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辞世の句を読み解く ー『光る君へ』紫式部を取り巻く貴族編ー

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辞世の句を読み解く ー『光る君へ』紫式部を取り巻く貴族編ー

「誰か世に ながらへて見る 書きとめし 跡は消えせぬ 形見なれども」

これは、¬2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公となった紫式部が残した辞世の句です。
辞世の句とは、死を覚悟した人間がこの世に書き残す、生涯最後の句(または急逝により、事実上生涯最後となった句)を指します。その句には、読み手の死生観や人生観が色濃く表れ、特に偉人たちの残したものは人々の心を打ち、後世まで語り継がれています。波乱万丈な人生を歩んだ彼らの辞世の句は、私たちに「どう生きるか?」を問いかけてくるようです。

今回は、女流文学が花開いたとも言われる平安時代を舞台にしたドラマ「光る君へ」の中で、注目を集めた人物たちの辞世の句を紹介し、その歌に込められた想いを読み解きます。

紫式部

紫式部(演:吉高由里子さん)は、世界最古の長編小説といわれる『源氏物語』を書いた女流小説家です。幼い頃から文才にたけていたと言われ、優れた歌人として『中古三十六歌仙』『女房三十六歌仙』『百人一首』にも選ばれています。

『源氏物語』は、夫と死別した悲しみや寂しさを乗り越えるために書き始めたとの説があります。「摂関政治」の最盛期を築いたとされる藤原道長(演:柄本佑さん)の長女・彰子(あきこ、しょうし/演:見上愛さん)が一条天皇の中宮(皇后)となった際、彰子の女房(身の回りの世話をする女官)として仕えますが、その間も執筆を続け、物語を完成させたと伝えられています。

親友との死別に際して読んだ辞世の句

「誰か世に ながらへて見る 書きとめし 跡は消えせぬ 形見なれども」

(誰が生きながらえてこの手紙を見るでしょう。書き留めた筆の跡は消えることがない形見ではあるけれど。)

紫式部の辞世の句として伝えられているのが、冒頭でも紹介したこちらの歌です。
これは、紫式部と共に中宮・彰子に仕え、大変親しかったと伝えられている小少将の君
(こしょうしょうのきみ)が亡くなった際に、遺品となった手紙を見つけた紫式部が詠んだ歌とされています。
友を失った悲しみと共に、今『源氏物語』を書くことでもてはやされている自分もいつかは死んでしまう身であり、「死んでいく者の書き留めた歌や物語もいつかは読まれなくなる」「いつかは皆死んでしまい誰も思い出さなくなる」という虚しさや世の無常を表現したとも言われていますが、同時に「これまでの作品は形見となって残る」という自信が感じられるとの解釈もあるようです。

「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」

(せっかく久しぶりにめぐり逢えたのに、あなたなのかどうかも分からないほどの短い時間で帰ってしまわれました。まるで、雲隠れしてしまった夜中の月のようでしたね。)

百人一首に選ばれ多くの人によく知られているこの歌も、幼馴染の友人との再会を詠んだ歌と言われています。
母親や夫を早くに亡くしていた紫式部にとって、心を許せる友人の存在はとても大切なものだったのかもしれません。

紫式部の墓所についてはこちらの記事で紹介しています。
『光る君へ』地獄に落ちたって本当?「源氏物語」の作者・紫式部のお墓

藤原定子

藤原定子(ふじわらのさだこ、ていし/演:高畑充希さん)は、藤原道長の兄で関白を務めた藤原道隆の長女で、66代一条天皇の一人目の中宮となった女性です。明るく聡明で、文芸を好んだ一条天皇とも大変仲むつまじく、その人柄は、定子を慕い生涯尽くしたとされる清少納言の代表作『枕草子』にも書き残されています。
しかし、父・道隆が亡くなり兄・伊周が権力争いに敗れると、穏やかな日々から一転、徐々に宮廷での居場所を失い、苦難の人生を送ったと伝えられています。

定子は、三人目の子を出産した直後に亡くなりました。難産となることを予感していたのか、寝起きしていた部屋の几帳(きちょう/仕切り)の紐に三首の辞世の句を結び付けていたと伝えられています。

一条天皇への恋しさを詠んだ辞世の句

1.「夜もすがら 契りしことを 忘れずは こひむ涙の 色ぞゆかしき」

(夜通し約束したことを忘れずにいてくださるなら、私を恋しく想って流してくれる涙の色はどのような色をしているのでしょうね。)

2.「知る人も なき別れ路に 今はとて 心細くも 急ぎたつかな」

(誰も頼れる人がいない死出の旅ですが、今となっては、心細くとも急ぎ立つしかないのですね。)

3.「煙とも 雲ともならぬ 身なりとも 草葉の露を それとながめよ」

(煙にも雲にもならない私の身であっても、草の葉におりる露を私だと思って眺めてください。)

最初の歌は一条天皇へ向けて。他の二首は、一条天皇や幼い子供たちなど親しい人たちを残していく悲しみや心細さを詠んだものと言われています。一条天皇は、定子が苦境にあっても変わらぬ愛情を注いでいたと伝えられており、そのような日々を思い出すと、恋しさが溢れ、忘れないで欲しいと願わずにはいられなかったのかもしれません。

当時、身分の高い人は火葬されるのが一般的でしたが、歌にある「煙にも雲にもならない私の身」との言葉を汲むかたちで土葬とされました。都市東山区今熊野泉山町にある「鳥戸野陵(とりのべのみささぎ)」が墓所となっています。

一条天皇

一条天皇(演:塩野瑛久さん)は、先先代・円融天皇の第一皇子で、母は藤原道長の姉・藤原詮子(ふじわらの せんし、あきこ/演:吉田羊さん)です。989年(寛和2年)に、数え年7歳で66代天皇として即位。藤原家による摂関政治の最盛期を生きた天皇ですが、温厚な性格であり、大きな実権を握る藤原道長らとも協調して政治を進めたと伝えられています。

中宮には藤原定子がいましたが、藤原道長が長女・彰子を強引に中宮として嫁がせたことで、歴史上で初めて二人の中宮(皇后・正妻)をもった天皇としても知られています。

「君」との別れの悲しみを詠んだ辞世の句

「露の身の 風の宿りに 君を置きて 塵を出でぬる ことぞ悲しき」

(露のように儚い身である私であるが、風が過ぎるような現世にあなたを残し、塵にまみれたこの世を離れてしまうことが悲しい)

病を重くし31歳の若さで崩御した一条天皇が、病床で残したとされる辞世の句です。
いくつかの書物に残されており、それぞれ表現に多少の違いがあるようです。「君」が誰を指すのかはわかっていませんが、二人の中宮(皇后)定子と彰子のどちらかに向けて詠まれたと考えられています。

一条天皇は幼い頃から藤原家の影響を大きく受けながら政治を行なっており、そばに寄り添った定子に先立たれた上、その後も尽くしてくれた彰子や、定子との間に生まれた子供たちを残してこの世を去るのは、心残りも多かったのかもしれません。

父である円融天皇が火葬、納骨されたと伝わる「円融天皇火葬塚」のそば、「圓融寺北陵(えんゆうじのきたのみささぎ)」(京都市右京区龍安寺朱山)が墓所となっています。

藤原惟規

ドラマでは、紫式部の弟(実際には兄・弟どちらであったかは不明)藤原惟規(ふじわらののぶのり/演:高杉真宙さん)の最期のシーンも話題になっていました。
文学においては、惟規よりも紫式部の方が優れていたとされていますが、文官として重要な役職を務めており、勅撰和歌集(古今和歌集をはじめとした天皇や上皇の命により編纂された公的な歌集)に10首の和歌が採用されるなど、優秀な歌人であったとも伝えられています。

恋しき人」を想って読んだ辞世の句

「みやこには 恋しき人の あまたあれば なほこのたびは いかむとぞ思ふ」

(都には恋しく思う人がたくさんいるので、このたび(旅/度)は生きて帰りたいと思う)

惟規は、貴族とみなされる官位「従五位下」(じゅごいげ)を授かったって間もなく、父・為時と共に赴任した越後国(現在の新潟県)で病気によりこの世を去ったと伝えられています。その時に書き残したとされるのがこの歌です。為時が大変悲しみ、この歌を見るたびに泣いたという逸話が残されています。

「恋しき人の あまたあれば」ということで、家族や使用人など京都にいる多くの大切な人たちを想って書いたのではないかと考えられていますが、恋人であった斎院の中将(さいいんのちゅうじょう)へ送った歌との説もあります。
日本国内であっても、現代のように簡単には行き来することができなかった平安時代。最期の時には、大切に想う人々の顔が浮かんだのかもしれません。

まとめ

ドラマ「光る君へ」の中では、ここで紹介した歌以外にもたくさんの和歌が登場します。
この時代、和歌は自分の感情を表現するだけでなく、手紙や日常会話の中で想いを贈りあったり伝え合ったりするためにも詠まれていたようです。そのためか、歌の背景には、心から大切にしていた人の存在や、人生の悟りのようなものが感じられ、どこか自分の人生と重ねてしまうという人もいるのではないでしょうか。

終活など自身の最期について考えることには、生き方を見直せる、人生を充実させることができるといったメリットがあると言われています。
「今」を大切に生きるためにも、これをきっかけに、何を(誰を)大切に生きていきたいか、最後にどんな人生だったと言いたいか、ということを考えてみても良いのかもしれません。


藤原道長については、こちらで解説しています。辞世の句は残されていませんが、有名な歌についても解説していますので、合わせてお読みください。
『光る君へ』京都のどこに?藤原道長の墓がある宇治綾

自分の人生を振り返る就活についてはこちらの記事をご覧ください。
【終活】『自分史』を書いてみましょう【今を幸せに生きるために】

辞世の句について、他の記事はこちらです。
辞世の句を読み解く ―徳川家康 前編―
辞世の句を読み解く ― 高杉晋作編