 これは、「善因善果(ぜんいんぜんか)、悪因悪果(あくいんあっか)、自因自果(じいんじか)」とも表され、善い行いには善い結果が、悪い行いには悪い結果が返ってくること、そして自分の行いは、すべて自分に返ってくることを説いています。現在では、因果応報というと、悪い行いに対する報いという意味で使われがちですが、本来はこのように、善悪両方に対して使われる言葉なのです。

因果の関係は、過去・現在・未来と長い時間にわたって引き継がれ、逃れることができないと考えられています。つまり、今の自分の状況は過去の行いによって生まれた結果であると同時に、これからの行いもまた、未来の自分へとつながっていきます。

似た意味の言葉に、「自業自得」がありますが、どちらも、すべての出来事の原因は自分にあり、自分の行いが、すべて自分自身に返ってくるという教えから、日々誠実な行動を心がけて過ごすことの大切さを伝えています。

使い方の例

「そんなことをしていると、因果応報で自分に返ってくるよ。」

「これも因果応報だと思って、受け止めるしかないですね。」

「因果応報とも言いますし、相手の立場に立った行動を心がけましょう。」

天上天下唯我独尊

意味や成り立ち

「天上天下(てんじょうてんげ)唯我独尊(ゆいがどくそん)」は、お釈迦さまが生まれてすぐに発したとされる言葉です。お釈迦さまの誕生にまつわる仏典の記述が元になっており、のちに四字熟語として広く知られるようになりました。

直訳すると「この世でただ自分だけが尊い」という意味に取られがちですが、本来はそうではありません。

この言葉は、「この世に生まれたすべての命は、それぞれがかけがえのない尊い存在である」という意味を表しています。

「天上天下」とは、天の上から地の下まで、つまりこの世のすべてを指す言葉です。その中で「唯我独尊」と説くことによって、一人ひとりが、代わりのいない唯一無二の存在であることを示しているのです。 なお、お釈迦さまは生まれてすぐに七歩歩き、右手で天を、左手で地を指してこの言葉を述べたと伝えられています。

お釈迦様は、数えきれないほどの前世を生きて修行を積み、全ての命が等しく尊いという悟りに至りました。七歩とは、迷いや苦しみの世界である「六道」を超えた存在であること象徴的に示すものとされています。生まれてすぐは、六道を脱し悟りに至った記憶が残っていたために、この言葉を発したとも言われています。

現在の使われ方と本来の教え

現在では、「唯我独尊な人」「唯我独尊な性格」というように、自分だけが偉いといった、自惚れや自己中心的な意味で使われることも少なくありません。しかし本来は、自分だけでなく、すべての人の命が尊いという考え方を表した言葉です。

自分自身はもちろん、周りの人もまた大切な存在であると気づかせてくれる、仏教の教えを象徴する言葉のひとつといえるでしょう。

4月は、お釈迦様がお生まれになったとされる月で、その誕生を祝う「花まつり(灌仏会/かんぶつえ)」とよばれる法要が各地で開かれます。お寺によっては、甘茶の振る舞いなど、お釈迦様が生まれたときの出来事にちなんだ催しが行われることもあるので、足を運んでみるのもよいでしょう。

行事の詳細や、お釈迦様が生まれた時のエピソードについては、こちらをご覧ください。

花まつり(灌仏会/かんぶつえ)とは?お釈迦様の誕生日を祝う行事を紹介

身近な言葉から仏教に触れてみませんか?

ご紹介したこれらの言葉は、人生の中でその意味を実感する場面が多くあるからこそ、時代を超えて受け継がれ、今もなお多くの人に親しまれているのでしょう。

日常の中で何気なく使っている言葉も、その背景にある意味や教えに目を向けると、新たな気づきが生まれるかもしれません。また、言葉をきっかけに仏教の考え方にふれてみることで、一見難しそうに感じるところもある仏教を、より身近に感じることができるかもしれません。

何気なく使っているけれど、実は仏教に由来しているという言葉は意外とたくさんあります。他の言葉も紹介していますので、合わせてお読みください。

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供養の心にも通じる、ご縁や日々の行いを大切にする教え

仏教の教えに由来することわざや四字熟語をご紹介しました。

ご紹介した言葉が伝えている、人とのご縁や自分自身の行いの大切さは、今の私たちへと命のバトンを繋いでくれた、かけがえのないご先祖さまに思いをむけることとも深く繋がっています。

目には見えないつながりに感謝し、日々の行いを丁寧に積み重ねていくこと、そして、顔の見えないやりとりが増えた時代だからこそ、自分も他人も代わりのいない唯一無二の存在として尊重し、寛容な心を持って生きることが、これからの自分や周りの人、そして次の世代にまで、穏やかな循環を生み出していくのかもしれません。

お墓参りや供養の時間は、そうしたつながりに改めて気づき、感謝を向ける機会でもあります。自分が今ここにあることを見つめ直しながら、日々を大切に過ごしていくことも、未来へと良い流れを繋いでいく一つの形と言えるでしょう。

この機会に、お寺の行事に参加して仏教の教えに触れたり、お墓参りに行って、感謝を込めて手を合わせたりするのもおすすめです。

供養の意味については、こちらの記事で詳しく解説しています。

そもそもご供養の意味とは?

また、記事の中でご紹介した花まつりのほかに、各地で4月に開かれる行事や、春のお墓参りにおすすめの花など、この時期に役立つ記事もございますので、お出かけやお墓参りの参考にされてください。