お役立ちコラム お墓の色々
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- 供養をきわめる -
『どうする家康』家康の2人目の正室「旭姫(朝日姫)」のお墓
2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、松本潤さん演じる徳川家康が、駿河国・遠江国(現在の静岡県)の守護大名・今川義元(演:野村萬斎さん)のもとで人質としての幼少時代を過ごし、弱小国と言われた三河国(現在の愛知県東部)の主となったのち、天下統一を成し遂げていくまでの波乱の生涯が描かれています。
本能寺の変で織田信長(演:岡田准一さん)が死去した後、政権争いの重要な局面で、豊臣秀吉(演:ムロツヨシさん)が家康に正室として嫁がせたのが、秀吉の妹・旭姫です。この結婚は強引に進められたとも伝えられ、今回のドラマでは、過酷な運命に翻弄されながらも懸命に役目を果たそうとする旭姫を、俳優の山田真帆さんが演じられました。
旭姫の生涯
秀吉の妹として生まれる
旭姫(朝日姫)は、天文12年(1543年)、尾張国中村(現在の愛知県名古屋市)の百姓家に生まれました。豊臣秀吉の生母・仲(なか/後の大政所/演:高畑順子さん)と、その再婚相手である竹阿弥(ちくあみ)の子で、秀吉の異父妹にあたります。
最初の結婚相手は、佐治日向守(さじひゅうがのかみ)とされていますが、秀吉の家臣・副田吉成(そえだよしなり)との説もあり、はっきりとは分かっていません。
強引に勧められた家康との結婚
家康には最初の正室である瀬名姫(築山殿/演:有村架純さん)がいました。しかし瀬名姫は、天正7年(1579年)、当時家康の主君的な存在であった織田信長(演:岡田准一さん)から武田家との内通を疑われたことをきっかけに暗殺されており、その後、家康に新たな正室はいませんでした。
信長亡き後の天正12年(1584)、後継者争いの最終局面で実質的に家康と秀吉が対決することとなった、「小牧・長久手の戦い」が終結。関白となり、太政大臣に就任した秀吉は、家康を上洛させることで主従関係をはっきりさせたいと考え、家康に旭姫を正室として嫁がせることを打診します。天正14年(1586年)、家康がこれを受け入れたことで、旭姫は家康の元へ嫁ぐこととなりました。
既婚者であった旭姫は、この婚姻のために強引に離婚させられたと伝えられていますが、最初の夫は既に亡くなっていたとの説もあります。
浜松城にいる家康に嫁いだ旭姫。花嫁の行列は160人にも上る盛大なものだったと伝えられています。結婚後しばらくして、家康と共に駿河国の駿府城に移ったため、「駿河御前(するがごぜん)」と呼ばれるようになりました。
妹旭姫を嫁がせたにも関わらず、上洛しない家康に業を煮やした秀吉が、旭姫を見舞うという名目ですが実質は人質を増やすという意味で、母・大政所も家康の元へ送ると、家康は上洛して秀吉の臣下となることを示し、旭姫は豊臣家と徳川家を繋ぐという大きな役目を果たしたのでした。
正室として大切にされた旭姫の最期
実質的には人質という意味合いで家康に嫁いだ旭姫ですが、母・大政所が大坂城に戻ったのち天正16年(1588年)に体調を崩した際には、家康からその見舞いのために大坂城に赴くことを許されており、家康から大切に扱われていたことが伺えます。
大政所が快方に向かったことで一時駿河に帰国するも、病気に罹り京都の聚楽第(秀吉の邸宅)に再度移ったと伝えられ、そのまま駿河に戻ることはなく、天正18年(1590年)1月14日に享年47歳で死去しました。一説には、療養先の有馬温泉で亡くなったとも言われています。家康との結婚から4年後、実際に夫婦で過ごしたのはわずか2年の間となりました。
旭姫のお墓
旭姫が死去した頃、家康は秀吉の命により北条氏を討つ「小田原征伐」の出征準備中でした。そのため亡骸は、旭姫が信仰していた臨済宗の寺院である東福寺南明院に葬られた後、駿府の瑞龍寺にも墓が建立されました。
東福寺 南明院(京都府京都市東山区)
南明院(なんめいいん)は、応永21年(1414年)に建立された、臨済宗・大本山東福寺の塔頭(たっちゅう:大寺院の住職のお墓を守るよう建てられた寺院)です。旭姫の死後、秀吉とゆかりのあった東福寺南明院に墓所が造られ、旭姫の菩提寺となりました。法名は「南明院殿光室宗王大禅尼」です。
家康、2代将軍秀忠、3代将軍家光らが、上洛のたびに墓参したと伝えられ、更に天正19年(1591年)に家康を施主とする仏事が行われた記録が残されており、これが旭姫の1周忌の法要であったと考えられています。本堂には徳川将軍家の歴代の位牌が収められ、旭姫の肖像画も所蔵されています。
本堂の奥の、生垣に囲まれた場所にある五輪塔が、旭姫のお墓です。小さいものの、宝珠形の「空輪」、半月形の「風輪」は比較的大きく、笠となっている「火輪」も厚く造られており、存在感があります。
五輪塔の意味や特徴については、こちらの記事をお読みください。
◆五輪塔の歴史と特徴をわかりやすく解説します
瑞龍寺(静岡県静岡市葵区)
永禄3年(1560年)に創建され、旭姫が駿府に住んでいた時にしばしば参詣していたとされる、曹洞宗の寺院です。旭姫が東福寺南明院に葬られた同年、分骨して墓が建てられました。墓の建立については、家康によるとも、秀吉が小田原合戦の帰途に立ち寄って妹の菩提を弔ったとも伝えられています。こちらでの法名は「瑞龍寺殿光室総旭大禅定尼」とされました。
旭姫のお墓は、境内にある墓地の奥の高台に残されています。墓石は、四角い塔身に、段型で四隅に隅飾りのある笠と、細長い柱のような相輪を乗せた、宝篋印塔(ほうきょういんとう)ですが、笠の部分が6つ重ねられた珍しい形をしています。
宝篋印塔の意味や特徴については、こちらの記事をお読みください。
◆宝篋印塔の歴史と特徴をわかりやすく解説します
まとめ
秀吉が大きく出世したことにより、晩年は戦国の乱世に翻弄されることとなった旭姫。後に豊臣家は滅亡しましたが、旭姫を迎えた家康は、最終的には260年余りも続く戦のない平和な世を実現させることとなりました。
家康や秀吉だけでなく、歴代将軍からも手厚く供養され、その墓所が大切に守られてきたのは、時代に翻弄されながらも大きな役割を果たした旭姫への、深い感謝や尊敬の念が受け継がれてきた証とも言えそうです。
私たちは昔から、お墓に手を合わせ、先祖の想いを大切にしながら生きてきました。ぜひ現地を訪れ、国の安寧のために懸命に生きた旭姫や、お墓を守ってきた人々の想いを感じてみてはいかがでしょうか。
家康、兄・秀吉のお墓についてはこちらの記事にまとめています。
◆偉人のお墓が複数あるのはなぜ?〜徳川家康編
◆『どうする家康』天下統一を成し遂げ、太平の世を創った徳川家康のお墓
◆『どうする家康』でも注目!天下統一を果たした豊臣秀吉のお墓
家康に仕えた女性たちのお墓についてもまとめていますので、合わせてお読みください。
◆『どうする家康』でも注目!瀬名姫(築山殿)の墓がある八柱神社
◆『どうする家康』でも注目!家康の苦難の時代を支えた側室・於愛(おあい)の方のお墓
◆『どうする家康』でも注目!戦場でも活躍した側室、阿茶局のお墓
◆『どうする家康』関ヶ原の戦いにも同行した側室、お梶の方(お勝の方)のお墓
東福寺 南明院への交通アクセス
自動車
名神高速道路「京都東IC」より約17分 または「京都南IC」より約12分
鉄道
京阪本線「東福寺駅」下車 徒歩約15分・または「鳥羽街道駅」下車 徒歩約5分
JR奈良線「東福寺駅」下車 徒歩約15分
バス
京都市営バス「東福寺」下車 徒歩約15分
瑞龍寺への交通アクセス
自動車
新東名高速道路「新静岡IC」より約20分
静清バイパス「昭府IC」より約5分
東名高速道路「静岡IC」より約25分
鉄道・バス
JR「静岡駅」・質鉄電車「新静岡駅」より静鉄バス
安倍線 または美和・大谷線にて「材木町」下車 徒歩約3分